想像力とセロリ
誘拐した人が捕まり、誘拐された子どもが親のもとに帰る。
でも、その子どもは監禁されてはいるけど、その夫婦と平和に暮らしていた。
子どももそれに不満は無かった。
それが当たり前の家族。
その夫婦は、子どもに自作の教育番組を観せ、外の空気を吸うと死ぬと信じ込ませて、外に出さないようにしていた。
その教育番組が『ブリグズビー・ベア』である。
勇敢で優しくて賢い闘うクマの話。
正しい倫理観を備えた番組である。
子どもの名前はジェームス。
誘拐は良くないこと、
洗脳は良くないこと、
その子にとっての当たり前の家族を奪うことは良いこと?
周りや本当の両親が「大変だったね」「辛かったね」「苦しかったね」と声をかけてくるけど、それがピンと来ていないジェームス。
そして、前の家族との習慣が抜けない。
子どもを奪われた本当の家族は前の誘拐犯に植え付けられた習慣に嫌悪感を抱き、複雑な心境である。
ジェームスの気持ちも、本当の家族の気持ちもわかる。わかるけど、相容れない。
お互いの価値観と育ってきた環境が違い過ぎる。
セロリだよ。
周りの人間もジェームスを腫れ物扱いし、特異なものとして見ていることにも、ジェームスにとっては不思議ことなんじゃないかと思った。
ジェームスはカウンセラーの人との会話でブリグズビー・ベアが無いことを知る。
監禁されていた部屋の中で唯一の楽しみがブリグズビー・ベアだったから、それに凄い執着があるように思った。
ブリグズビー・ベアを世界を救うヒーローだと思っている。
宗教で言うところのキリストみたいな。
それを信じてしまったら、もうそれ以外は見えなくなる。
そして、ブリグズビーの衣装をもらって、続きを作るために映画を作り始める。
ジェームスは他人の目、家族の目には何も感じず、映画に没頭する。
本当に異常な情熱の傾け方。
これは絶対に否定しちゃいけない価値観だと感じる。
本当の両親は本当に複雑だろうね。
好きなものを否定したくはないけど、それは最悪な誘拐犯に植え付けられたもの。
その映画を作るなかで、爆発を起こしてしまう。
ジェームスは外の価値観が分からないから、犯罪を犯している感覚もない。
でも、優しさだけはもっている。
そんな人間をも法で裁くのかと思うと、誰の為の法なんだろうと思う。
誰の価値観で生み出された、誰の為のものかによって、その存在自体が揺らぐ。
両親は妹から映画制作の様子を観せられ、ジェームスの好きなもの、ブリグズビー・ベアへの存在を許していく。
映画が完成し、上映される。
ジェームスは自分の映画が駄作だと言われるかもしれないと思い、トイレに引きこもる。
初めて味わう生みの苦しみに遭遇する。
誘拐犯の父は毎週こうやって生み出していた。
25年間も。
それを自分がやる側になったのである。
上映会は絶賛の嵐となり、ジェームスは喜びに充ち満ちる。
色んな価値観に訴えかけてくると思った。
家族との関係、周りの目線、好きなものへの情熱、法律と警察。
相容れない価値観の中でいかに相手の価値観を否定せず、受容していけるか。
価値観が合わないなら、合わないなりに。
自分の見えてる世界がすべてじゃない。
もっと想像力を働かせるんだ。