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【観劇レポート】ダンスカンパニーデペイズマン『#FAFAFA-Faust』(2022年6月26日観劇)

※2022年に観たダンスカンパニーデペイズマン『#FAFAFA-Faust』の再演を願って、2024年8月の頭に書いた文章です。あるところに提出するために書いたので、noteに投稿するにあたり少し修正した部分があります。

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ゲーテの『ファウスト』の舞台化ということで、ファウストフリークとしては見逃してはいけないという思いで、2022年にこまばアゴラ劇場での上演を観に行きました。

ファウスト作品はものすごく数が多いという訳ではないものの、東京でもちらほら上演されています。
様々なカンパニーがそれぞれのアプローチで以てこの素材に取り組んでいますが、それらの全てが上手くいっているとも限りません。
作品の枠組みをなぞったのみで収束しているものや、奇を衒うことに執心しているだけだという印象を受けるものもあります。が、本作の観賞では、期待以上の満足・感動を得ました。

それは、ダンスを取り入れ、また、ファウストとメフィストの演者は身体表現を担う者と語りを担う者とが分離して1役の存在感が増幅しているというオリジナリティがありつつも、本質はかなり原作に忠実に捉えているからではないかと思います。
「人間とは何か」という大きな問いに、現代を生きている人間の身体で、言葉で、音楽で答える75分間でした。

ファウスト素材を扱った作品の中で最も有名なのはゲーテの詩劇『ファウスト』であるというのは言わずと知れた事実かとは思いますが、私は宗教観の薄い現代日本人にとっては、ゲーテ版ファウストにおいて重要になってくる要素である「敬虔な信仰による救済」という概念は理解し難いものがあると考えていました。
しかし、「人間は何も知ることなどできず、神に近づこうとしても無駄であるが、神に目を向けることで救われる」ということが、序盤と終盤にプロジェクターで投影される英単語の並べ替えによって表されることによって、その論を会得したような気がするのです。
実際には単なる言葉遊びかもしれませんが、これによって、「救いの手は常に差し伸べられているが、下界で下を向いてせかせかと生きている人間にはその手は見えずに苦しんでいる」ということに気づかされたような、視界が拓けたような気がしました。

また、本作では、ファウストの人物造形が尊大な博士であることや魔法によって放蕩の限りを尽くすという側面よりも、無邪気に恋をし苦悩する姿にフィーチャーすることで、自分たちと変わらないもっと身近で矮小な人間であり愛すべき存在だと思わされたことも、宗教観を超えて納得できる物語に思えた理由のひとつだと思いました。
魔法も神も、科学的な見地を持ってしまった現代人にとっては存在しえないものになっても、まだ恋は魔力を持っていて、信仰にも似ているからです。

こまばアゴラ劇場での上演は素晴らしかったものの、ひとつだけ言いたいことがあるとすれば、物語における壮大な問いとそれに応えた肉体と空間の広がりは、同劇場での上演は少し手狭だったように思えることです。ダンスホールの混沌と狂乱が、そのアイデンティティを持ちながら洗練されて劇場に物語として出現するカタルシスを、より大きな会場で、もっと多くの人に味わってほしいと思っています。


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