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トリガーアラートについて私が考えていること

昨今、演劇公演等において、「トリガーアラート」という言葉がよく聞かれるようになりました。

「トリガーアラート」とは、トラウマを呼び起こす可能性のある表現が作中に含まれる場合、事前に出される警告のことです。トリガーワーニングと言われることもあります。


今まさに、観たいけどトリガーアラートが出ていたため観に行くかどうか迷っている作品があったので、今一度トリガーアラートについて自分が考えてることを外に出してみようと思ってこの記事を書き始めました。


私の場合、過去のトラウマを想起する訳ではないのですが、グロテスクな描写や刃物にまつわる表現に人一倍弱いです。

過去に2回、作中に苦手な描写を見て息が苦しくなったり意識が遠のいたりして、上演中に退場したことがあります。初めてそうなったときは自力で退席できたのですが、2回目のときは隣席の知らない方の膝に倒れ込んでしまいました。気づいた制作さんが飛んできてくれて、肩を借りて退場させてもらいました。

私としては、それによって演技や観賞を多少なりとも妨げてしまったことが本当に申し訳なくて、最近はそういう可能性のあるものを避けがちにはなりました。これは好みや作品の良し悪しとは全く関係なく。

ただ、トリガーアラートがなかったけど特定のシーンで血の気が引いて、舞台上から意識を逸らすことで何とか乗り切ったような公演もあったし、トリガーアラートがあっても大丈夫な場合もあるので、博打を打ってしまうこともあります。これに関しては自己責任です。

私はできる限りいろんなものを観て見識を広めたいので、これは自分にとって結構なディスアドバンテージです。

衝撃を受けたり、動揺したりするのが演劇や映画の醍醐味であり、そういうものを避けることで傷つきたくないというのはいかがなものかという意見もあるみたいですが、単なる好き嫌いのためにトリガーアラートが必要だという訳ではないことをもう少し理解してもらえればいいなと思います。衝撃を受けたり精神的に(教訓的に?)傷つきたくない訳でもなく、身体に不調が出ることを避けたいのです。私だっていろんな表現に耐性があったらもっといろんなものを見聞きして勉強したいという気持ちはあります。

食べ物で例えるなら、単に味が嫌いだから食べたくないのではなく、アレルギーを持っているから食べられないというのと似ていると思います。

というか、好き嫌いのために作品の要素を事前に知っておきたいという考えでも私は問題ないと思っています。そうやって棲み分けることは、不毛な争いを避ける意味でも有意義だからです。


今年から自分が主宰の演劇ユニットを始めて、自分が公演を主催するようになり、ますますその辺りのことを慎重に考える必要が出てきました。

トリガーアラートに限らず、公演に付随して何を発信し何を発信しないのか取捨選択することは難しいと思います。ただ、「自分のユニットではこういう理由でこういう方向性を取る(だからこの情報を出す/出さない)」という軸を明確にして、必要に応じてそれを説明する言葉を持つことが受け手や受け手になるかどうか検討している人々への誠実さであり、安全な上演の場になるためのひとつの方法なのではないかと思います。

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いとうゆうか(ヒミツミ)
演劇が好きです。観て、考えて、書いて、読んでもらう。演劇はその場で消えてなくなってしまうけど、私たちが何度も思い出すことで永遠になるなんて、素敵だと思いませんか。 いただいたサポートは、演劇ソムリエとして生きて行くために使わせていただきます。