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今年の夏は楽しく過ごしたいね・・・

前回の記事です。

3年ぶりに行われる祇園祭の山鉾巡行、それに伴う宵山、宵々山の歩行者天国。
待ち遠しい人たちで結構な賑わいになった。
やっぱりみんな集まるっていいなとおもう。ワクワクしてしまう。
京都の夏。
コンコンチキチンコンチキキン♪という祇園囃子の音色を聞くとちょっと嬉しくなる。
今年は、屋台も復活して3年前の様子に近づいている。
まだ、3年前と同じって訳じゃないけれど、お祭りっていいなと思う。

やっぱり鉾を見に行ったりするのだけど。
私が、初めて祇園祭りに行ったのは、中学生になってから。
父親が人混みが嫌いだったから、家族でお祭りへ行ったことはない。
うちの子たちが生まれる前に亡くなったからわからないけれど、孫とだったら
一緒に行ったかなと思う。
でも、人が多いところが苦手だったからきっと嫌だろうな。

息子たちが、小さい頃は屋台をお目当てに祇園祭りへいった。
お揃えの浴衣を叔母に作ってもらって行ったこともあった。
下駄は、履き慣れてないから、履き物はサンダル。
車が好きだった2人は、トミカのサンダルがお気に入りだった。
その時は、母とダンナも一緒だったから5人で行ったと思う。
私が息子たちとの祇園祭りの思い出は、その時のことが一番印象に残っている。

息子たちは、浴衣をきて祇園祭りへ行ったことは覚えているだろうか?
たぶん忘れているだろうな・・・
聞いてみたけど、やっぱり覚えていなかった。
小学校へ行く前だったから、保育園に行っていた頃。
今回も浴衣を着ている子どもが結構いた。
それをみているとかわいいと同時に懐かしいなあ・・・と思い出に浸ってしまう。
その時期は大変だけど、今になると楽しかった時期かもしれない。

でも、中学生になって息子たちと行くことはなくなった。

友だちと一緒の方が楽しい

長男の理由は、そうだった。親と一緒よりも友だちと一緒の方が楽しい。
そして、親がいない方が楽しい。
次男の理由は違った。
家から出る事が億劫になっていたからだ。中学1年生の宵々山の日だったと思う。
あと数日で夏休みだった。学校にほとんど通えなくなって言ったこの頃。
夕方にプリントだけ取りに行った。
「プリントだけ取りに行くだけならお母さんが学校へ行けばいいじゃないか」と言われたけど、それでは意味がないと制服に着替えて次男を説得して学校へ行った。

学校へ行かなくもいい
そのひとことが、やっぱり言えなくて、どのような形であれ、学校へ行く事が大事だと思っていて、放課後でもいいから登校するようにしていた。
たぶん、その時は一緒に学校へ行ったと思う。
だって担任にこう言われたから、
「今日は、祇園祭りの宵々山らしいな、気分転換に行ってみたら」と言われたからだ。
だけど、次男には、お祭りどころか、どこにも行こうという元気はもうなくなっていた。
今、次男にこの話をしても覚えていないだろう。


でも、あれから数年たって、京都から離れたところにいる。
だから、次にこの季節に京都にいたら、行ってみようって思うかもしれない。

「水無月の写真」
茨城にいる次男の様子をOくんが送ってくれた。
アルバイトの給与が入ったと言って、水無月を買ってきたらしい。

水無月というのは、三角の形をしたお菓子。ういろうに小豆をのせて固めた、羊羹よりは柔らかく、寒天よりはねっとりしている。
Oくんは、なんで水無月なん?と思っている。
そもそも今は7月だから水無月のきせつは終わっているんだけど。
水無月は6月のお菓子で中旬から和菓子屋さんで売り初めて6月30日に食べると言われている。
6月30日に食べるとこれからくる暑い夏を乗り越えられるという、無病息災を願う京都の和菓子。
だけど、息子は水無月を思い出したのでなく、自宅から遠くないところに「ういろ」をメインにしている和菓子屋さんがある。そこは、1年中水無月がたべられる。
そこのお菓子を懐かしく思って買ったんだと思った。
だから、送ってあげることになった。Oくんも興味津々みたい。


息子は、茨城で就職したいと言っているらしい。
のんびりしているのが、自分には過ごしやすいらしい。
新天地を見つけられたのは、良かったのかもしれない。
たぶん、まだ旅人気分なんだろうなと思う。
そのうち、飽きてしまうかもしれない。
その時は、また、新天地を探したらいいと思う。

祇園祭りで可愛いタオルを見つけたのでそれも送ってあげることにした。











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