【エッセイ】僕はなぜnoteを書くのか?
しばらくnoteサボり気味でした。すいません。再開します。なんか考えて結果、行動できてませんでした。
なぜ僕は日々の事事をnoteするんだろう?と久々に思いました。そしてそれは、絵描きさんでいう『デッサン』なんだと思った。
自称の絵描きさんであっても、自分が美しいな、とか、残したいな、とか、わびしいな、とか色々思った風景があれば、ささっとデッサンしたりするもんだと思う。それは本番の油絵や造形やなんやかんやに向けた練習にもなる。
街中でも公園でも、絵描きさんがささっとデッサンしているのを見つけると覗きたくなるし、それは楽しい。絵描きさんも多少なら見てもらってもいいからそういう場所にいるんだと思うし、さらっと褒めてもらったりしたら嬉しいと思う。(しつこいのは勘弁願いたい)
僕もいつか、体が動かなくなって、脳ミソだけが動いている状況になっても、上手に書くことができれば何かを残せるかもしれないし、それで誰かを楽しませたり幸せにできたら、と思って書くことを始めた。だったら毎日じゃなくてもできるだけデッサンをしなきゃ!と思った。
そのデッサンの幾つかが後に清書され、大きな意味で世の中に出たらそれは何かの大きなご縁とか宿命かもしれない。
さらさらと思ったことを下書きする。それは僕にとって全然苦にはならない。でも義務でなく、自分から"滲み出るもの"としてそれを書き留めるという理想を日々維持するのは多少難儀な時もある。
それでも、一日一つでも感じることがあることがあったなら、それはきっと幸せな人生。だったら引き続きちょっとずつでも残していきたい。
引き続き宜しくお願いします。
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