GID治療のために精神科に行ったら、不眠症とか発達障害とか色々出てきた話。
こんにちは、ユウくんです☆
GID治療のため精神科通院し始めて3年目を迎えるのですが、
その間にタイトル通り色んなことがありましてですね...
その話を、ここに書き残しておこうと思います
(需要があるかは分かりません)
基本的に「終わった話」を書くので、そのことに対しての意見は求めていません。〜すればよかったのに、とか本人が1番感じています!
そのため、そういったコメント、DM等は控えて頂きますよう、よろしくお願いします。
今の病院に通い始めて早2年。
今年で3年目を迎える。
前通っていたクリニックでは、高校の制服のことやその他差別的取り扱いを解消してもらうために診断書を書いてもらっていた。
だけど、家から遠すぎた。
それに気を使って先生が家から近い今の病院を紹介してくれた。
結果的に今の病院に移って、精神的に安定した生活を送れるようになって良かったと思っている。
この間の通院日、先生は言っていた。
「初めて会った時は、GID治療どころじゃないぞ...って思ったよ。」
現在は特に問題なく過ごしているからこそ言ってくれたことだと悟った。
初めて会った時は大学1年生になったばかり。
前通っていたクリニックで書いた自分史や問診票の結果は全て共有されていたらしい。
何書いたかあんまり覚えてないけど、
問診票の項目に「これまでの人生に点数をつけるなら何点か」という項目があり、
「40点」と書いた記憶だけはある。
※高校生の感覚では赤点スレスレ
あのときは、自殺未遂起こしてすぐだったし、
自傷行為もしてたし、
もっと遡れば、いじめ受けたり、殺されかけたり、性別以外でも、色々あって
でも、相棒や友達、パートナーに出逢えたことは、自分の人生でとても良かったことだから
赤点スレスレの「40点」と書いた。
でも、最初そんなに病んでたか...?と当の本人である自分では分からない。
4月は、大学で障がい学生登録をしたので、
何故か体育の科目だけ診断書がいるということで、診断書を書いてもらった。
性同一性障害→性別違和、性別不合に変更された頃だったからか「性別違和」と書かれた。
特にこだわりないので困ることは無かった。
問題が起きたのは5月だった。
5月の通院日が過ぎたある時、俺は眠れなくなった。
眠れても、3時間寝れないくらい。
今思えば五月病だったのかもしれない。
だけど当時は原因が分からなかった。
大学もバイトもボランティアも、全て配慮していただいて、男性として生活出来ていて
何一つ嫌なこと無かったのに。
1ヶ月ぐらい、ほぼ不眠の状態が続いた。
当時の話をパートナーに聞くと
・天井が顔に見えると言う
・急に叫ぶ
・ホラーレベルで号泣
等々、あったらしい。やば。
よく別れなかったね、と思います(ありがとう)
GID治療のための精神科通院から、
不眠症治療のための通院に変わりました。
寝る30分前に飲んでました。
最初は効きすぎて意識失うレベルw
でも、午前中はぼーっとしたり、気持ち悪くなったりしてました。
徐々に効かなくなった時がちょっと辛かった。
ですが、今は完治してます✋
たまーに寝れない時があって、その時服用するくらいです。
9月に入り、GID治療の一環で、発達検査を受けた。
IQは、80くらいでした笑
言語が優位で、89くらいだったかな。
数字や暗唱が相当苦手みたいです。
あと、自閉症ではなかったです。
AD/HDかも、とは暗に言われました。
でも、また検査するのがめんどくさくてやってません笑
自分が生活できないくらい悩んでいる訳ではなかったので…。
先生からは、突発的に行動するのはちょっと困るな〜と言われました。
その時はパートナーも付き添いで来ていたのですが、結果を見て色々納得する部分もあったそうです。
その後は、2ヶ月に1回or1ヶ月に1回程のペースで通い続けました。
昨年11月、精神が落ち着く薬を出されるほどのショックな出来事がありましたが、
今はとっても元気です。
先生とはとても仲良しで、お互いゆるゆるとした関係が続いています( ◜ᴗ¯)🤝(¯ᴗ◝ )
そして明日、胸オペを受けてきます。
精神科に通っている病院とは別の場所です。
だからちょっと不安ですが(´・ω・`)
終わったらまたnoteに書こうと思います。
外科手術に至るまでかなり時間がかかったけど、
後悔はないです。不満もほとんど無いです。
むしろ、恵まれていたように思います。
未治療であったにも関わらず、
大学もバイトもボランティアも友達も
男性として認識されていたのですから。
何となく察している人もいたかもしれないけど笑
自分の身体に対して違和感はずっとあるし、ずっと膨らんでいくように感じています。
だけど、自分を認めてくれる人にたくさん恵まれたおかげで、
それを言い訳にして、何かを諦めることはあまりありませんでした。
さらに、僕が関わるLGBTQ支援団体の皆さまや高校以前からの友達、ネッ友、パートナー...
トランス男子であることを知った上で、
僕という存在を認めてくれたこと、
それがこれからを生きる活力になりました。
高校の友達に関しては、先生に理解がなく、僕と話すだけで、先生によく怒られていました。
それにもかかわらず、友達を辞めずそばにいてくれました。
パートナーは、中学生の時から私のことを知っていて、昔の自分も今の自分も含めて好きでいてくれてる。
女体特有の悩みも、トランスとしての悩みも、男性としての悩みも、ぜんぶ
素で話せる唯一の相手です。
支えてくれた皆さま、本当にありがとうございました。
これからもご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。
正直、高校生の頃は18歳以上生きるとは思いませんでした。
今回の胸オペは、俺にとっての延命治療です。
今は死にたいと思わないし、もう少し生きてみたいなと思っています。
色々あったし、これからも色々あると思うけど、頑張っていきます。
ありがとうございました。
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