2100年を考えようよ
未来を語るとき、「2050年」という節目を引き合いに出すことが多い。しかし、私たちは、その先、2100年を考えるべきではないだろうか。
2050年については、今の延長線上で社会がなんとか回っている未来を想像できる。いくつかのパラダイムシフトはあるだろうが、現在の世界観が感覚的に7割ほどは残っていそうだ。2024年の今を振り返ってみても、2000年以降の変化は大きいものの、「半分以上が変わった」とまでは感じないからだ。
しかし、75年前の1949年に目を向けると話は変わる。例えば以下の出来事が起こったらしい。
東京証券取引所の設立
北大西洋条約機構(NATO)の発足
中華人民共和国の建国
湯川秀樹氏が日本人初のノーベル物理学賞を受賞
プロ野球セ・リーグの結成
お年玉付き年賀はがきの初登場
1ドル=360円の為替固定
日本国有鉄道(国鉄)の発足
世界保健機関(WHO)への日本加盟
これらの出来事は、今の私たちにとって当たり前の社会基盤を形作ったものばかりだ。これ以前の世界を想像するのは難しく、75年の時を経て社会は劇的に変化したはずだ。
では、2100年の世界はどうだろう。私は104歳で生きていないかもしれないが、息子や孫が生きる未来だ。今のおじさん世代が「逃げ切れる」2050年ではなく、私たちは2100年を見据えて考え始める必要がある。
例えば、教育制度は社会の根幹を担う重要な役割を果たしている。しかし、この数十年で大きな変革は見られない。一方で、教育制度は人口動態や家族の在り方にも大きな影響を及ぼしてきた。
国土交通省の資料によれば、日本の人口は現在約1.2億人だが、2100年には約6000万人に減少すると推計されている。さらに、現状の出生率を考慮すれば、予測よりもさらに減少する可能性もある。
しかし歴史を振り返れば、終戦直後の人口は約7000万人、明治維新以前の約200年間は約3000万人で安定していた。明治五年に初めての「学校制度」が作られたことが、人口増加の大きなきっかけとなった。それまでは集落などの小さな共同体が教育と生活を両方含んだ教育を担っていたが、この制度により、教育が小さな共同体から学校へ移り、生活は家族に移り、「家族」単位が強化され、子どもを多く産む動機が生まれたのだ。
現在の少子化は、これとは逆の流れにある。SNSの普及により「家」という単位が弱まり、最小単位が「個人」へと移行した結果、子育ては優先されにくくなっている。
2100年に人口が6000万人、さらに2150年に3000万人へと減少したとき、社会はどのような形をしているのだろうか。個人主義はどこへ向かい、どのような繋がりが新たに生まれるのか。
こんな風に、2100年という遠い未来を見据えて、考えていこうよ。