【エッセー】母の誕生日
先日、母の誕生日だったので「おめでとう」のメールだけ入れておいた。
母の誕生日に最近思うのが、「本当にこの父でよかったのか?」ということ(笑)以前、うちの父はちゃぶ台をリアルにひっくり返すような田舎の、昭和の、頑固おやじという風に紹介したので、誕生日に素敵なディナーに誘うことも、プレゼントをあげることも、「おめでとう」の一言を言う人でもない。十年に一回くらい機嫌がよければそうするくらいである。本当に見ていてイヤになるほどの”ニッポンのオワコン・ダディ”なのである・・・
まあそれは今更嘆いてもしょうがない。。。
母はもともと美大を出て、中学校で美術の先生もしていたような人で(自称「美術室でシンナーを吸うヤンキーを追い払う仕事」笑)、青春をセンス磨きに捧げてきたような経歴の持ち主なのに、うちの父と出会ってから「女は家庭に入って当然」の下、仕事はもちろん辞め、専業主婦として僕ら三人兄弟を育て上げ、美術館やタンゴなど文化的なことに出かけようとすると父が「母親が外で遊ぶなんてどういうことや」と激怒。趣味は家でひそかにアロマテラピー・・・(それもうちの父は「臭いから辞めろ」と脅していた。本当に器がちっちゃい男。母は僕たち兄弟がいなくなった子供部屋でひとり、アロマを焚いて楽しむのが唯一の楽しみとなった。)
こうして、母の羽の全ては父の脅しや僕らへの子育てによって封印され風化していってしまったように思われる。
だから、母の誕生日や結婚記念日など、本来はお祝いすべき日に僕はどうしていいか時々わからなくなる。お祝いは言うしギフトも贈るけど、心の中では『どうしてこの父と結婚してしまったのか?』と甚だ疑問。
昔、夫婦喧嘩で感極まった時は『もうあんたたちが巣立ったら離婚してやるからそんときはごめんね!』と泣きながら僕ら兄弟にすがってきた事もある。が、今ではそんなオワコン・ダディの扱いにすっかり”麻痺”し、自分のことよりも父のこと、家族のことに常に気を遣い、生きているようにしか思えてならない。
「美術道具でも買って、僕の(使ってない)部屋で好きな絵でも描いたらいいやん?」と提案しても『そうね』と言うだけで何もしない。
ドラえもんのパラレルワールドみたいな世界を想像してしまうと・・・
もし母が父と出逢わずに違う人と結婚したら、僕はこの世に生まれてきていないことになる。でも母はその方が自分の美術の才能を開花していたかもしれない。
僕には残念ながら絵の才能はないけど、でも、年を重ねると共に母の血が濃い気がしてならなくて一度『僕は松尾(母の旧姓)の血が濃いと思う』と言ったら、そうね、と笑っていた。
また父をディスってしまったけど(苦笑)、父は金の亡者みたいなところがあって守銭奴感はハンパない。兄は会計士になりまさに”お金”を扱う職業に就いたし、弟は実家の家業を継ぐと宣言し父の下で働いている。
母が昔言っていたことで覚えていることがある。
「私はあの父親が大嫌いだけど、それでもあなた達が不自由なく大学にも行かせてもらえて、海外にも留学させてもらえたのは、子供たちに遣うお金をちゃんと貯めていた父のおかげ。父はね、お金でしか指標が測れない人間なのよ。だからお金ばっかり貯め込んで、その使い方を知らず、文化的なものにも触れず、ここまで生きてきた”かわいそうな人間”なの。だから、あなたたちは父のお金という傘に守られながらも、あなたたち自身でお金以外の価値観を持ちなさい。私はそれが美術だったから、美大時代は貧乏でもトコトン楽しかったし、全く後悔していないわ!あの人にはそれがないの・・・」
父に言われた言葉はあんまり覚えてないけど、母の言ってたことはこんなにもハッキリと覚えているし、子供ながらに「へー」と思った。
ちなみに母は伊賀上野出身で、自分を”松尾”芭蕉の子孫だと信じているので、僕もそう信じている。(笑)
いま、文字を書くのはとっても楽しい。