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生きるってなんだ。

生きるって、
とても神秘的。
『生きる』ということを身近に感じた瞬間。

看護師になっても私にできることなんて何もない。でも、私の存在によって彼の感情が可視化できたならば、その関わりには意味があったと思う。

看護師は何かをする人ではない。その人を全人的に見て、不足、欠如があれば補えるよう一緒に伴走する。そんなサポーターであると私は思います。

病院で働く中で感じる多くの葛藤。大好きな患者さんがこぼした一言から始まる私の大切なストーリー。




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もうね、俺長くないと思うんだ。

パッと出てきた言葉だった。

僕、麻薬使い始めたでしょ。母親の時も麻薬たくさん使ってたし、俺もそーいう段階なんだって思うんだ。

その人はまっすぐ私を見つめて淡々と語ってくれた。

延命治療しないってあるんだよね?書面で書くやつ。そろそろ書いておきたいな。

その言葉を聞き、思った。

自分からそれを書きたいって思う。どういう気持ちなんだろう。って。

とりあえず書いとく?
覚悟?
諦め?
絶望?

 
その人は続けて言った

 
死ぬのはね、怖くないんだ。
むしろワクワクしてる。
 
 
なんでですか?
 
 
だってさ、まだ俺経験したことないんだもん。どんなもんなんだろう。って思うんだ。
だから怖くないの。
 
でも、最近さ生きたいって思う理由ができちゃったんだ。
 
息子がさ、フラメンコのダンサーなんだよ。
来年の冬、東京の大きな劇場で踊るんだ。
 
それを見たいんだよ。
 
 
 
 
去年さ、ガン見つかってさ入院してたじゃない?体力も落ちてたんだけどさ、新潟まで見に行ったんだ。
 
体力つけるためにリハビリも頑張ったんだ。
 
見に行けた時すごく感動した。
かっこよかった。
 
だから、どうしても来年見たいな。
 
間に合うかな。
 
死にたくない。それさえ見たらもういいんだ。十分なんだ。
 
死ぬことにワクワクするって言っといてなんだけどさ。
矛盾してるんだけどさ。
 
 
 
 
涙を浮かべながら話すその姿は、全身から

『生きたい』

を感じた。 
 
自分の大切な思いを語るその人の前で、私は、何もできなかった。
 
言えた言葉は、1番私が簡単に伝えたくない

『大丈夫ですよ。見に行きましょう。』
 
だった。
頭を絞り出しても言葉がでなかった。頭の中が無になったの。
 
無責任にこの言葉を『大丈夫』っていう言葉は使わないって決めていたのに。言いたくなかったけど、これしか出てこなかった自分の未熟さ。まっすぐに放たれた言葉があまりにも綺麗すぎて、あまりにも儚くて。
 
 
 
見てほしい。息子さんの演技。
心の底から思った。
 
 
生きるってすごいんだ。
とても神秘的だと思った。
 
そう感じたと同時に溢れてきた悔しさ。
やっぱり私には何もできない。
看護師なんて関係ない。
 
素直に1人の人として、
息子さんの演技を見に行けますようにと祈るしかなかった。
 
それしかできない身の丈を感じて、それしかできない自分でいいんだと思う矛盾を抱え、成長したいと思った。
 
 
「人生は他者だ」
 
ある映画で出てくる言葉。
行動する理由には何かしら人が絡んでいる。私もそう思う。プラスのことであれマイナスのことであれ。
 
 
一対一で向き合うことを大切にする。そのためには、その1の方の抱える多数をみる視野が必要。
その方の生きる意味にはきっと他者がいるから。
 
共に考え悩み苦しみたい。何もできない分。私を盾にでも苦しみをぶつける矛先にでも使ってほしい。
 
小さな時間でも、私はあなたの味方であると伝わったらいいな。
 
今日も患者さんにありがとう。
明日もまた向き合おう。

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