DINKs、はじめようかな

コロナ禍のあおりを受けて、2年の時をまたいだ私たちの結婚式。6月に予定されているハワイでのガーデンウエディングは、もう1、2日のうちに延期or強行突破の決断をする必要がある。期限。キャンセル料。
期限といえば、私は今年34になる。お恥ずかしながら貯金などなく、若気の至りでつくったカードローンを夫とともに細々と返しながら、否、ほとんど夫に返してもらいながら、好き勝手に暮らしている。
期限。身体。
同世代の友人に会えば話は仕事、パートナー、趣味と展開し、体の不調や落ちなくなったぜい肉の話を経て、肉体のリミットに帰結する。最近、51歳で初産に挑むだれかのツイートを見たけれど、結局いつまで子どもを産めるんだろう。卵子凍結って、いくらかかるんだろう。っていうか私、子ども産みたいんだろうか。

私は毒親育ちだった。結婚と同時に両親と絶縁し義実家同居を始め、ようやく恐怖から解放されたバリバリの被虐待児である。最近ではそんな経験を、えらそうにエッセイにしては対価を頂いたりもして、自分の図太さに救われるような思いもある。
エッセイとは言いながら、感傷に浸り大もりあがりで書いた原稿ほど、「意味がわかりません」と赤を入れられて返ってくるので笑ってしまう。読みやすく、決着がついている簡潔な文章にお金は払われるみたいだ。じゃあやっぱり、私のこの宙ぶらりんの気持ちを整頓するにはNoteがいいかもと、中途覚醒のついでにこの文章を書いている。これぞエッセイだと思うのだけれど。愚痴はやめておこう。

私は夫が大好きだ。仲良しだし、毎日チョーたのしい。このシンプルな状態以上の幸せはないと、今のところ思っている。
この間『午後3時の女たち』という映画を観た。キャスリン・ハーン演じる形骸化された"主婦"の悩みは「私には子どもが一人しかいない」というものだった。映画自体は下品でくだらないものだったけれど、この迷宮感にドン引きしたのと同時に、キリのない焦燥につきあわされる、まだ姿かたちすらない子どもには同情してしまった。
一人、二人、三人。三兄弟を産んだ見事な義母を目前に、私が産めるかもしれない人数をふと考える。ちなみに義実家同居の件もたびたびエッセイすなわちカネにしているのだが、私は黙っていられないのだろうか。うざい性格だ。

産めない、産まない。
ずっと考えている。子どものころからずっと。その期限が迫っても、まだ考えている。
昨日、白ワインの力を借りて夫といよいよ話しあってみた。
「子どもぜんぜん欲しくない」と、夫は清々しいまでのつぶらな瞳で言った。私は彼のそういうところが好きなのだ。自分を偽らない。夫の潔さに便乗して、胸のモヤモヤをモヤモヤのままゲェッと吐き出してみた。決着もどんでん返しもない、現在進行形の期限のはなし。夫はただ聞いていた。私は彼のそういうところが好きなのだ。

ついでに校正も規制も他人への思いやりもない、小さな食卓での閉じられたはなしをした。
「いっそ子どもができない体なら悩まずに済むのに」と。
夫も「だよね」とか「わかる」とか言った気がする。覚えていないのは、そんな乱暴なことを言ってのけた自分に驚いていたからかもしれない。でも、本当に思ったりする。与えられた役割のなかに、選択肢があるということがつらいのだ。つまるところ人生はその選択肢の積み重ねだと思うけれど、役割を放棄するような行為にはなかなか勇気がいる。娘をやめたあの日みたいに。あぁ、人間につきまとう"自由"という概念。

胸の内をゲロった開放感からか、朝4時に起きたからか、私はその後すぐめっちゃ寝た。その話題のあとすぐめっちゃ寝て、夜中起きて思い返して、ふと「子ども 産まない」と検索してみた。すると、『DINKs』というものに出会った。ディンクス、"Double Income No Kids"(ふたつの収入、子どもなし)という生き方らしい。収入。借金あるけど、収入もないこたぁないからこれかもな。

「人の人生をよくわからん横文字でひとくくりにしやがって」と夫は怒りそうだが、私は肩の荷が降りた気がした。マジで、スッと肩が軽くなってお散歩にでも行きたいような気持ちになった。と同時に、「役割にはまって安心したい」という私の底なしヘタレメンタルの奥深さにも気づいた。
DINKsと名づけた人天才だと思う。私は、自分の生き方に名前をつけて「間違いじゃないよ」と言ってほしいんだ。だれかに。それだけだった、心底。毒親ブームにも、親ガチャブームにも、めちゃめちゃ助けられてきた。ひとくくりにしてもらえることで、救われる面もある。
立派な人生設計も、貯金もないけれど、夫とふたりいつまでもゴロゴロと眠っていられれば、私はそれ以上なにも望まない。たまに旅行とか行けたらもう天国だ。虎の威ならぬ、DINKsの威を借りてこれからも遊び惚けていたい。
義母の期待に応えられないかもしれないのは残念だけれど、それだって私が"親子プレイ"に浸っていただけの話、「あんたの子ども?どうでもいいわ」と鼻で笑われていたあの頃の自分をなぐさめたかっただけの話だと思う。とにかく私は、いま現状の私と夫がたまらなく大好きなのだ。先々を憂いて心配ばかりするのはアダルトチルドレンの悪癖そのものだ。

スッキリするまで文章をこねくり回せば、やっぱり2,000字は必要だ。Noteにして正解だった。おやすみなさい。

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