ノスタルジック・イタリア
こんにちは、ヨシモトです。あれよあれよというまに世界が変わってしまいましたね。
これは長期戦の様相。僕も次の時代に向けて頭をもう一度柔らかくしないと・・・!!
イタリアに住む友人と連絡をとっていたら、既にイタリアではつい一か月前の世界への『ノスタルジー』が始まっているとのこと。
イタリア人と言えば世界でも有数の距離が近くて馴れ馴れしい民族として有名(笑)僕はそんな彼らも大好きです。ドイツに住んでいたときも、ファッションと食の話をするならイタリア人と決めていました。彼らの少年少女のようなあどけなさは同じヨーロッパ人でもドイツ人とはまた違った魅力。
そんなイタリア人にとって人と肩を寄せ合い、ハグをし、キスをするのは毎日のこと。それは初対面でもそう。むしろしないほうが失礼。日本人なら「こんにちは」と言いながら会釈する、その”会釈”が彼らにとってはハグやキス。日常の挨拶そのもの。
今、イタリアでは多くの人々が自宅で静養し、そしてアルバムを開き、『昔は散歩に出かけ、ピクニックをしたり、フェスに行ったり、海外旅行にも行ったわね。ほら、一カ月前に近所の公園でみんなで撮った時の写真よ・・・あの頃はよかったわ』なんて会話が聞こえてきそう。
既に1カ月前を『昔はね・・・』と”前時代”として懐郷する。そんなことが既に日常となっている。
「バブルの頃はよかった」とかなんとか昔を懐かしんでも決して戻ってはこない過去。急速過ぎる感はいなめないですが、大分類での時代がまたひとつ進んでしまったのです。それをまずは受け入れないと。
本質的な部分として「移動の自由」を制限し「人との直接的接触」を断絶しようとしているところが厄介なのですが、逆に考えれば『移動せず』とも、いかに『人と(直接的でない)接触をする』方法にいかに今後転換できるかが問われている気がします。
ハグハグ大好きなイタリア人からするとそれは日本人には想像できないほどの苦行かもしれません。
日本人なんて人と人との肉体的距離感はもともと遠いし、セックスも少ない(※)し、普段から”直接的接触”が少なめの民族なので、イタリア人に比べたらその”精神的苦痛”は少ない筈。(※筆者調べ)
Pray for Italy.
あどけない笑顔満載のイタリア人に、また笑顔が戻りますように。
そして次なる接触の方法を、みんなで模索していきましょう。
それでもやっぱり、セックスはしたい。(笑)