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ずっと消えたかった私が自分全開でワクワク生きられるようになったわけ【魅力覚醒講座・根本先生お弟子】

自分全開で、ラクに、ワクワクしながら、自由と安心の両輪で生きられるようになった 個性解放トレーナー の 悠希 (ゆき) です。


この記事について

親からの否定や無視で自己肯定感ゼロ、
感受性の敏感さやマイペースさなどから周囲にも馴染めかった。
劣等感、無価値感、孤独感の塊でした。
親の期待に応えたい、周囲とうまくやりたいという思いから、自分を殺して社会で結果を出すことに全力疾走し続けた結果、身体を壊して障害者となり寝たきり生活になった。

この記事では、そんな私が、
社会に馴染むことを諦め、
アドレスホッパーしてみる!とかアーティストになる!とか人目を気にせず自由にやりたいことをやりまくり、
自分全開で、自分最優先で、マイペースに、人とつながりながらラクに生きられるようになった話を書いていきます。

BEFORE → AFTER

BEFORE めちゃ普通のOL。写真大嫌いだった。
AFTER のドヤ感よ笑!(しかも自撮りw)

これに至ってはマジ志らくw

プロフィール

仕事

製薬関連企業(毎日出勤、激務)
→ ITベンチャー企業(フルリモート、スーパーフレックスで場所も時間もめっちゃ自由)
→ 個性解放トレーナー(魅力タイプ診断、四柱推命、統計心理学 i-color)
と転身。(IT企業と複業中)

家族構成など

  • 父、母、兄、妹

  • 3人兄弟の真ん中っ子

  • 独身 35 歳

  • 牡牛座、B 型

  • 四柱推命 : 丁 傷官

  • 魅力タイプ診断 : 子供と王様のハーフ

  • 統計心理学 i-color : グリーン

現在の私

  • なんでも1人で解決しようとしていたから不安や絶望があったことに気づけた

  • 何もできない自分を受け入れて、助けてくれる人たちがいると実感でき、心からの安心を感じられるようになった → どんな治療してもダメだった病気が不思議とよくなった

  • 人に頼れるようになった

  • 稼がなきゃという焦りがなくなった

  • 不安に駆り立てられることなく、地に足がついた

  • 自分の本音がわかった

  • 自分の感性を表現し、個性全開でアーティストとして生きたいという、心が震える自分の願いに気づけた

  • 夢が見つかった

  • 4年に及ぶセミナージプシー(総額約250万)に終止符を打ち、自分ビジネスを始められた

  • そのままの自分を出せるようになってきた

  • 自分を知って扱えるようになってきた

  • 自分を優先できるようになった

  • 自分を大切にするという意味がわかってきた

  • 今の現実は、自分の思い通りにできてると腹落ちした

  • 家事は最低限

  • ずっとやってみたかったアドレスホッパー生活にトライしてみた

  • 毎日豊かさを感じられる

  • お金について、ない!足りない!と思っていたが、お金はあることに気づけた

  • 寝たきりから少し走れるまでに回復し、健康であることに心から感謝できるようになった

波乱万丈35年

今でこそ、こんな風に楽しく自由に安心して生きられてる私ですが、
つい半年前まで、どん底もどん底、絶望、無価値感、罪悪感、孤独感、劣等感のフルコースでした。

自己肯定感が海底にめり込んでいた幼少期

幼稚園の時、みんなが外で鬼ごっこをして遊んでる中、
私は一人で教室に残り、当時ドハマリしていたアンパンマンの絵をひっったすら書き続けているような子でした。
私の母は、支配的ヒステリー情緒不安定で心配性。
幼稚園の先生は、「ゆきちゃんはハブられてるんじゃなくて、自分から好きで絵を描いてるから大丈夫ですよ、個性です」と言ってくれたが、
母はそんな私を見てとにかく心配し、「あなたは社会でやっていけない」「変わってる子」「協調性がなさすぎる」「マイペースすぎてあなたがいると周りが迷惑する」「コミュニケーションが下手」と言うようになった。
私はそれを否定に感じていました。私はなにかみんなと違うらしい、私がいるとみんなが迷惑するんだと思うようになりました。
小学校にあがると、自分でも小さいながらに、周りに馴染めない、ついていけないことを肌で感じるようになった。結果、小学校は友達ゼロ。
図工の作品や読書感想文は独創的で特別賞をもらったりしていたが、10歳ころから個性を出すのが嫌になった。人と違うのは恥ずかしい。目立ちたくない。隠れてたい。
そこからは、個性のいらない勉強にのめり込んだ。

忠実な母軸洗脳ロボット爆誕

10代は、母の期待に応えるため、ガリ勉マシーンと化した。
母は完璧主義で正しさが強く、自分の意見と異なるものは受け入れなかった。
「私はこっちがいいと思う」と言おうものなら、怒りの感情をぶつけられたあと、2 ~ 3 週間は無視された。
兄弟で誰か1人だけを無視する戦法のため、自分だけが無視される状況に耐えられず、自分がターゲットになっている間はリビングや食卓にいられなかった。みんなが寝静まったあとに、冷蔵庫を漁ってご飯を食べたりしていた。
母の意見を察知し、それを自分の意見として言うようになっていった。

我が家の トンデモ 2大家訓

「人は裏切るから信じるな(あなたを守ってくれるのは家族だけ)」
「人に迷惑をかけるな」

これが我が家の2大家訓であるw(今見るとだいぶ面白いが笑)

勉強で自己肯定感を少しは保っていたが、母からの無視が続くとメンタルが堪えた。私を守ってくれるのは家族だけだというのに、親に受け入れてもらえない。父は仕事のストレスで家庭どころじゃない(母から、父は母を虐める悪い人だと聞いていたのもある)。兄はアスペルガーの傾向があり頼れない。
誰もいない。ずっと、消えたい と思っていた。

少し余談だけど、私は 誕生日 に特別な思いがある。
いつも 自分 という存在が この世になかったことにしたいと思ってた。
でも、誕生日のときだけは、ここにいていいよと言ってもらえてる気がした。
誕生日って全員に平等にあって、どんな悪いことした人でも祝われる日。
365日で唯一自分の存在を許せる日。そう思ってた。
だから今も、これまで関わった人ほぼ全員の誕生日を覚えてる。

この頃は、学校で ゆきちゃんおはよー!って挨拶してくれるだけで、嬉しくて泣いてました笑
強烈な自己否定でした。

こういう環境で育ったおかげで、両親の機嫌が生死に関わるので笑、人の表情や機微を読む洞察力が養われたのだけど。

ある日、妹が、
「ねー!お姉ちゃん知ってる?
〇〇ちゃん家のお母さんは、怒ったらその場で終わりなんだって!
その後笑いあいながらごはん食べるんだって!
何週間も無視とかしないらしいよ!」
と教えてくれた。

?!?!
そうなのーーーーー?!?!うぇーー??!!
と大変な衝撃 & 混乱したのを覚えてる。

サラリーマン川柳 大共感時代

だけど母は、弱い一面もあって、父が監視してくる、怖いと言っていた。
私が20歳になり、子育てが一段落した頃から、母は「死にたい」「生きてる意味がない」と言うようになった。
初めて電話で言われたとき、本当に悲しくて、母を幸せにしてあげられなかった罪悪感がまとわりついた。
私は母を守らなければ、楽しく生きて欲しいと必死になった。
いつの間にか、私は "母の夫役"  "一家の父役" を勝手に引き受けていた。
母があそこに行きたいと言えば、新幹線から旅館まで全部手配してあげたり、これが食べたいと言えば、残業後にデパートで買って帰り、何から何まで捧げてました。
私が守らなきゃと思ってた。
20代女子、キラキラなはずのこのときに、私がえらく共感していたのは サラリーマン川柳 である。わかるわ〜とビール飲みながら思ってました笑。

母は、突き放したかと思えば、すごく頼ってきたり、人を依存させることが天才的にうまかったのでしょう。(コイツにはある種の教祖の才があると思ってましたw)
こうして、母 = 正 とプログラミングされた母中毒の洗脳ロボットが出来あがっていきます。

普通の家族を知る

中学からは友達もいたが、本音で話せる人はいなかった。
唯一、初めて付き合った彼が、何でも受け入れてくれた。
彼の家は平和で、普通の家族ってこんななんか!!と教えてもらった。

ある日の彼の家の会話。
彼父「お父さん昔気になってるコがいてなぁ」
彼母「えー!私と付き合う前〜?(可愛く嫉妬)」
彼妹「お父さんどうなの〜?(にこにこ)」
彼父「前の話だよ〜、お父さんはお母さんが一番だよ」
彼と彼兄「2人は仲いいねー!」

これを聞いた当時の私は、
あ?!この会話はマジなのか?!漫画やん、、ドラマやん。。
リアルな会話っすか?普通の家族ってそうなんすか?
とまぁ、衝撃的すぎて、彼に質問攻めしたよねw
家族全員のLINEグループもあると聞いて、これもまたまた大変な衝撃で、ぎゃーーと叫び散らかしてました笑。

このあたりから、うちちょっとおかしいのか…?と思い始めました。
社会に出ると、周りの大人のほうが言ってることがマトモでは?となんとなく気づき始めました。

酒、男、富・名声に溺れる

社会人になると、孤独感や無価値感を埋め合わせるように、働きまくり、酒に溺れ、アイドルを追っかけ回し、恋愛に狂っていった。朝まで飲んで会社でソルマック投入。会社終わりに大阪行って、関ジャニ様や三代目JSB様やらイケメンを拝んで、新幹線始発で会社出勤。レッドブル毎日愛飲カフェイン中毒。
仕事に趣味に恋愛に忙しく充実していたが、何かが埋まらず、ぽっかり心に空洞がある感じだった。

一体何が足りないんだろう。

そうか!わかった!結婚やーーー!!
当時の私はそう思い、婚活セミナーを受講します。
ここで人生の第一の転機が訪れます。

青天の霹靂

キャリ婚という婚活セミナーに通い始めて、当時の男関係の悩みを相談してみたんですよね。
私の悩みは、父が 外では穏やかだが、家ではキレるという人だったから、
優しい男性と付き合っても、コイツも結婚したら変わるんじゃないか、家ではキレたりするんじゃなかろうかと思って、結婚に踏み切れないというものでした。
この話を聞いてくれた、主催者の 1人 川崎貴子さんが予想打にしない回答をくれて…。

「お父さんもアレだけど、あなたの家で一番の問題はお母さんよ」

ビキーーーーーッ!!と雷に打たれたような衝撃に言葉を失うワタクシ。
青天の霹靂とはまさにこのことやん!
オトンの話してたよ?!オカンの方なの?!

このとき、母 = 正 の洗脳がまだ現在進行系だったんですよね。
そして川崎さんがさらに核心を突く決定打をくれます。

「あなたは気づいてないと思うけど、ちょっとキツめの言葉を使えば、あなたがされてきたことは 虐待 だよ。それに、親は子どもを守る義務があるけど、子どもが親を守らなきゃいけない責務なんて一切ない」

この一言がきっかけで、私の 30 年に渡る洗脳が パツっっっっっっっ! と
やっと解けた瞬間でした。
薄々どっかでは、
「母 = 正 で 他は間違ってる」
これって本当にそうなのか?とはあるものの、なかなか抜けられなかったんですよね。
よく言ってくれたなぁって、本当に感謝してます。
あなたの親、虐待してますよ なんて人になかなか言えないじゃないですか。
人生を変えてくれた 1人です。 
この 3ヶ月後、私は夜逃げするようにスーツケース 1つ で実家を出て、
家具も何もない部屋で一人暮らしを始めました。
初日、母の縛りから解放され、世界はこんなに穏やかで自由なのか…と感じたのを今でも覚えています。

母との癒着を切る 手放し 自立

一人暮らし始めてから、まぁ楽しくてw
ここからセミナーや講座を受けまくるようになって、自分と向き合うこと、内省にハマっていくんですよね。
今までとは違う人たちとの出会いが刺激となり、私もやりたいことをしていきたい!と思うように。
天才万博で見たキンコン西野さんのエネルギーに圧倒された。
やりたいことを人生かけてやってる人ってこんなにかっこいいのかと思った。私もそう生きたい!と思うようになった。
私のメンターの1人、小田桐あさぎさんも当時からオーラが半端なかった。
でも誰よりもフラットで、当時もう起業して何千万と稼いでたと思うけど、ふつーの会社員の私に、二次会行くのー?とか友達みたいに話してくれて、不思議な人だなという印象だった。

でも、段々、なんでうまくいってないんだろう?
なんで私は稼げてないんだろう?と考えるようになっていった。
自己肯定感が大事らしい。自己肯定感…。
あぁ、あんな家で育ったから、私自己肯定感低いんだ…。
だからうまくいってないんだ。。
私が今こんななのは母親のせいだ。

こういう思考になってちゃったんですよね。
被害者ポジションで、人のせいにしてる。
そのことに気づけたのは、大東めぐみさんがきっかけでした。
「母親を許さず母のせいにして生きていく人生と、自分の人生に自分で責任を取る人生と、どっちを取るか、あなたには選択権がある。良い悪いじゃない。どうしたいか、どう生きていきたいかで、あなたが決められる」
そう教えてくれました。
それから、母はどんな人生だったのか、あなたをどんな思いで育ててくれたのかを知りなさいと言ってくれた。
そこで、久しぶりに実家に帰ってみることにした(めちゃくちゃ嫌だったけどw)。
気づけば、私は、母が私を産んでくれたくらいの年齢になっていた。
当時の母は、フルタイムで働きながら、家事も完璧にこなしていた。朝も昼も夜も全部手作りで、惣菜だけって日は一度もなかった。
朝5時に起きて、3人分のお弁当を作り、仕事のお昼休みには家に帰ってきて夕飯を作る。そこから20時半まで仕事して、帰ってきたら子どもの世話をして、掃除して洗濯して。
今の私には到底できないと思った。
母は母の両親ともうまくいってなかったし、父は仕事で手一杯、頼れる人がいなくて、3人を1人で必死に育ててだんだなと、母の大変さを初めて感じた。
自分の部屋に入ったとき、ふとアルバムが目に入った。
母はフルマックスで忙しい中、アルバムを兄妹3人それぞれ作ってくれていて、昔だからわざわざカメラ屋で写真を現像してもらって、その 1枚 1枚 を 七五三 とか付箋つきでアルバムに貼ってくれていた。こんなにも愛されていたのかと、涙が止まらなかった。それに、小さい頃の私は、自分が思っていたより、ちゃんと楽しそうに笑ってた。

「あなたは社会でやっていけない」
幼少期に言われたこの一言も、実は続きがあって、
「あなたは普通の会社員は向いてない。だから、勉強して専門性を身につけて、あなたらしく働けるようになりなさい」
こう言われていた。小さいときは、これを 否定 と捉えていたけど、
大人になって思うと愛情でしかない。
母も、両親からあまり愛されて育ったとは言えない家庭だったと知った。
子どもへの愛情は深く、でもその表現方法を知らなかっただけだったんだと思った。

せっかく実家に帰ったけど、育ててくれてありがとう と面と向かっては泣いてしまって言えず、あとからLINEで伝えた。
このとき、色々あったけど、母を許して、手放して、自立しようと決めた。
許すって自分の成長のためにやるものだと学んだ。

これが、私の記念すべき第 1 回目の オカンの手放しです。
ここから、またちょっと癒着する→手放す→また癒着→手放す を3回ほど繰り返し、今に至ります笑
オカン問題は一生ものですね。このオカン手放しヒストリーは、長くなったので、また別記事で書こうかと思います。

自分ビジネスできない・稼げない問題

オカンが解決してきたら、今度はこっち笑。
ブログとか、アフィリエイトとか、プログラミング勉強したり、色々挑戦しました。
SNSも毎日更新してた。
でも全然稼げない。
他の人はできてるのに、なんでできないの?!
副業が流行りだした時期で、とにかく私ももっと稼ぎたい!!  こればっかり考えて、4 年で総額 250 万の自己投資、セミナージプシーになっていくわけです。

スーパーハードワーカーになる

私には副業で稼ぐ才能がない、、、ならば本業で出世するしかないゼっつ!!ってことで、本業でスーパーハードワーカーになっていきます。
朝 9 時に出勤して、23 時までずーーっと会社で仕事。これを平日毎日。
夜用事がある日は、一旦帰って、用事を済ませた後、家で深夜2時まで仕事。
レッドブルは 1日 2本。コーヒーは何杯かも数え切れずのカフェインまみれ。
糖分欲しくてお菓子食いまくり。
さらに土日もPC持って帰って仕事。
クリスマスも彼といっしょにいるのに、彼放置して仕事。
ちゃんと残業つけてたら、月90時間くらいじゃないかな。
今思えば、もっと周りに頼ればよかったんだと思う。でも当時(2019年)の私は、初めてプロジェクトリーダーも任されて、絶対に失敗したくなかった。妥協したくなかった。すごく完璧主義で、他人を信頼してなかった。

自分の感情や感性は全部無視。仕事には邪魔でしかないもの。そう思ってました。
私ロボットみたいだ。
これがいつも会社を辞める理由でした。

発病

そんな生活をしてたある日、突然字が書けなくなった。
5文字くらい書くと、ペンがポロッと手から落ちてしまう。
でも、疲れてるのかなくらいにしか思ってなかった。
病院にも行かなかった。あいも変わらず働き続けた。
これが2020年2月頃。

悪化

激務だった会社を退職し、今の会社に転職しました。
ご縁があって、スーパーブラックから超絶ホワイトになったのです。
緊張の糸が切れると同時に、病気があっという間に進行していきました。
(医師曰く、安心すると一気に症状がでてくるそうで)

手や腕が痛くて、気がついたときには、ペットボトルが開けられなくなり、シャンプーのポンプも押せなくなり、着替えができなくなり、PCが打てなくなり、水や風が当たるだけで激痛が走るようになってました。
それでも、サポーターして、痛みを飛ばすために腕に保冷剤巻いて仕事続けてたんですよね、今考えればほんと異常ですな。
いくつも病院行っても、なかなか診断がおりなかったことも要因ですが。
レントゲンやMRIに異常がなく、診断が難しかったようです。
なんとかなってるからまぁいいかと、そんなに真剣に病院も探してなかったんですよね。
結局2020年2月に発病してから、診断が出て休職に至ったのが2021年の8月でした。

1年半の休職を言い渡される

その間も、もう身体は悲鳴を上げていて、本丸の病気以外にも、突発性難聴、胃炎、足の筋肉の異常で歩けない、自律神経失調、過敏性腸症候群を発症。食べられなくて白湯しか飲めないときもあった。あっちを治せばこっちに症状が出る。そんな感じでした。
ここまでになって初めて、自分の体に、もっと真剣に向き合わなきゃいけないと思うようになり、今の先生を探し出して、やっと頸肩腕症候群(筋筋膜性疼痛、筋肉の病気)と診断がつきました。

そして、まさかの 1年半 の長期休職を言い渡されます。
完治は無理、今までの仕事も今後はもうできないと言われて。。
そこまでのこととは、思ってなかったんですよね。すべてがショックで、帰りの電車で大泣きしていました。

寝たきり 絶望

休職してすぐ、ついに寝たきりになってしまった。2ヶ月ほど全く起き上がれなかった。
稼げなくなった自分、洗濯バサミさえつまめなくなってしまった自分への無力感、無価値感からただただ絶望し、毎日泣くことしかできなかった。自分が障害者になるなんて思ってもみなかった。燃え尽き症候群も併発していた。完治もない、人生転落したと思った。色々な治療を受けても良くならず、このままだったらどうしようと常に不安だった。
そして何より、絶望した自分、"転落した"と思った自分にショックだった。
病気や障害、様々な事情から働けない人を、どこかでそんな風に見ていたことを突きつけられ、自分の傲慢さに立ち直れなかった。

お金も稼いでいた頃の半分の収入になった。でも保険の効かない治療費が毎月 3 ~ 4 万出ていく。お金がないという意識、使うことへの罪悪感が強まった。
あれだけ稼ぎたくてすべてを仕事に注いできたのに、なんで今貧乏になってしまったの?
そう思ってた。
また、病気を理解してもらえず、孤独感が強まった。人は誰もわかってくれないものなんだと思った。
身体が動かない、お金がない、だからやりたいこと・好きなことができない。ただ生きるだけの日々に絶望してた。
休職中、同級生の家に遊びに行ったら、高級マンションの高層階に旦那さんと住んでいた。狭いワンルームでただひたすら寝るだけの自分との、あまりの生活の差にショックだった。私はどこで間違ったんだろうか。
さらに、休職中に同級生が 3 人結婚した。
あれだけ頑張ってきたのに、なんで私だけ何もなくなってしまったんだろう。

小田桐あさぎさん

このまま終わるのは絶対嫌っ!!

障害で仕事もできなくなった、お金もない、パートナーもいない。
不安と焦りに苛まれてた。
病気でもこうして生活できてることは本当に感謝してる。
でも人生ずっとこのままだと思うと死にたくなる。

このまま終わるのは絶対嫌っっ!!!
そんなとき、twitter で たまたま 5年ぶりにあさぎさんの投稿を目にした。

"それなり人生脱出"

この言葉に妙に惹かれた。

今度、無料セミナーやるらしい。暇だしつけとくか。
そんな程度でみたライブセミナー中のこと、

"私たちはそんなに無力じゃない"

あさぎさんのこの言葉に至極胸を打たれた。

魅力覚醒講座

でも自己投資はもうやめようって決めたんだ。。
働けないんだよ?この先病気がどうなるかわからないし、貯金とっといたほうが良いんじゃない?!
いくらなんでもセミナージプシーし過ぎだよ。。
またコイツなんか講座受けてるよって思われるよ。。

でもこのままは本当に嫌。本当に嫌!!
障害があったって諦めたくない。
本当これが最後ーーーーっっ涙!!

こうして、迷って迷って悩みまくった挙げ句、あさぎさんの長期講座に締め切り5分前に申し込んだ。


さらけ出す & 信頼する & とにかく頼る

入って本当にびっくりした。
みんなめちゃめちゃパンツ脱ぐ。(隠さずさらけ出すことです笑)
じゃあ私もこれとか、、部屋ウルトラ汚いとか、、言って平気かな?

全然平気だーーーーー!!

こんなくっだらないこと投稿して平気かな…?

笑ってくれてるーーー!!

こんな感じで、自分を少しずつさらけ出せるように。

そしてこれ。

■ 他者を信頼する
■ 人に頼って、みんなで進んでいく

おーー!!我が家訓とまったく真逆ではないか笑!!

他人に迷惑をかけてはいけない。
自分のことは自分で頑張らなきゃいけない。

私、ずっと1人だったんだ。頼るとか、相談するとか、そういう発想すらなかった。
みんなも忙しいのに、頼ったら悪いなと思ってた。
でも、それは、私が勝手に、相手の器小さい認定をしてる。
人の器は本当に大きい。

抜けたかったけど、言えなくて、毎月3000円払ってたオンラインサロンをやめられた。
ちょっと嫌だなって思ってたグループを抜けられた。
みんな温かく了解してくれた。

少し動けるようになっていたので、部屋引き払って、前からやってみたかったアドレスホッパーになってみた。
温泉行ったり、色んなホテル泊まれたりめっちゃ楽しかった!
だけど、全国旅行支援が始まると、ホテルが全然取れなくなった。
どうしよう、今日野宿か…と悩む35歳。。。情けない。。
今までだったら、1人でなんとかしようとしてたと思う。
35歳で家ないとかかっこ悪すぎる。。
散々悩んだ挙げ句、妹に、
今日泊めてもらえないかな…?行くとこなくて。。
と言ってみる。姉として情けねーー!!
そしたら、めっちゃ快くOKしてくれた。
仕事忙しいのに、豚汁まで用意してくれて涙!!
ずっといていいよだって涙!!
私、全然1人なんかじゃない、何もないけど、めちゃくちゃ愛されてる。

グループメンバーに会えたとき、会いたかったよーーーー!!って言ってもらえた。めちゃくちゃ嬉しかった。
私はずっと寂しかったんだ、仕事や趣味や男に溺れてきたけど、寂しさを埋めたかっただけだったんだ。。。
そのことに気づいて、上野公園で大泣き。
その瞬間、肩の力がフーーーーーっと抜けて、どんな治療しても良くならなかった病気がスッと軽快したのを身を持って体感した。

億女何でも答えてくれる

あさぎさんにいつでも質問し放題なんだけど、マジで何でも答えてくれる。
仕事やパートナーシップのガチ相談からエロまで本当なんでも。
(赤裸々すぎてほとんどここには載せられないけどw)

こんな感じ。これは助けたい症候群が発動してたときの相談↓↓
これもものすごい気づきだった!!
長年の助けたい症候群も、これで一発解決した。

お金と向き合う

お金に興味がないことを認めることだよ
お金のこと一旦考えずに楽しいことしてたらいいよ

これも言われたとき、全然納得できなかった。
ずーーっと考えてきたのよ、稼ぎたい一心で、両腕2本ぶっ壊れるまで仕事してきたんですけど笑!!!

色んな人に話聞いてもらったり、魅力タイプ診断で自分を知っていくなかで、お金そのものを目標にしても動けないとようやくわかった(月収100万!とか)。
私は楽しいことが好きで、ワクワクしないと動けない。
これも1人じゃ絶対わからなかった。
だって楽しいことってみんな好きだと思うでしょ笑??
私は、"楽しい" に人一倍重きをおいてることに気づいた。
言われてみりゃ当たり前なんだけど、自分には当たり前過ぎてて気づけなかった。自分を知るのは、自分ひとりじゃ無理。
4年間の起業セミナージプシーに終止符が打てそうだ〜涙。

大事なのは環境で、能力じゃない。
アサギストは、みんなが当たり前のように稼いでるから、これだったら私もできそうかも、、と段々自然と思えてくる。この感覚がめっちゃ大事。

あと、"お金はある" ということに気づけた。だから今こうして生きていられる。お金ない!ない!から ある に意識を変えられた。これも大きな変化。

これまで受けたセミナー代も、全然回収できてない!無駄にした!って思ってたけど、それは全部私の血肉になってる。だから今の自分があると、これまた意識を変えられた。

罪悪感

母のことも、手放したとき、鬱な母を見捨ててしまったように思ってた。
それが 罪悪感 と思っていたが、

罪悪感とは、悪いフリ。本当は悪いなんて思ってない。

これを聞いて、たしかになって腑に落ちた。
悪いと思ってたら、たぶん母と今いっしょに住んで面倒見てる笑
そうしてないってことは、悪いなんて思ってなかったんだ。そう思ったらなんだかスッキリした。

今の現実は、望み通りではないかもしれないけど、思い通りにはなっている

これも聞いたとき死ぬほどショックだった。
あんなに頑張ってきて、今のこの現実が私の思い通り?
仕事も、健康も、お金も、全部なくなりましたけど?!
この現実が欲しくて、私が頑張ってたって言うの?!
はじめは、納得いかなかった。

でも、そのとおりだった。
私は、もうずっとずっと前から限界で、休みたかったんだ。
自分はちゃんと知ってたんだなぁ、もうこれ以上走れないと。
私の身体、ここまで頑張ってきてくれて本当にありがとう。

本当にやりたいこと

病気になった意味をずっと考えてた。
自分より他人、自分の感情より成果、そうやって自分を無視し過ぎてきたんだなぁ。
随分心に背いた生き方をしてきてた。

私は、自分の感情や感性を殺すのではなく、存分に味わって、表現していきたい。
子どもタイプなのに、人の期待に応えたくて、社会に馴染みたくて、真逆の社長タイプで生きてた笑。

"もっと自分を表現したい"
色々あったけど、やっとここにたどり着けた。

カウンセラー & 四柱推命

こうして、少しずつ絶望から這い上がってきたわけですが、やりたかったことをもう1つ実現!
カウンセラーになりました!
私みたいに、劣等感、無価値観、孤独感、罪悪感、強烈オカン問題、ハードワーク、自分を生きたい、個性を解放したい こんな思いをしてる人の役に立ちたいと、何年も毎日ブログを読み漁ってる根本師匠に弟子入りを果たしました。
と言いつつ、一番救われたかったのは、自分だったと思います。
お弟子のみなさん、めちゃくちゃ優しいんです。
誰かがちょっとこんなことがあって…と投稿すると、何件もすぐコメントがつきます。
みんな個性豊かで笑、色々ネタ満載の人生を生き抜いてる人たちなので、ぜひ相談してみてくださいね。(私にもぜひ笑!)

四柱推命も好きすぎて勉強中!今年鑑定士デビューします♡

エンジニアなのに、病気で腕2本壊れて絶望してたけど、むしろもっとやりたいことに転身できちゃった!!!

絶望から光へ。 1人では変われない

ずっと消えたくて誕生日しか自分の存在を許せなかった私が、今こうして、やりたいことやって、楽しく生きられるようになったのは、やっぱり "人" だったと思う。
このままの私を受け入れてくれた人たちがいて、自分を出すことを応援してくれる仲間がいるからこそ、自分が自分でいられている。
ドヤ顔自撮りアップすると、いい感じに尖ってきたね!!最高だよ!!って言ってくれるんだよ笑✨
そういう環境がなかったら、周りの目を気にして、自分を出せてなかったと思う。

心理学勉強したり、過去と向き合ったり、それももちろん大事だけど、現実を変えるのは、行動して体感することでしかないと思う。
過去を癒やしたのに、現実が変わらないですっていう相談を受けるけど、そりゃそうなんですよね。背負ってる荷物を減らしたとしても、やっぱりそこから歩かないと変わらない。
NO と言ってみる → 嫌われなかったー! とか
自分を出してみる → めっちゃいいじゃん!!って言ってもらえた(涙) とか
 まずは安心できる環境で少しずつやってみるしかない。
でもそうすれば絶対現実は変わっていく。
一人で変わろうとしない。
人生は、どれだけ人の力を借りれるかで決まる。
誰と話し、誰と過ごすかで決まる。
環境がすべて!
自分が安心できる環境を選んで、自分を生きていこう。

最後に…

今ツラい状況にある人も、必ず光は差すので、自分と周りの人を信頼して、人に頼って、自分のペースで生き抜いてください。
人にはタイミングがあります。私は私、人は人。おまじないです。
私も、今も 12 時間はベッドの上にいないと体力が持たない状態です。
自分の叶えたい人生を生きるために、自分のエネルギーをどこに分配するか、何をやめるか、そう考えながら、人の10%くらいのペースかもしれないけど、1歩ずつ進んでいきます。
アーティストとして生きていきたいなんて、病気にならなければ、言えてなかったでしょう。
私は何も失っていなくて、もうすでに全部あることに気づきました。
それに気づいてから、不安が消え、心が穏やかになったと思います。
「ない」ではなく、「ある」に目を向けてみてください。
愛を受け取ることで、すべてが回り始めます。
皆さんの幸せを心から願っています。
これからたくさんの個性を解放していきます!!

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