悲しみに寄り添う
先日ラジオに僕の投稿が採用された。
こんなの高校ぶり?なんだか青春時代に戻った気がした。
知らない03番号から入電があって「J-WAVEの者ですが、次回読ませてもらっていいですか」と聞かれ「ぜひ残してください」と。
オダギリジョーさんの朗読による僕の真実の物語。
18歳の時に親友をなくした話。以前アーバンリサーチのコラムにも寄稿していたので、ご存じの方もいるかもしれない。<再掲>
語り出せるまで20年もかかってしまった。
***
今年始め、久々に彼の実家を訪ねた。
以前は僕が顔を出すだけで向こうのお母さんは「ありがとう。ありがとう。」と泣き出してしまっていたし、お父さんも「あの時は世話になったな。」となるべく毅然と振る舞おうとしてる感じが受けて取れた。
僕が行くことで悲しみを思い起こさせているようでなんだか申し訳ない気もしたけど、僕は彼の親友なので会いに行くのは当然だと思っているし、「あがっていいですか」と聞くといつも「どうぞどうぞ!」と、本当にあの頃と変わらず、玄関で靴を脱ぎ、畳のひろーい部屋にいくのだった。
時間の経過だろうか。お母さんは僕を見ても泣き出さなくなったし、お父さんも「元気か?仕事始めたらしいな。どうや?」と以前とは違う話をするようになった。
***
最近は思い出すことも泣くことも減った。
長生きしていると日々新しい人と出会い新しい話をする。
人って、人に会う時、「お父さんお母さんはまだお元気ですか?」とか「先日祖父が亡くなりまして」とかいう話はしても、「昔親友をなくなりまして」という話はしないし、そんな質問も基本発生しない。
その親友を知っている人(実際に会ったことがある人)はもはや今の交友関係の中の1%にも満たなくなった。数えるほどだ。
だからそういうことがあったことさえみんな知らないし、僕も特段話さないから、当然そうなっていくのはわかる。
こうして彼を思い返す機会が減り、日々の日常が流れていくと、「本当にあんな事あったんだろうか?」と不安になる。忘れそう、なかったことになろうとしていないかと。
そんな時このラジオにたまたま出会い、語り手のオダギリジョーさんに『あなたの真実の物語を教えて下さい。私が代わりにお伝えして差し上げますよ』と言われた気がした。
***
友人ひとりひとりにこの物語を語るのは今でもさすがに辛い。きっとまたどこかで泣いてしまうし、友人のお涙頂戴するのも本望じゃない。
だから代わりにオダジョーさんが上手に語ってくれたことには感謝している。聞いてくれた人には「あー、あの子、そんなことがあったのね」と理解してくれたらいい。別にその話題を出さなくたっていい。出してもらってもいい。もう大丈夫なんだけど、直接語るなら、どうか僕のペースで話をさせてほしい。
こうしてラジオで発信されたことで彼の存在をもう一度世界に知らしめられた気がしている。それは『僕の親友』がちゃんと存在した事実になるんだから、そりゃあ嬉しい。きっと、お父さんも、お母さんも。
***
別の日にまたラジオ(トラック運転手なのでラジオをよく聴く)に耳を傾けていたら、あるアーティストが『悲しみに寄り添う』という話をしていた。
そうだと思う。
自分の性格だって直す必要はない。寄り添っていきていけたらいいし、それを寛容してくれる人を大切にできたらいい。
持病だって完治できなくてもいい。もちろん症状を軽くはしたいが、完治できないのならうまく付き合っていくしかない。花粉症だからって外に出ない人生なんていやだし、お花見は、花粉が落ち着いた頃合いを見て、夜桜を見に行こう。
悲しみも、ムリに乗り越え強く生きなくたっていい。寄り添って、時に泣いたっていい。その悲しみとうまく、共に生きていけたらと思う。
♬Just Right.
この物語のためだけに、番組側が選曲してくれました。
みたいな曲。(和訳へたくそでごめんなさい。)
ありがとう。LIFETIME BLUES.(←ラジコでまだ聴けるかも?)
ありがとう。ラジオ。
ありがとう。オダギリジョーさん。
EACH NEW DAY.