【コラム】イケズとはイジワルでなくウィットである。
久々に京をんなの友達と飲みに出かけた。久々にハシゴ酒をした。こんな楽しいもんかと感心した。(笑)
その友達と「京をとこ・京をんな」について話してた。私はただのヨソモンですが、その友人は根っからの京をんな。生まれも育ちもド洛中。
僕は京をんなのねぇさんらが大好きで、最初京都に来た頃は戦々恐々としてたのに、ねぇさんらに「あんたは上手なイケズしゃべらはんなぁ~」と言われる度に僕のはんなりレベルが上がっていくのであった(笑)
そんなイケズについて。今日は少し。
世間では『イジワル』と訳されることが多いようですが「そうちゃうよね~」という話で盛り上がった。
『ぶぶ漬け』の伝説なんて言わずもがな有名な話で、お隣さんのピアノの練習の音がうるさかったら「娘さん、えらいピアノ上手にならはりましたなぁ~」と言うのが京都では正解。『うるさーい!』なんてそんなそんな、引っ越しおばさんじゃあるまいし。口が裂けても言えまへん。
直接的に人を傷つけたくない、京都人の”優しさ”じゃあありませんか。
「イケズ」・・・それは「ウィット(wit)」であって、京都弁→英語→東京弁と訳していくと、それは「気の利いた会話、とんち」と訳されるべきである。
「狐と狸の化かし合い」と言う昔話があるが、化かせる能力がある狐や狸なんてすごいやないの。なんの能力もない狐はんや狸はんは、なにして遊んではんのやろか?そう。化かし合いというのは高尚な”アソビ”。
あと、京都人はそんなに人様に興味がない。それがいい。
自分の好きなもんがはっきりしてる。「私はここのおつけもんが好き」なだけであって、人様がどこでおつけもんを買っていようと「へー、私にはあそこの味はわからんくてすんまへん」と言うだけで、別に自分はおいしいとは思わないけど好きなんやったら食べはったらよろしいやん?程度なのである。その距離感も僕はしっくり来たりする(笑)あんたはあんた。わたしはわたし・・・いらんことせんとって。(笑)
だから東京さんやニューヨークさんで流行ってるもんが来ても全然なびかない。「あそこのお店盛り上がってはったわ。よそさんで。」と。それでいい。もっと言えば、新しい店ができても、仮に潰れても、別にどっちでもいい。なぜなら興味がないから。
ただ、自分の好きなおつけもん屋がなくなることは強烈に嫌がるので、だからよそさんのことは関係なく、好きな店にはちゃんと通い続ける。
「大将、今日は中国人で盛り上がってないやないの~。ほならゆっくりさせてもらえるやろか~」
イケズとは愛でもある。言われてるうちが華。
これからも愛に溢れる京をんなパイセンのお背中、ようさん見させてもらいます~(笑)