トガノイバラ #52 -3 異端者たち…15…
「……馬鹿馬鹿しいにも程がありますよ、兄さん。僕たちが、御影ごときを怖れるとでも?」
「御影だけならそうもいかんだろうが――」
彼らが虎視眈々と、御木崎家を破滅させる機会を窺っていることくらい、宗家の人間ならばわかっている。世の勢力図を鑑みても、それ自体が脅し文句になるとは伊生自身も思っていない。
ただ、自分がそちら側につけば話は別だ。
ただでさえ、次期当主の肩書きを持つ伊生が家を出たことで御木崎家の面子は一度潰れている。彼らとともに動くということはすなわちその潰れた面子にさらに泥を塗って踏みにじるにも等しい。いわんや低俗と称してはばからない御影の人間である。
卦伊からすれば――宗家の人間からすれば言語道断だろう。
「……どうしろと言うのです」
「琉里と伊明に関わるな」
すかさず伊生は言った。
「これ以上あの二人に関わるな。今後、御木崎の人間が接触した場合、どんな手を使ってでも二人を護れと――御影には、そう伝えてある。あるいは……今すぐにでも事を起こせと、指示することもできる」
「…………」
卦伊は黙っている。考えている――というふうではない。ただ、黙って聞いている。どことなく蒼褪めて見える弟の顔に、事務的だった伊生の声音がほんの微かに温度をもつ。
「実那伊が――」
その名に、卦伊の瞳が持ちあがった。
「伊明と直接関わりをもった以上、今まで通りとはいかないだろう。あれはそういう女だ」
「……さすが、よく御存知で。まったくその通りですよ」
卦伊が立ちあがった。襖を開け、内廊下に待機していたKratの一員に何かを持ってこさせるよう指示を出す。
荷物を、という部分しか伊生には聞こえなかった。
そうしてあらためて正面に腰を下ろした卦伊は、袂の中で腕を組み、深く長い溜息をついた。
「……僕にはわからないんですが、兄さん」
伊生が目で先を促す。
「御影に対して白旗を振るなんて有り得ない。たとえ兄さんが向こうにつくのだとしても……それでもやはり、無抵抗での降伏など有り得ないでしょう。あなたもそれはわかっているはず。なのに何故わざわざ手の内を明かすような真似をするんです。黙って仕掛ければよかったものを」
「家族のよしみだ」
自分でも驚くほど、その一言は乾いて響いた。ふッと卦伊が笑う。
「もうひとつ。何故、あなたが入っていないんです」
「……なんの話だ」
「『琉里と伊明に関わるな』――先ほど、そう言いましたね。そこにあなたが含まれていないのは何故ですか」
「壁としての俺の役割が終わったからだ」
その意味するところを理解しているのか否か――伊生からしてみればどちらでもいいことだが――卦伊は、そうですか、と返しただけだった。
表情が失せている。口だけが、人形みたいに色なく動く。
「あなたは、御木崎家がいま誰の意思で動いているのかと問いましたね。家の意思だと僕は答えた。宗家の人間として、御木崎の名を守り、さらなる繁栄につながるように僕たちは動いています。それぞれにね。――実那伊は……あなたも知ってのとおり、ゆかしくも強かな女性だ。一度こうと決めたら驚くべき行動力を発揮する」
と、そこへ先ほど卦伊から指示を受けた男が「失礼します」と入ってきた。どこからか持ってきたショルダーバッグと携帯電話を、卦伊に言われるままに卓上に並べ、出ていく。
それらを見て、伊生の顔がにわかにこわばった。
「伊明君の忘れものです。携帯は、庭に落ちていたのを張間が見つけました。ほかにも細々としたものが散らばっていましたが、すべて鞄の中にまとめてあります。お返ししますね、もう必要ありませんので」
伊生はすぐに携帯電話を手に取った。
予想だにしていなかった。
伊明の携帯が、よりもよってこの家に――。
それどころか伊明の手元にないことすら伊生は気づかないでいた。
向こうから連絡がないのはいつものことだし、伊生も伊生で、和佐や遠野に任せておけば大丈夫だろうとメールひとつ送らなかった。
祈るような思いで画面をつけると、スライドロックのみだった。パスワードもなにも設定されていない。
アドレス帳には伊明の友人と思しき番号のほかに、自宅や遠野の診療所、なにかあったときのためにと登録させておいた安良井の事務所の番号までが入っている。
住所を割り出すのは、容易である。
伊生は、卦伊へ瞳をあげた。
先ほど掛けた問いを、もう一度。
「実那伊は今、どこにいる」
「……識伊を連れ、張間と彼の部下数名とで伊明君たちを捜しているはずです」
――すれ違いになったのか。
愕然となったのは、けれど一瞬のことだった。
「卦伊。今すぐやめさせろ。ここへ戻るように言え」
さもなくば――と続けようとしたのを、卦伊がにべなく遮る。
「もう遅いんですよ、兄さん」
卦伊は瞼を伏せていた。
薄く青白い皮膚が、伊生の重たい視線から彼の瞳を守っている。
「つい先ほど――ちょうどあなたが到着した頃です、張間から連絡がありました。『遠野』という男を知っていますね」
考えうるかぎりの最悪の事態が、不穏な影をともなって、頭のなかを占拠する。
「彼が院長を務めるクリニックで琉里を捕らえた――それが、張間の報告です。いま、こちらに向かっているところでしょう。実那伊は別行動をとっているそうですから……伊明君に関してもおそらく時間の問題かと」
「――卦伊」
その呼びかけは、ただの呼びかけではなかった。
青白い瞼がぴくとふるえ、持ちあがる。視線同士かち合うや、卦伊は戸惑ったように瞳を揺らし、ふたたび下方へ落としてしまった。
「……複雑ですよ」
うつろに笑って、
「昔はギルワーに向けられていたその瞳が、いまは、同族の僕たちに向けられている」
卦伊は一度唇を引き結ぶと、あらためて、真正面から伊生を見つめた。
「わかってください、兄さん。僕は――僕たちはあなたが憎くてこんなことをしているわけではないんです。あなたを失うわけにはいかない。伊明君とて同じこと。もちろん、御木崎家を潰されるわけにもいきません。
――あなたの脅迫めいた牽制には……不本意ながら暴力でもって応えます。御影には手を出させず、あなたも伊明君も宗家に従うと約束してください。でなければ、思いつくかぎりのもっとも残酷な方法で、ギルワーの娘を――琉里を、殺します」
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