50代おひとり様の毒親介護
【毒親昭和13年生まれの戦後7歳の戦争孤児だった高齢出産の母親】
ワタシノハハオヤハ「高齢出産38歳」で私を誕生させてくれました。
母のことを「レイコ社長」をニックネームにしています。
一般的な「母親」ではありません。
ワンマン社長のように色々言われても、腹が立たない思考になるため、
『レイコ社長』というニックネームをつけて、SNSなどで、モヤモヤしたときに書き込みをしてため込まないようにし始めたのは、12年前です。
母から離れてたくて、仕方のない思い出ばかりな、
義務教育親子関係の暗黒の時代(笑)。
一人暮らしを18歳から始めることができ、
36歳まで毒親認定した、レイコ社長とは、なるべく対話しない。
会わない。そんな塩対応してきました。
2013年 毒親レイコ社長との中和役だった、
父が、農作業中に事故で亡くなったのです‥
毒親レイコ社長と向き合わないといけないという事実は
気が重い・・・憂鬱なネガティブ思考に。
この時は『毒親』とう言葉は一般的ではなく、
私は落ち込んだりすると、答えを見つけに本に救いを求める傾向があるので、書店で見つけました。
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「毒親」の定義は定まっているようで定まっていないのではない部分もあると思います。私が母親からされて悩んでいる事は他の誰かにとっては大したことがなくて、逆に、他の誰かが大した事ないと思っていても第3者にとっては大問題だと感じていたり…。
レイコ社長の場合は、体罰、過干渉、癇癪、感情による叱咤な怒鳴り声。
子供の話を聞かない(傾聴力なし)そんな思い出です。
高校時代は、振り返れば、レイコ社長は更年期に45~55歳時期で、
メンタル不安定な出来事ばかり。あと、今カテゴライズされる、
精神疾患「境界性パーソナリティ障害」「ADHD」の部分もある傾向もありました。
【19歳、大打撃の「レイコ社長の一言」】
辛い事・悩み事・心の痛みの感じ方って人それぞれなのですが、
私にとっての、言葉の一撃は大学に進学したく、
短大からの編入試験の許可について相談電話したのです。
「まだ、私たちにお前は迷惑をかけるのか?」
19歳の私の耳元で怒鳴られてたのです。
号泣。泣くことも我慢思考でやり過ごしていた18年。
「うるさい、だまっとけ」
「あーめんどくさい。なんでこんなことしないけないのか(学校行事系でやってもらいたかったことなど)できないとすぐに愚痴、悪口を言っていた」
「お前たちがおるけん、きとるとぞ。私はよか(しかたない嫌そうに言われる)」(こども向けテーマパークに両親と一緒にいったとき、母は父と話したくて、ここでまっとくから、思えは乗ってこい。
など、自分の本音をすぐ口にする人で。思い出したりなんかして・・・
苦痛な人でした。反発して本音を言おうとしたら、逆切れされる。
そんな言葉に反応して涙も流さないコントロール癖。
『まだ』この言葉が一打でした。
ずっと迷惑をかけてきたのか・・・・
そう私の存在自体を全否定されたことが悲しかった。
だったら生まなければよかったのに。
それ以来、わたしは母には心の扉をしっかり閉めたのです。
消化できない………。そう、18年回って、36歳にて、突きつけられた。
私はこの『毒親』介護中5年間、『産婦人科』で産後4日目の方々とセラピストに。。。産後うつや、産前産後のホルモンバランスの変調、
また、育児に悩む、2人目のママたちなど。子供の目線ではみえない。
オトナの悩みを垣間見ました。
しかしながら、私は「介護」に向き合うのは苦しい。いつまでこのもやもやはなくなるのか?結局はレイコ社長が、早く〇ねば、いいとまで思っていたこともあります。それくらい、ネガティブだったんですよね。
【心理学の本を読んだりする日々・カウンセリングを学んでたり】
日本メンタルヘルス協会の衛藤信之先生の授業で、
自分軸のあり方。言葉の伝え方の
【対人関係スキル技術】
・離別感 ・母子一体感 ・アイメッセージ、ユーメッセージ
対人関係のスキルも学びました。
【人間関係における言霊の受け取り方・伝え方】
・傾聴・相手から自分の答えとおなじことであると、期待しないこと。
母からまなんだ。母の「逆らえない人。怖い人」が心の根っこを緩和
そのほかにも、メンタルを整えること…
●ヒプノセラピー受講
・インナーチャイルド講座」
・ソマティックヒーリング
●レイキヒーリング受講 1,2
●セルフケア
自分自身を消化する方法
「ホオボノポノ」が、ココロが同様する言葉を投げかけられると
つぶやいています。
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そのことについては、このブログ下に書いていますので、
読み進んでみてください。
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レイコ社長は2024年現在です。
会話力がない状況なので程よいのかもしれません。
面会に行くと、私が話していることに対して、
目力で、含み笑いや威圧感を感じて返事をしているよう。(笑)
2023年8月から、レイ子社長は尿閉や股関節骨折などで毎月頻繁に病院通いが必要でした。体調が急激に悪化した2022年7月以降は、ショートステイを利用し、特養入居待ち。通院に付き添う日々で、自営の仕事もセーブせざるを得ませんでした。「この状態がいつまで続くのか」と思い悩みつつ、施設通いが続いていました。
そんな時、SNSディレクターの契約を結ぶことができました。
人と仕事をする。会社組織の安定した、定期収入と、
仕事のサポート体制のおかげで、平日休みで週4程度勤務。
12月から正式に特養入居が決まり付き添い通院もなく、
安定した日々を送れるようになりました。
面会に行くと顔色もよく、ふりかけさえあれば通常通り食事をしている様子。お茶が苦手なようで、毎回1ヶ月分のペットボトルを差し入れています。
先日面会した際、次の予約を取ろうと問い合わせたところ、3週間先まで予約が埋まっていると言われました。12月の予約は取れたので、今回は「おはぎ」を献上品にしようかと。こうして安定した様子に、心から安堵しています。
毒親介護も12年目に突入しました。
この経験から得たものも多く、心理カウンセラーの資格を取得したのも、実は「自分を整えるため」でした。この学びが現在の自分の軸となり、メンタルコントロールや思考の転換力で生きやすくなりました。その結果、相談を受けることも増え、カウンセリングやセラピーの仕事にも役立っています。
毒親は自分が毒親だと気づいていないものです。幼少期に受けた言葉の影響は大きく、その傷が後の家族関係にも根深く影響することを感じています。心がモヤモヤした時は、まずは受け入れ、その感情を手放すことが大切です。「ホ・オポノポノ」のように、「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」の4つの言葉を心のクリーニングとして使うのもおすすめです。
レイ子社長との関係
会話力は少しずつ失われつつありますが、反応はあり、「はい」「いいえ」など短い会話もできます。動画や写真にも反応があるので、元気そうな様子を見ることができ、安心しています。私も2022年8月、付き添い通院の初日に、自分が我慢してきた思いを伝えることができました。いつもなら逆ギレされたり話を聞いてもらえないところ、今回は静かに受け止めてもらい、自分の中での整理がつきました。
レイ子社長は「世知辛い世の中に耐えられるように」と決して褒めない子育てを貫いてきた人です。今の子育て論とは真逆ですが、その経験が私の反面教師となり、感謝しています。後悔はありません。
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