人も家族も、モノで出来てない。
。ある一本の映画を見ました。
タイトル「365日のシンプルライフ」。
日本では、2014年に放映。見たことがある人もいらっしゃるかもしれません。
つい先日、偶然Amazon Prime Videoで見つけ、タイトルに惹かれてポチッと。
タイトルからして
「ミニマリストの話?話は予想できる気もするけど...」
「ああ、モノに依存するなってことね...」
みたいな、推測・憶測が湧いてきたんですけど、それでも「あ、見よう」と思ったのは、なぜだったんだろう。
ストーリーはタイトルに違わず至ってシンプル。
「モノに溢れた生活を送っていた主人公(26)が、失恋を経て自暴自棄に。悩み抜いた末、自分のアイデンティ、自信の裏づけにもなっていた『モノを持っていること』からの脱却を図り、すべての所有物(下着や歯ブラシなど生活必需品も全て)を、倉庫に預け入れる。正し、「1日1個、モノを取り出せる」、「モノを買ってはいけない」というルール付きで、1年365日を過ごす」という物語。
話が進むうちに、なぜポチッとしてしまったのか、答えが見えてきました。
多分それは、自分自身、人生に悩んでいるからだと思います。人生に悩むって言葉が、なんだかしっくりきてないんですけど、言い換えれば「本当に欲してるものってなんだろう」ってことなんだと思います。
そんな自分を客観視した時、我ながら「そんなこといつまで考えてるんだよ!笑」って自嘲。でも、このフィンランドという国が持つカルチャーをバックグランドに持つこの作品が、一つの知恵を与えてくれました。
その知恵について話す前に、
「もし生活必需品すらなく、(住む場所以外の)モノが何もない」という立場に自分が陥ったら、どう考えますか?
そうですよね、「無理」ですよね。
例に漏れず、この主人公の弟や親友、仲間たちも同じ意見を持っていました。しかもこの主人公は、この期間もちゃんと仕事をしています(映像に携わる仕事みたい)。
少し古い映画なので、iphoneも4とか5くらい。それでも、スマホなしでは生きていけない時代です。そもそも、下着もないし、タオルもないし、布団もない。
今は特にモノには困らない、コロナもあってどこの企業もECを始めたりで、特にモノに困らない世界になっていますよね。そんな世界で、「モノが無くて、モノを買えない」なんてありえない。
でも、このありえないは、人類史上においては、そこまで例外とも言い切れません。だって、「何もない」からものが生まれ、「たりない」からモノを作り、「満足しない」から技術革新が進んだ歴史を顧みれば、人はもともと何も持っていなかったことになりますよね。
じゃあ、そこで何を必要としていたか。僕が考えたその結論は、至ってシンプルでした。
「人間の最も根源的な欲求は、自己満足と他者との関わり」である。これが、フィンランドという文化のなかに住む人が持つ、人生に対するとってもステキな態度な気がします。
主人公は、ものに溢れた世界で、自分の満足の基準を、「モノを所有していること」や「物自体の価値」に置いていました。でも、主人公が辿り着いた結論はこうでした。
「人生に最低限必要なものは、100あれば十分だ。後の100個は、人生を豊かにするために使えばいい。」
ということは、モノに頼らずとも人は幸せになれる、ということ。昇華すると、「本当に必要なものさえあれば、あとは自分で幸せになれる力を人は持っている」ということです。
また、今の時代はスマホやパソコンがなければ、人と関わりを失います。それでも、誰でも繋がればいい。というわけではないことはわかっているはずです。でも逆に、そういうデバイスがあるから誰とでも繋がることができちゃうんです。
本当に大切な仲間や愛する人は、なんだかんだ近くにいてくれます。そんな人が数人いるだけで、人は幸せだと感じます。
「いや、それつまりミニマリスト!」っていうツッコミが来そうですね。間違いではないのですが、じゃあモノを減らせばいいってわけでもないと思います。自分の身の丈を理解し、ゼロベースでその尺度を用いて要るものと要らないものを区別する、これを、完璧に実践したのが、今回の主人公ではないでしょうか。
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最近は、誰しも家に居る時間が増えてきています。ライフハック系の情報に簡単にアクセスできるようになったことで、市場にモノはひたすら増えていっています。よって、家にも市場にも、モノは際限なく増え続けています。
だからこそ、一度全てを失い、ヒトを見つめ直すことって、なかなかできない。でも、本当に幸せになるためには、実は一番必要なことなのかもしれませんね。
だって、人も家族も、モノで出来ていないんだから。
それでは。