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「おばあちゃんは生きてて幸せやった?」  

孫の問いかけに、母はこう答えた。  

「死んでみないとわからない。」

その言葉を聞いた瞬間、私は思わず笑ってしまった。孫には「もちろんあなたと会えて幸せだったよ」と言ってほしかった期待感があった。でも、母の言葉には妙な説得力があるとおもう。

幸福とは、私たちが生きている間に確定できるものなのだろうか? それとも、人生のすべてを終えたときに初めて、その意味が定まるものなのだろうか?  

哲学者たちは長い間、「幸福」をどう定義するかを問い続けてきた。アリストテレスは、幸福(エウダイモニア)とは単なる快楽ではなく、「よく生きること」、すなわち徳を持って生きることだと考えた。一方で、功利主義の哲学者たちは、幸福を「快楽の総量」として測ろうとした。母の言葉は、こうした哲学的な問いに対する一つの答えともいえる。つまり、「生の終わりまで、その全体像はわからない」という視点。  

では、私は何をもって幸せと感じるのか。  

それを考えたとき、思い浮かぶのは五感で味わう小さな瞬間だった。  
湯気の立つ味噌汁をすする温かさ。  
ひんやりとしたスイカの甘さが広がる夏の日の午後。  
ふと誰かにかけてもらう、何気ない「ありがとう」の言葉。  

哲学的に言えば、幸福を「大きな物語」として捉える視点と、「瞬間の積み重ね」として捉える視点がある。母の言葉が示唆するのは前者だが、私は後者の考え方がしっくりきます。

人生は、どこかの時点で総括されるものではなく、他人がジャッジすることでもない。
本人が感じている思いは違うということだ。
自分の価値観を押し付けてくる人は
ナンセンスだと思う。

私の幸せとは、**日々の積み重ねの中にあるのではないか。** もしそうなら、私は生きている今、この【今】にこそ、幸せを感じることができるはずだ。  

どんなに困難や悩みがあっても、
**「宿題」として解いていけばいい。**  
その途中で、自分をごきげんにする行動や体験を大切にしながら。  
美味しいものを食べること。心地よい香りに包まれること。  
ふと笑える瞬間を見つけること。  
そんな小さな「ごきげん」の積み重ねが、きっと私の幸せを形作っていくのだろう。  

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