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『キネマと文人』の長い長い感想

『キネマと文人 『カリガリ博士』で読む日本近代文学』(川崎賢子/国書刊行会)を先日読み終えたのですが、Twitterで感想を書こうとしたらスレッドが偉いことになるので、こちらに書くことにしました。久しぶりのnote更新がこれってどうなんでしょう。自分にとっての忘備録的なメモでもあるので、感想の域を出てはいませんが、カリガリ博士が好きな人や、この本に興味のある人に読んでもらえるといいかなぁとも思っております。

(長いからね!)

まず序章の熱量に圧倒される。あのひとも、このひとも、みんな『カリガリ博士』を観ていたことがわかる。当時は当然ながらインターネットもないし、通信手段も限られていたにも関わらず、世界中で同時多発的に前衛芸術運動の渦が巻き起こっていた。その波は急速に盛り上がってはあっという間に変容したり消滅したが、そこには日本もしっかり巻き込まれていたのだから、そんなに驚くことではないのかもしれない。1920年にドイツで封切られた『カリガリ博士』、翌年には日本に上陸したのだった。

終章まで含め10章に渡り、文人と『カリガリ博士』を含む前衛芸術運動との関連を読み解く構成になっている。第1章は佐藤春夫(指紋)、2章乱歩(パノラマ島)、3章は谷崎(人面疽)といった具合に紐解いていく。ここまでは結構あちこちで言及もある題材なので、うんうんと思いつつ、こんな感じで進むんだねと思いながら読んでいくのだが、そのあと第4章の内田百閒からカウンターパンチが飛んできたのだった。

お恥ずかしいことだが、私は内田百閒をドイツ表現主義の視点で読み解いたことはこれまでなかった。確かに百閒はドイツ語教師だった。「カリガリ博士を観た」と日記にも書いていた。そして私は、長らく「旅順入城式」をどう読んでいいのか全くわからなかった……。ところが、この本のお陰で(詳細は伏せますが)「旅順」も他の百閒作品と同じように読めばいいことが理解でき、目からウロコが落ちる思いがした。長い間抱えてきた疑問が解けた瞬間だった。

5章芥川、6章久作、7章と8章は尾崎翠、そして9章に足穂、終章は火野葦平を筆頭に、埴谷雄高、中井英夫ほか戦中・戦後世代の受容について書かれている。

百閒に次いで気づきがあったのは9章の稲垣足穂だった。足穂も私はやはりどう読んでいいのかいまひとつ掴めずにいたけど、この本に書かれている「イタリア未来派の作品表現との親和性を介す手法」で理解の足がかりを得たように思った。しかし、未来派はたしかにビジュアルは素晴らしいけど、ファシズムにすり寄っていった集団であり、読みながら私はモヤッとしていた。ところが、足穂もその点を憂いていたという引用が、章末の注に記されており、きっと色々思うところもあったろう、などと思いを馳せることができた。(未来派についてはまた改めて)

前後するが、6章久作の「ドグラ・マグラが世に出るまで」(そんなタイトルではありません)は「佐佐木俊郎プロジェクトX」だったし、8章尾崎翠は「鳥取が東京より数年進んだ前衛芸術都市だった」(そんなタイトルでは……)など、興味は尽きなかった。そういえば尾崎翠の『第七官界彷徨』を昔読んだときは、いつの時代に書かれた小説なのか全くわからない印象だったけど、今もそれは変わらない。また、終章の火野葦平「狂人」、めちゃくちゃ読んでみたい……。あそこまであらすじが書かれているのに全貌が読めないのはジタバタものなので、検索しなくては……。とにかくどの章も面白かったし、読み進めるうち、表現主義の視点で物語を解析できるようになっていったこともとても楽しかった。

そして当然ながら、この本を読んだ人は、1920年代のドイツ表現主義映像作品を見ることになる(断言)。『カリガリ博士』は勿論のこと、『プラーグの大学生』や『朝から夜中まで』、日本の『狂った一頁』等はYouTubeで見ることができる。21世紀バンザイ! 先日、『プラーグの大学生』(1926年版)を観たが、主役がコンラート・ファイトとヴェルナー・クラウスというカリガリコンビである。が、映像表現がカリガリ時代よりぐんと洗練されていてビックリ。クラウスは相変わらず胡散臭いし、ファイトは実に端正な顔立ちである。次は『朝から夜中まで』を観たいと思っているが、この映画は日本で舞台化されていて、村山知義が舞台セットをデザインした。私はあの村山セットが頭にあるのだった。

めちゃくちゃとりとめがないです。もう少しクールダウンしたらまた違った感想も出てくるかもしれないけど、今はそんな感じです。

キネマと文人 『カリガリ博士』で読む日本近代文学


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