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【URコラム】The Doorman


※『URBAN RESEARCH Media』にて2021年12月16日に掲載された内容をここに残す。
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年の瀬のベルリン。午前三時なのに妙に暖かい。「この時間でも零度あれば充分」とイェガーマイスターの小瓶を友人と回し飲みする。元は冬山の猟師のために造られた酒だ。
二時間近く並んだ末、ようやく見えてきた落書きだらけのエントランス。
観光客らしき六人組がモメている。まぁ奴らは断られるだろうなとは思っていたが…

■Berghain/テクノの殿堂

ドアマン。ときに邪魔くさい存在。此処テクノの殿堂『Berghain』(ベルクハイン)にも勿論いる。
知らない人は知らないままでいいが、ベルリンは世界一のParty City。ロンドン・パリ・ニューヨーク・トーキョーなんて比じゃない。全市で踊ってきた僕が言うんだからほぼ間違いない。
1990年に東西ドイツが統一されベルリンの壁が崩壊。その後しばらく、街は極上のカオスだったそうだ。何人もの生き証人から直接聞いた。
共産圏(東側)にあった元国有企業は次々に破綻。大きな工場や倉庫から一気に人が消え、無機質な建物だけが残った。
そこへ社会からあぶれた自称アーティストが住み着き、その後のベルリンのカルチャーへとつながった。あるところには壁面画が生まれ、あるところには電子音が生まれた。
『Berghain』は元変電所だったらしい。地上四階・地下一階。その巨大なダークグレーの骨格はそっくりそのままクラブへと変化し、いつからか『テクノの殿堂』と呼ばれ、世界中のクラバーから「一生に一度は訪れたい聖地」と崇められるようになった。
僕はそんなこともいざ知らず、偶然にもBerghainまで徒歩10分程の場所にアパートを見つけ住み着いた。(意外にも周囲には閑静な住宅街が広がっている)
太陽を浴びるように、スーパーに行くように、僕にはテクノがあった。


■The Doorman/断る男

前置きが長くなったが、今回のテーマはClubでなく“Doorman”である。
未成年やサンダル野郎を"はじく"ために「IDを見せろ」とつっ立っているだけのタフガイをイメージするだろうが、ここは全く形相が異なる。年齢や履物という客観的事実だけで「世界一」は担保できない。
ネットを叩けばあらゆる言語で模範解答が提示される。
「オシャレをし過ぎるとよくない」「黒い服装がいい」「少人数グループ、もしくは単独で行け」「ドイツ語が喋れないといけない」「ゲイだと通りやすい」・・・残念ながら大正解はない。これらを守ったところではじかれる奴ははじかれる。
時にマイナス10℃を平気で下回り、目や鼻の粘膜が痺れ始める。(そういう季節に限って中はアツい!)だが数時間並んだところでそんな努力さえ、ドアマンの前では凍ったハナクソ。

彼らが守ろうとしているもの?——それは「世界観」

僕は音楽家でもなんでもない。ただ、粋なクラバーではありたいと思っている。
DJはいつも僕を離そうとしなかったし、その音源の素晴らしさはシロウトでも鳥肌モノだった。「床にスピーカーが埋め込まれていて、どこに立っても均一な音が楽しめる」という噂を聞いたことがあるが、真実かどうかは知らない。とにかく、疲れ果てた心と体を何度でも震わせてくれた。
年齢/国籍/言語など人間が創り出した産物など意に介さないその空間は、まさにエデンの園だった。欲求のまま体を揺らす。その時ふたりが偶然に裸であっても、そのまたたきなんて誰も気にも留めない。エロい目でアダムとイヴを見る奴に、美術館に入る資格なんて、毛頭無い。
「吸う?」と提示されたら「煙は吸わないけど酒ならいくらでも"吸う"わ」と返せば一杯ごちそうしてくれた。煙の強要はダサい。断ったあとに来る「Have fun.」という潔い別れに、外の世界ではなかなか出会えないのはなぜだろう。
不思議なことにあれだけの大箱に何百回と行ったのに、楽園を汚すヤカラを一度も見ることはなかった。散乱するゲロ、酔っ払いの絡み、音楽と向き合わない軟派者。
様々な快楽を提案してくる奴はいくらでもいたが、強要する奴はひとりもいなかった。断ればみんな「Have fun」。あっさりしたもんだ。全然怖くない。
写真撮影は完全禁止。SNSは知恵の木の実。林檎に触れた奴は即追放。
詳細な内部レポでコラムが軽く3本は書けてしまうが、偶然が生んだ世界の秘境ってもんは、観光客に荒らされずそっとしておく方がいいのかもしれない。
外でモメてるなあと思えば、中では車椅子のクラバーが上半身を揺らしている。それぞれの方法で楽園を楽しむ。結果、ひとつの世界観を形成し、皆でその平和を暗黙の中で守ろうとしている。
腹筋が割れるほどのゴリゴリテクノのシャワーを浴びながら、そんな安心感に僕自身も包まれ、踊り続けた。
ふさわしくない奴を一瞬で見抜かなければいけない門番。
顔や拳にまで茨のタトゥーの入ったSvenに、今でも感服している。


■Kyoto/一見さんお断り

世の中に100%なんてない。
一見さんがウェルカムの時があれば、お断りの時もある。
目的はやはり一つ——『世界観の維持』
「席が空いてるじゃないか」——そこは今夜も来るかもしれないあの常連さんの席。来ないかもしれないが、それでもいい。
「そんな商売ベタでいいのか」——ええ。頭はえぇほうちゃいますけど、皆さんのおかげでなんとか細々続けさせてもらってます。
「金はある。よく呑んでやるから座らせろ」——そんな舌の肥えたお客さんにお出しできるようなええお酒、ウチにあったやろか……
飲食店にドアマンはいない。女将や亭主が一瞬で招かれざる客を見抜かなければならない。IDだけで判断できるなら、飲食店の気苦労はない。
身なりがよければいいわけではない。ユニクロを着た大学生でも、その黒目に大きな野心を感じられたなら「おひとりさん?ドーゾ―」となる。
僕だって旅行先で見つけたおいしそうなお店に胸震わせながら扉を開け、あっけなく断られたことは何度もある。「あいにくご予約様でいっぱいで…」。そうですか。席はある。噓も方便哉。
そういう時は「ああ、ここには合わなかったんだな」と思うようにしている。
世界観の合わない場にいるのは、こっちだってしんどい。


■Entrance/世界への入口

いまドアマンは消えゆきつつあるのかもしれない。
代わりにエントランスには検温器や顔認証のスタンドが立っている。
更には、マンションや駐車場の警備のおじちゃんや受付のおねえちゃんと顔を合わせ挨拶をする。そんな場面もなくなりつつあるのかもしれない。
AIスタンドが立っていればさもそれが正解であるかのような風潮。果たしてそうだろうか?
ドアマンひとり雇うのには金がかかる。だがそれは、内部の世界観を堅持する為に必要なアナログ。
ある日、僕はBerghainでドアマンにはじかれそうになった。
う~ん…みたいな顔をしている彼に僕は無理やり「入ってもいいよね?」と独語でゴリ押しした。まぁ…みたいな表情をしている間にスッと横を通り過ぎた。
が、しかし。その夜は僕にとって珍しく全然楽しくなかった…!
30分ほど身を委ねてはみたが、結局気分が乗らず、いそいそと帰ってしまった。それが音楽のせいなのか、客層なのか、サービスなのかはいまだにわからない。空気感としか言えない。
もしかしたらあのとき、ドアマンは感じていたのかもしれない。

「今夜はお前の好きな世界じゃないよ」

彼はただ疲れていただけかもしれないし、めんどくさかっただけかもしれない。
でもあの一件から、僕はますます楽園が好きになった。合わない世界だってある。それくらいベルリンのカルチャーは毎日生きていた。
ちなみに僕の勝率はざっと八割。
エデンの一員に選ばれていた実績として、今でも誇らしく思っている。


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吉本悠佑のイツスモ~it'sasmallworld~
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