5月
5/1
梅雨のようなジメジメ感。夜中「やめて!」と叫びながら起きて二度寝するも悪夢でげっそりしながら起きる。
きゅうりハム玉ねぎのポテトサラダ、豚バラ豆苗ポン酢、厚揚げ豆腐となめこの味噌汁。
5/3
夏のような日差し。赤羽へ。歯科医院の前に「イケメン歯科検診」と書いてあり、歯科医が自らをイケメンと言っているのか、イケメンの人だけが受けられる検診なのか、意味が分からないと思ってよく見たら「イクメン」だったが、なお意味不明。
5/4
おくら豚肉巻き、ちくわきゅうり、新じゃがいもの味噌汁。
5/5
鶏ささみブロッコリー蒸したもの、鯖缶とキャベツの味噌汁、小松菜ちくわなめたけ和え。小松菜ケールキウイりんご豆乳のスムージー。
この前美容師さんと整形の話をしていて思い出した。昔知人と久々に会うと整形していたのである。えっと思ったもののスルーし、しばらくしてから共通の知人男性に言ってみたものの「化粧変えたのかな?」みたいな感じで絶対そういうレベルではなく…「確かに昔の写真と比べると別人みたい」と言っていたが、比べないと男の人って分からないんだ、と衝撃だった。それからというもの、そのことが気になり、さらに不自然で怖く、会うのをやめてしまった。整形後に会っていたらそういう顔なんだと思ったかもしれないし、仮にすごく不自然でも受け入れられたかもしれないが、元の顔を知っていると難しいかも。と考えていたら、そういえば地元にも整形した子がいた。整形の広告って街でもよく見かけるし意外と身近なのか…。
5/6
鮭えのき玉ねぎ人参バターポン酢ホイル焼き、人参じゃがいもブロッコリー蒸したもの、豆腐とわかめの味噌汁。
5/8
去年の11月の終わりに発売されたアルバムを繰り返し繰り返し聴いて、やっと少し飽きた。昔のアルバムも合わせて聴くと昔の曲もまた沁みるほど良くずっと聴いていたい。
5/12
Xでこんなポストが流れてきた。「私の人生は35くらいから始まったので、40くらいで普通の人が20歳くらいで気づくことに気づいたりしてる。」この感覚はとてもよく分かる。私は10年くらい人よりスタートが遅いと思っている。自分のレールの方向を切り替えた以降と以前では自分の感覚としては中身が結構変わってしまった。良くも悪くも。大部分は良くて穏やかにしているのだけど、悪い部分は過去の積み重ねてきたこととの摩擦。過去の自分が作ってきた人間関係にズレを感じる。相手と何を話したら良いのかさっぱり分からない瞬間もある。大きな出来事はZINEに書いたが、その内容は個人的なものなので説明すべきではない人もいるし、変な話、私をひどい人だと思うかもしれない。理解してもらいたいとも思わないし恩とか言われるのもごめんだ。だから別に言わない人には言わない、というかインスタのアカウントを知らない人はそのことを知らない。自分が変わった以降に新しい知人は増えたが、やっぱり学生時代の友達のような関係にはなりにくい。事情を知っている人には顔つきが明るくなったと言われたが自分ではよく分からない。
自分がぐらぐらなときは変なトラブルに遭うこともあった。昔Aさん(年上の人)が私と仲良くなりたいとBさんに言い3人で会うことがあった。私は嫌で断ったのだけどBさんはAさんがしつこいから困っていて1度だけで良いと言われ行った。するとまあよく分からない会で…結局AさんはBさん狙いだったのである。そのことにBさんも気付いており遊びなのか奢ってもらえるからなのかのってきたようだった。それでBさんはAさんからくる気持ち悪い口説きLINEを私や共通の知人に見せたりしていて、色んな意味で嫌だったなあ…。。Bさんは彼氏がいてAさんにはハナから興味がなく、というかイケメンが好きな人だったのでそういう対象ではなかったようだった。まだBさんも実は〜みたいな話なら協力できて良かったかもしれないが、ただAさんが可哀想な期間だった。何でこんなことに巻き込まれてしまったのだろう、とその頃思っていたが、ふらふらしているとそういう人に利用されやすいのかもしれない。Bさんは人望のある人だったから本当に器用な人だったのだろう。
Aさんがそもそも私を口実にBさんに近づきたがっていることに気付かなかったこと、Bさんはそれに気付いていることに私が気付かなかったことは、私の勘の鈍さと人生経験の浅さが原因だったと思う。冒頭のポストの言葉を借りれば私の人生が始まっていない頃にはこういう事故のようなことが時折あった。
カレイの煮付け、こんにゃく甘辛煮、おくらトマト卵スープ、ベーコンピーマンマヨ炒め、豚しゃぶレタス、買ってきたとろろ。とろろが大好きでパックになっているのを買ってみたがあまり好きな味じゃなかった。ねぎしに行って肉なしでセット食いて〜。肉なしでも全然いける。あの味噌漬けも美味しいし…。
5/13
西加奈子『わたしに会いたい』読了。
5/14
暖かくなってきてから時々公園でお昼を食べる。少し前は桜がめいっぱい咲いていて、今は緑が揺れている。風に葉が揺られるさざめくような音と木漏れ日がチラチラと動く中にいると楽しい。公園は誰かいることもあるし誰もいないこともある。この前は80代くらいのおばあさんが2人ずーっと喋っていて元気だった。お昼休みは普段周りの音を遮断するため爆音で音楽を聞いているが、公園で聞こえてくる音はどれも心地よくイヤホンは必要ない。思い出してみると10年くらい前から公園にはたまにきていて、それは誰かと一緒な時が多かった。一人になってからは何となく行く意欲が減った。
5/17
角田光代『ツリーハウス』読了。
昔読んで面白かった記憶があり再読してみた。あらすじをまるっきり覚えていなかったので新鮮に面白く読み終えた。三代に渡る怒涛の人生。この前読んだ『パチンコ』と似たような戦争を巡る疾走感があった。
祖父母→第二次世界大戦を生き延びる。満州から日本へ引き揚げ。6人の子供を産むが生き残るのは半数。父母の代→東京で中華料理屋を営む夫妻。夫から逃げて離婚する子、オウムにハマる子、右翼にハマる子。孫の代→東京でモラトリアム的に生きる。
戦時中の暮らしは裕福なときもあったが、それは満人の土地や資産を奪って得たもの。戦争に負けソ連軍が進駐し満州という国がなくなると夫妻は命からがら日本を目指す。時に収容され、ときに物乞いをし、穴を掘れと言われれば掘り。「生きていく」それだけのために食いつないでいく。現代では生きていくことができても自ら命を断ったり人の道をそれたりする。
5/18
小さい頃から自律神経が敏感であると言われていた。幼稚園から高校まで集団の中にいることはストレスでいつもピリピリしていた。いつもピリピリしているとはどういうことかというと、私は高校2年くらいまで教室で眠れなかった。授業中に眠ることは褒められたことではないが、周りの子は皆眠ってしまうほど教室がリラックスできる場所であったらしい。こんな危ない場所で眠るなんて…とよく思っていた。毎日起立礼をすることが死ぬほど嫌だった。椅子のこすれる音×40人分がまず耳障り、何故立つのか、何故礼をするのか意味不明。それを毎授業ごとにするのが全く理解できない。もっと不思議なのは他の子はそれ自体を特段疑問に思っていないことだった。私だけが自分の納得できないことを受け入れられないでいた。担任の先生が親に「内田はいつも緊張しているようだ」と言ったとき、私はバレている、と思ったし、そんな人はクラスで私だけなのだと分かった。かと言って孤立していたこともなく女子特有のトイレに一緒に行く文化も違和感を持たなかった。何度も似たようなことを書いているが、ハブられでもすれば私は自分の異質さにもう少し早く気付けたろう。スレスレのところで私はいつも「普通」に分類される。乗り物酔いをすることも電車の中が苦手なこともー通勤快速の長い間ドアが開かないことが苦手で各駅を選んでいたこともー、普通の範囲内におさまる。私はどこか知らないところに行くのはひどく苦手で「いつもと同じ」が好き。他の人はそうじゃないらしいと知らなかった。そういう自分の傾向みたいなものを理解して相手に伝えられていたら良かったのかなと思う。話を戻すと高校の途中から突然世界の解像度が変わり、教室でも眠れるようになった。むしろいつも眠くて寝れる授業と寝れない授業を区分していた。成績が良ければ放任なのか授業中に机の下で本を読んでいても良いようだった。それから何回かビッグバンみたいに世界の捉え方が変わっていくタイミングがあって、今に至る。
秋葉原。ロイホ。今日はオムライス。移動して別件。暑い日だった。ヘトヘトで帰宅。
5/19
大学生の頃コンビニでバイトをしていた。そこで驚いたのはフレンドリーなお客さんが多いことだ。話しかけてくる人、お釣りを募金箱に入れてと言う人、〜が美味しいとか感想を言ってくる人。色んな人がいるがお礼を言う人が多い。私の親は多分店員さんにお礼を言ったりするタイプではなかったような気がする。宅配便の人には「ご苦労様」と言っていた。普通の人は店員さんにお礼を言うんだ、と思った。もちろん割合的には無言だったり会釈の人もいるのだけど、なにかを買う→お礼の姿勢という空気を感じる人が多かった。私は多分それまで自販機でボタンを押して買うような気持ちでいたと思う。そもそも知らない人と言葉を交わすという発想がない。子供の頃は家への帰り道に近所の人と会うと「おかえり」と言われたが、何と答えればいいのか、向こうは私を知っているみたいだけど私は知らないし…とか思ってた。ランドセル背負ってたからただ言われてただけなのか?そういう納得できないやり取りは苦手だった。普通はお礼を言うようだ、という世界のルールを受け入れられてからは心持ちはそうである。お店に入って友達も同じような姿勢であると感じることが多いし、店員さんへ横柄な人はいない。
相手への敬意を示すためには愛想を良くするという発想もなかった。むしろ敵視ばかりしてバリケードを張りがち。そのときはそうせざるを得ない事情があったが個として生きていくには難しい。ダメな人がダメな人でいてもいいのが組織なのではと最近思っていて、組織に属せない人は社会が包括していく。個の自分として活動するのは私の場合文章と写真で、写真を撮るときはお相手がいるのでチャンネルが変わる。同じ人と何度かご一緒することも多いので、きっとお相手も私に決定的な不快感情を持ってはいないのでは、と思う。組織でいるときはお互い嫌悪感を持っていても関わるし、それが大人としてのマナー。個としてサバイブしていく能力がもっとあれば…と思うこともあるが今のところお地蔵さんのようにして過ごしていきたいところ。学校も職場もよく今まで属せてきたな、と思う。写真の活動について言えばインスタグラムで「わい、こんな写真撮れまんねん」と明示する。すると「ほな撮られてもええで」という人がいる。その第一段階のおかげでクリアできることがある。技術があれば例え挙動がおかしくても見逃される(のかも)。組織でいるときこの技術はまるで役立たない。
こうしてだらだらと昔のことを振り返っているのは私にとっての過去が一体何だったのかを考えたいから。右利きだと思っていたのに実は左利きだったみたいな。右手で箸を使ってきた、水道の蛇口を回してきた、ドアを開けてきた、そうした出来事を思い出して、あああれは左手を使えば良かったのかと。地図を見るときに自分だけが北が上であると知らなかったような。
湿度が高いせいかうまく眠れず夜中に起きる。今日は気付くとお風呂場の換気扇の音がゴウゴウと音を立てていた。こんな風に大きな音を立てるはずはないのだが、そう聞こえる。今までも何度かこうしたことがあり、洗濯機の音だったり(隣や上の階の人かと思った)、その時々によって音の発生源は違う。でも朝目覚めると換気扇の音なんて耳を澄ましても聞こえない。だからそんな音は聞こえるはずない。これが耳鳴りなのか幻聴なのか…。
表参道で撮影。飯田橋で現像。スンドゥブ屋さんでも椿屋珈琲でも紙の割引券をもらう。私はこういう紙のものをもらうと使うために再訪してしまう。ブリッヂに行くのも同じ理由。柴崎友香『あらゆることは今起こる』を読み始める。めちゃくちゃ面白い。昨日ジュンク堂で文芸の棚を探しても見つからないので調べると看護の棚にあった。
5/20
朝から雨。ものすごく忙しく午前中にトイレへ1回しか行けなかった。午後は息苦しく目が飛び出るようなバリバリ感があり、マグカップのお茶を飲み終えても淹れる余裕がない。苦しくて何回かトイレに入って呼吸を整えていた。夕方急に元気になり、ふと窓の外を見ると青空だった。もしかして天気の影響だろうか。雨の日の頭痛には慣れてきたが息苦しくなるなんて影響を受けすぎだろう。やってられないのですが…。。
5/22
池袋へ。ロサ会館の方は行ったことがなかったが、いかがわしそうな空気。目的地は風俗店の隣にあり、普段遭遇しなさそうな雰囲気の人がちらほらいた。今日もまた白黒つけることが白だった。また杞憂。
5/25
表参道で撮影。飯田橋で現像。待つ間椿屋珈琲で『あらゆることは今起こる』読了。めちゃくちゃ面白い。昼間はメラメラと暑い日だった。
5/27
新じゃが揚げ焼き、新玉ねぎ厚揚げ豆腐の味噌汁、鰤の照り焼き、ピーマンツナ和え。
5/28
森川すいめい『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く』読了。土曜ドラマ『夏目漱石の妻』鑑賞。
5/30
池袋。用事の前に東武で化粧品を買う。2つのお店で1つずつ買いたかっただけなのに綺麗なお姉さんがセールストークしてくれて申し訳なかった。ふとカウンターの鏡に写った自分の顔がブスすぎて衝撃を受けた。片方のお店ではレジがなく、カードは預かれないのでレジまでお願いしますと言われトコトコついていき、仄暗い隅っこで立ったままカードリーダーにさし、品物を受け取った。昔って現金でもカードでも店員さんがどこか遠くまで行って支払いを済ませて持って帰ってきてくれたような気がする。
5/31
朝から雨。体調を崩す予感がし五苓散を飲み家を出る。昼頃には雨は止むも曇りで頭痛がし、夕方には痛さのピーク。どうすることもできず時計をずっと見ていた。晩ご飯について考えることも止め、行ったことのないお弁当屋さんに入りお弁当を買った。やけに扉の開口部が狭いお店だった。