幸福の限界値
幸せについてずっと考えようと思ってたけど、結論が出たらそれはそれで幸せではなくなってしまうのではないかと不安になり、考えるのをやめようかと考えていた私が私にとっての幸せについて、ない頭で精一杯考えてみた。
決定的なきっかけとなったのは映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』である。
映画や本の持つ意味は様々あると思うが、私はそれを読んだ後の行動や話が重要だと考える。そのものよりもその後、いかに考えるか。
そういう意味ではとても良い映画であった。
まずは『リップヴァンウィンクルの花嫁』について、あらすじは以下のようである。
派遣教師の皆川七海は「教師」という仕事が好きではありながらも、情熱を持てずに働いていた。 ある日、彼女はSNSで出会った鶴岡鉄也と結婚することになる。 それはインターネットでモノを買うようにあまりにもあっさりとしたことだった。 結婚式をすることになった七海と鉄也。 しかし友人が多い鉄也に比べ、七海には結婚式に出席してくれる親戚も友人も少なかった。 鉄也に“見栄えがしないからどうにかして欲しいと”頼まれた七海。 困った挙げ句「なんでも屋」の安室行舛に代理出席を依頼した。 無事に結婚式が終わったと思った矢先、鉄也の浮気が発覚した。 続けて七海も鉄也の母であるカヤ子から浮気の罪をかぶせられてしまい、家から追い出され、ついには鉄也と離婚する。 家と夫を同時に失い、窮地に立たされた七海に「なんでも屋」の安室は奇妙なバイトを提案する。 最初は結婚式の代理出席であった。そこで里中真白という女性と出会う。 次に依頼されたバイトはオーナーが不在の間、住み込みで屋敷を管理する「メイド」であった。 報酬100万円という額に困惑しながらも七海はこの仕事を受けることにする。 屋敷に向かうと、そこにはすでに結婚式の代理出席バイトで知り合った真白が住み込んでいた。 真白は七海と異なり自由で破天荒な性格であったが、 そんな彼女に七海は好感を持っていく。
そしてふたりの奇妙な生活が始まった。
引用:Wikipedia
七海と真白さんとの生活の中で、ふたりでベッドに眠りながら、真白さんがこんなことを言う。
「わたしね、コンビニとかスーパーとかで買い物してるとき、お店の人がわたしの買った物をせっせと袋に入れてくれるときにさ、わたしなんかのためにその手がせっせと動いてくれてるんだよ。
わたしなんかのために 御菓子や御惣菜なんかを袋につめてくれてるわけ。
それを見てると胸がギュッとして泣きたくなる。
わたしには幸せの限界があるの。
誰よりも早く限界がくる。
ありんこよりも早く。
だってこの世界はさ 、幸せだらけなんだよ。
みんながよくしてくれるんだ。
宅配便のおやじは私がここって言ったところまで運んでくれるし。
-こんな簡単に幸せが手に入ったらわたし壊れるから。
だから、せめておカネ払って買うのが楽。
おカネってそのためにあるんだよ。
人の真心ややさしさがはっきり見えたら、ありがたくてありがたくて壊れちゃうよ。
だからそれをおカネに置き換えて、見なかったことにするんだ。
だからこの世界は本当はやさしいんだよ。」
引用・参考:http://blog.livedoor.jp/takapi_0227/archives/59672922.html
私はこれを聞いて悲しくなった。
わかってるんだけど、わからないようにしてることってたくさんあると思うけど、そのひとつだと思った。
そんな些細なことを私は見過ごして、蔑ろにしていた。
本当にこれらすべてが無償化された世界ならば、「そこまでしなくても…」と毎回思ってしまう気がする。
お金を払ってるんだから偉そうにできる。
『お客様は神様』なんて言葉を発することができる。
まあ、お金を払ったからと言ってそんなこと言っていいのは、この国で一番税金納めてる奴だけだろう。
真白さんは『こんな簡単に幸せが手に入ったらわたし壊れるから。』と言う。
簡単に幸せが手に入ったら、、、
確かにそうかもしれない。
幸せなんてものが簡単に気付けて、容易く手に入るなら、たぶんその幸せに慣れてしまって幸せを幸せとも感じないのかもしれない。
ずっと幸せな分には私はそっちのほうがいいな。
心はずっと一定がいい。
悲しいことが全く起こらない為に、嬉しいことも全く起きなくてもいいくらい。
そして、『だから、せめておカネ払って買うのが楽。おカネってそのためにあるんだよ。人の真心ややさしさがはっきり見えたら、ありがたくてありがたくて壊れちゃうよ。だからそれをおカネに置き換えて、見なかったことにするんだ。』と続ける。
幸せをお金で買うというよりも、お金を払って幸せから目を背ける。
悲しくなった。
もっと幸せになってほしいと思った。
真白さんは優しいと思った。
自分の為に袋詰めしてくれるだけで幸せだなんて思うかい?奥さん。
だから外国にはチップという文化があるのかなぁ。
優しさ納税。
これをきっかけに私の幸せってなに?と考える。
無償でなにかをしてもらった時に申し訳なくなって、お金を払いたくなって、お金を払ったら気楽に感じられるもの。
そんなことを考えながら日々をやり過ごす。
2019年9月14日。
おこたんどくin北沢タウンホール。
所謂お笑いライブではあるが、『おこたしゃべり』というインスタライブ配信から始まったトンツカタン森本さんと鳥山大介さん通称すがこのライブ、が初の300人キャパで行われた。
今まで開催されていたライブも何度か訪れたがもれなく面白かった。
今回はキャパが大きく、内容も知らされておらず、何をするのか、本当に面白くなるのか不安ではあったが、あの2人なら面白くしてくれるだろうという確信は少なからずあった。
実際、大爆笑に次ぐ大爆笑。ゲストが来て、次々に展開されていくが、どんなにキャパが大きくなっても2人は相変わらず面白いままだった。写真も撮りまくって、大満足で終わった。
そして、終わりに物販や出待ちができた。フラワースタンドの前でみんなで写真を撮ったり、お話したり。
以前、おこたしゃべりの配信内で、森本さんがラジオ収録でもらってきたエアウォークというバルーンをすがこさんが「いちもっちゃん」と言って遊んでて、それがめちゃくちゃ可愛くてまた遊んで欲しいなと思ったので、2人の分を買った。
そして、2人が一緒にいる場面が無かったので、まず、すがこさんに渡した。すがこさんは凄く喜んでくれてて、可愛かった。
そのあと、森本さんの列に並んでたら、すがこさんが列の後ろの人と話していて、私は絶対に2人と撮りたいと思っていたから、すがこさんが帰ろうとしたタイミングを捕まえて、「一緒に森本さんと撮りませんか?」と聞いた。そうしたら、すがこさんが「いいですよ!もちろん。じゃ、僕も並んどく!」と言った。めっっちゃくちゃ可愛いと思った。
私のわがままなのに…!
しかも、私があげたバルーンをずっと鞄に入れて持っててくれて。
そして、森本さんを待つ間、少し談笑。
友達のこととか、すがこさんの暴れ笑いとか、いつものおこたのこととか。
なんて幸せな時なんだろうと思った。私のくだらない話を笑顔で聞いてくれるなんてどうかしてる。
前の人が終わって私の番に。
まずは、森本さんにエアウォークのバルーンをあげる。開口一番、
「今日の中で一番いらない差し入れだよ!!」
私が強靭なメンタルじゃなかったら死んでる。
なんてことを言うんだ!と思った。森ハラだ!!!!合わせて、2980円もかかったんだぞ!ひとボケに2980円だぞ!!!
笑って誤魔化す。
冗談だよ。
森本さんの出待ちは手厚いから、ちゃんと話してくれる。時間もかかる。
バルーンを持たせて、ダサダンスをさせて撮影。
ダサかったなぁ。
でも、笑顔は最高。
その後、すがこさんにも入ってもらって、しかも、「バルーン出してください!」って言ったら出してくれて、念願の2人を撮影。
私も入れてもらって3人で撮影。
私がバルーンをボンボン叩いて撮ってもらったんだけど、すがこさんは呆れ顔なんだけど、森本さんはなんだかんだ言いながらもめちゃくちゃ笑顔なの、キュンとしたなぁ。
こんな一ファンのわがままを聞いてくれて、こんなに喋って、写真撮ってくれるなんて、本当に幸せすぎて、死んでしまいそうだった。
耐えられなかった。
ただでさえ、ライブを観られて幸せだったのに、出待ちまで楽しいなんて聞いてないよ。
追加料金払ってあげたくなった。
お金握らせてあげたくなった。
お金払ってないから、「なんでそんなに優しいんだよ!!」となってしまう。
お金払ったら、「これでいい」ともっと安心して思えるのに。
これは私の幸せの限界だと思った。
そして、もうひとつ、私には楽しい記憶がある。
それを超える楽しい経験はもう無いんじゃないかと思う。
しかし、これはお金では換算できないし、払うとか貰うとかそんなことではないのだけど、幸せの限界値を考える上で、参考にしていきたい。
大学一年生、3月上旬。
大学四年の先輩達の卒業が迫っている時期である。私は派手な感じでサークルでも異色であり、先輩たちとは話していたが、深く誰かと仲が良いとかはなかった。
そして、ある先輩の色紙に社交辞令で「もっと話してみたかったです!」と書いた。
もちろん、よくある嘘である。
書くことがない時のやつである。
サークルの追いコンも終わり、もう話すことはないと確信していた。
大学一年生、3月中旬。
程なくして、仲良くしていた一人の先輩に誘われて、そのよくある嘘をついた先輩の家で呑むことになった。軽いノリだった。
大学四年生が2人に、大学一年生の私が1人。
異色である。
まあ、2人とも兄と同い年だから、お兄ちゃん感覚である。だから、そんなに気にならない。
夜中から朝方にかけて、他愛もない話をして、ゲームをして、酒を呑んで、夜が明ける。
私が引っ越しをしたばかりだったので、次の日各々シャワーを浴びてから、先輩の車でニトリへ。
何が必要かあまり分かっていない私に、先輩たちはあれやこれやとカゴに入れていく。
お会計をして、車に乗り、ドライブ。
特に何をする訳でもない。
そうやって、ゲームをしては、酒を呑み、酒を呑んでは、他愛もない話をして、夜が明けることを繰り返す。
それを2週間、続けていた気がする。
そのうち、3日くらいは会わない日もあったり、3人+αで遊んだりしていた。
基本的にはみんな年上だから、何かと奢ってくれるし、車出してくれるし、優しい。
私が呑み過ぎて、先輩の家で吐きそうになったら、死ぬほど介抱された。
ずっと先輩の膝の上にいた。
先輩は私の家に来た時、翌日呑み過ぎて吐いてた。
チェキで写真も撮ったりした。
それにサインを書いてもらった。
私の家にも何日か来た。
ニトリに行った日なんかは家で他の先輩が家具を作ってくれた。
3人は酒を呑んでた。
ニトリで欲しい物を言った時に、先輩が卒業するから引っ越し準備をしてたから「俺持ってるよ」と言って、くれた。
どうせ引っ越し荷物に入らないから、らしかった。
そして、先輩の部屋から搬出。
2人が運んでるのを、私がドア開けたり、階段の上から覗いたり。
車に乗せたんだけど、大きすぎて車の左半分が埋まった。
乗るところが無くなった私と先輩はひとつの座席に一緒に座った。
凄い近い距離。揺れる車。
酒を呑んででしかほとんど近くならなかったから、素面でこんなに近いのはなんかドキドキした。
太腿が触れ合わないようになんとか離してた。
先輩は平気そうだったけど、どうだったんだろ。
ある時には、買い物をして私の新居でたこ焼き。
新居でたこ焼きはやらないらしいけど、私は全然自分の家の感じがして無かったから、平気でやってた。
酒を呑んで、ぶっ倒れて私が寝たら、みんないそいそと寝る。
なんだそれ。
一番イヤだったのは、私がニトリで買ってきたホテル仕様の枕を私より先に先輩が使ったこと。これは意味分からなくない?
あと、本をたくさん持ってきてたから、本棚に一緒に入れたり、読んだり。
読みながら、先輩が寝ちゃったり。
先輩が「この本棚って、作っちゃえばそんなに位置変えないでしょ。一緒に作ったのが残るんだね。」って言っててちょっとひいた。
そんなことどうでもいい。
違うサークルの追いコンに行ってもつまらなくて、先輩を呼んだら車で来てくれた。
こんなとこいるより、2人の先輩と遊んだほうが死ぬほど楽しかった。
みんなで修学旅行みたいなこともした。
好きな子いないのー?みたいな。
各々喋るんだけど、その辺がみんな疎くて、どうだろーねー笑みたいになった。
一人童貞だったし。
そして、話疲れて、一人の先輩が寝たら、もう一人の先輩が、私のベッドのほうに来て、ずーっと弱音を吐き始めた。私も眠れなかったし、蒼白い光の中聞いてた。
自信が持てないとかなんとか、言ってた気がする。私はいっぱい褒めてもらえばいいよ、私が褒めてあげるよ。って言って、あたま撫でてあげてた気がする。
あの後、いつ寝たんだろ。
覚えてない。
でも、その先輩は可愛い人だと思った。
詳細にはまだまだあるけど、本当に些細なことだから、書くまでもないかもしれない。
きっとでも、忘れちゃうんだろうな。
だから、忘れない為に断片的にでも残しておく。
それで、その3人の集まりがいつ終わったか覚えてない。
大学一年生、3月下旬。
卒業式。その2人とも卒業しちゃった。
私の人生史上最も楽しかった日々を作ってくれた人たちがいなくなっちゃった。
別に悲しくも、寂しくもないけど、もうこの3人で集まれないのかと思った。
だからこそ、3人が所属してたサークルはなくしたくないなと思った。
この私の人生史上最も楽しかった日々は私にとって幸せの限界だったのかもしれないと思った。これ以上一緒に居たら、ダメになってた。
私自体がこの時期絶望することがあって、その穴を埋めてくれていたようにも思えるけど、楽しかったのは本当だから、それを信じたい。
私にとっての幸せは本当に他愛もない。
私の言ったことをちゃんと聞いてくれたり、わがままでも聞いてくれたりすること。
そして、私と一緒に笑ってくれること。
あまりにも優しくされると、死んでしまいそうになるから、優しさはほどほどでいい。