専業主婦という時代錯誤な生き方
令和の時代、もはや絶滅危惧種となった専業主婦という肩書き。
子育てしながら働く女性はカッコいいという状態を通り越して、子育てしながら働く女性は「当たり前」というところまで来ている。お金を湯水のように使えるセレブ専業妻を除いて、髪を振り乱し家事育児を主軸に励むその様は、最早キラキラとした肩書きであるとは到底言えないだろう。
都内でそこそこの大学を出てそこそこの企業で働くという、人生の王道レールを途中まで歩んできたからなのか、私がまだ20代であるからなのかはわからないが、周りの母親達は1人残らず正社員のフルタイム(または時短)ワーカーであるため、主観的にはもうすでに絶滅していると言っても過言ではない。
私はそんな中で退職し、専業主婦というルートを選んだ。
理由は「自分のためにそうしたかった」からだ。
まだ赤ちゃんである子どもの成長を1番そばで見ていたい。自然の中でのびのびと育てたい。激務の夫の健康管理をしてあげたい。それに加えて仕事までやってしまうと、私が何人いても足りないので、今はやりたくないんだ!という自分本位な理由である。
(とはいえ、最近までキャリアをブン投げるようなその選択に悩みに悩みまくっていたのと、一応働き口のツテもいくつかあったので、産後落ち着いてから半ば運任せ(チョウかハンか)で求職中という体にして認可保育園に応募してみた。まぁ当たり前に点数が低くて落ちたのだが。)
この選択は、あくまでも自分のためであって、子どものためではない。
今となっては3歳児神話は否定されているし、育児は量より質というのが定説だ。保育園にいかずに自宅で母親と過ごすことが必ずしも子どもの幸せに直結するかと言うと、それは違う。
むしろ働き続けた方が教育資金を増やせるし、老後の心配をさせることもない、海外旅行にも連れて行ってあげられるかもしれない。子どものためになるというのはむしろ、先行き不透明な現代社会においては明らかにこっちの方に軍牌が上がるであろう。
私は仕事をするのは嫌いではない。成果をあげられる自信もある。ある程度子育てが落ち着いたら、宅建か何かを握りしめて100社面接を受けてでも復職するつもりだ。
ただ、子どもを産み育てながらもキャリアを磨き続ける現代のパワフルお母さん達に比べて、ブランクのある私の収入は乏しくなるだろう。
子どもが夏休みにパナマ諸島に行きたがったり、長期間の留学や、トップクラスの医学部に行きたいなどと言い出して、私の収入の低さが原因で夢を叶えられなかったとしたら、私は平謝りするほかない。
「本当にごめんね、でもお母さんはどうしても小さいあなたと毎日一緒に過ごしたかったんだ!」
これからは、車を駆使して様々な公園に行ったり、ベランダでプールしたり、かき氷を作ったり、段ボールで工作したり、映画を観に行ったり、田んぼでおたまじゃくしを観察したり、側溝でザリガニを釣ったりで忙しくなるだろう。
これらは1円も生み出しはしないが、願わくば、子どもにとって、暖かい思い出という財産になってほしいと思う。