苦痛のはなし
私は、ある日、「もう頑張れない、頑張りたくない」と、1人で泣いた。
頑張ることに疲れてしまったのだ。
頑張っても頑張っても、ずっとゴールや救いが見えないことに、疲れたのだ。
頑張れだとか、自己改革だとか、勝てだとか、そんな、私を追い立てるものたちが、全て敵に見えるようになった瞬間でもあった。
私が入ってる宗教に、私の拠り所はないと思い知らされたときの失望と言ったら、なかった。
私は、もう、その場しのぎの、『今』を耐えるための「頑張れ」「自己改革」「勝て」「今苦しいのは、未来で幸せになるため」といった、人参を目の前にぶら下げて走り続けるような助言など、聞き飽きたし、効かなくなってしまった。
私が欲しいのは、この『苦痛』からの救済だけだ。
なのに、みんな、周りは、『苦痛』を未来のために耐えろとか、有り難がれとか、言ってくる。
私には、『苦痛』からの解放についてだけ教えて欲しい。
分かったような顔と態度で、これ以上、私を頑張らせないでほしい。
「生きてるの、つくづく向いてないと思う」とは、私の度々の発言だが、そうなのだ。
希死念慮はないが、生きてる状態が、あまりにも苦痛を伴うので、生きてることが向いてないと思う。
苦痛を癒すためなら、どんなことでもしたいと思うから、自己逃避願望があまりにも強い。
けれど、自己逃避の術などないことをいつも思い知らされて、余計に痛みを感じる。
何がこんなに苦痛なのかわからないが、とにかく苦痛だ。
誤魔化しながらやりくり出来るような苦痛ではない。
たくさんの推しと友達と周りに支えられて、日々生きてるけど、救いはまだまだ遠そうだ。