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『生活』『暮らし』を蘇生させたい!

最近、何かに感激感動する感受性が硬くなってる気がする。
そして、『生活』『暮らし』が死んでいる気がする。

もっとドッキドキワックワクしながら、豊かに楽しくより良い『生活』や『暮らし』をしたい!

いや、つい、8月の半ばぐらいまでは、毎日映画を見て、友達とも感想を語り合っていたし、読書や、WOWOWのライブ視聴も頻繁にしていたし、編み物や勉強もしていた。
何なら、大好きな劇団新感線のゲキシネ20th tourで『ZIPANG PUNK 五右衛門ロックIII』を見て以来、久しぶりの薔薇サムブームだって来た。
ちなみに、『五右衛門ロックIII』と『薔薇とサムライ』のライブCDを探して買ってしまったほどだ。

部屋だって綺麗だし、何だかんだ食事は毎日作っているし、仕事だって退屈じゃない。

なのに、この、「『生活』『暮らし』が死んでいる」感は何だろう?

色々面倒臭いと感じてるのがダメなのだろうか。
それとも、俗に言う『丁寧さ』が欠けているのだろうか。

しかし、そもそも、日々の『生活』『暮らし』は生き生きと輝くのか?という視点もあるだろう。
確かに、それを言われてしまえば、そうなんだが、私の感覚では、明らかに『生活』や『暮らし』が『生きている』状態のときがあるので、生き生きと輝くときはあると思っている。

さて。
いまの『死んでる』状況を如何に打破していこうか。


……………………………………………浮かばない。

あれか、あれなのか、やっぱり、色々面倒臭く思ってしまっている『心』が死んでいるのだろうか。 

そうかもしれない。

ちなみに、「面倒臭い」は、脳に余裕があるからこそ思ってしまうようで。
私の脳は、余裕でありあまってるんだなぁと思いました。 

話は戻って。 

幸福は、感じる感じないかで存在の有無が決まってしまう。
それと同じで、私の心が、今の『生活』や『暮らし』に、何かを見いだせていから死んでいるのではないか?と思う。

ならば、何を見出そう?
ワックワクドッキドキ?
キラキライキイキとした輝き?
丁寧さ?
楽しさ?
感謝?

迷う。

何故なら、全て、あったら嬉しいものだからだ。
 
もっとワックワクドッキドキ出来るように。
もっとキラキライキイキ輝けるように。
もっと丁寧に出来ますように。
もっと楽しく出来るように。
もっと感謝を出来るように。

欲張りだと我ながら思う。
しかし、これでいい気がする。

さて、何から始めよう?
とりあえず、今日は、美味しくさば味噌を作って、自分に感謝しながら、SixTONESのYouTubeを楽しく見つつ食べることにしよう。




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