【エッセー】残像

久々に深夜バスに乗った。深夜零時発、明朝着。

昼間にちゃんと昼寝を我慢したので、乗った後にうまく眠りにつくことが出来た。といってもバスの眠りなので浅いものではあって、目をつぶり虚ろ虚ろになりながらも未明、休憩所に到着して周囲の数人がゴソゴソしている感覚はある。動きたくもないしそのまま無視し眠りの深度を上げてみたりする。

早朝。最後の休憩。時計を見たら五時頃。ゆるりと起きる。

ハイウェイはコンクリジャングルだけど、田舎の山岳部から上る朝日を見ると、日本人らしくやっぱり有難い気持ちになる。

深夜バスの窓際のカーテンは分厚く外光を閉ざしている。ただ僕が座るのは最前列。運転席との仕切りのカーテンは、薄く朝日を取り込んでゆく。

その時、カーテン越しにきっと真っ正面から光が差したのか、乗降口におもむろに置いてあった消毒ポンプが影としてカーテンに写りこんだ。その他のごちゃごちゃした造形物はマイクやペンやなんやかんやわからなかったけど、ポンプだけはその特徴的なフォルム(特に口の部分)と、『普段はバスに無いもの』がそこに在って、それはまさに今のこの世の中を一瞬で現している象徴的な造形だっだけにぞおっとした。

ああでもこうして見るといろんなものの形にポンプの口だけぴょこっとしてて滑稽だなぁ、面白いなぁ、写真でも撮っておこうかなと思った瞬間、バスはゆっくりとカーブを曲がり、その影達がぐにゃりと歪み、瞬く間に闇に帰っていった。

その“歪み”が、スピードが、大きさが、角度が、全てが美しくて怖かった。

ああ、きれいな映像ってこういうことなんだなと思った。一定の時間、一定の配置、一定の角度。あらゆる偶然が少しずつ掛け合わさって起きる映像美。美といってもそれは畏怖も合わさっている。

一瞬の出来事でカメラを構えることさえできなかったけど、しばらくその消毒ポンプの残像が焼き付いて離れなかった。

こういうことに気付く自分っておかしいんだろうか?ひとつの事象に気付く人。気付かない人。気付いたとしてもそれが焼き付く人。焼き付かない人。隣のおっさんはぐうぐう寝てた。僕は逆に目が覚めた。

もし僕が映像作家だったら、あの映像を自分で撮ってみたいとさえ思った。
オレンジの朝日。分厚すぎない遮光カーテン。消毒ポンプ。夜行バス。おっさんのいびき。最前列の僕。

旅はやっぱりたのしい。細部がたのしい。

#エッセー #吉本悠佑

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