
読書録:山本文緒『プラナリア』
共感するのがこんなに後ろめたい小説久しぶりで、そわそわざわざわしてしまう。
生きづらさの切り出し方が、他であまり経験したことのない感じ。
表題作『プラナリア』の書き出し、もうこの一文でばくっと引き込まれる。
次に生まれてくる時はプラナリアに。
(本文より)
プラナリアってあのあれよ、川にいる、切っても切っても分裂する小さい生き物。
へ?プラナリア???
主人公は乳がんにかかった20代の女性。
がんはすでに手術で除去。からだは月1の通院で問題ないほどに落ち着いている。
でも、手術をしてから、何もかもが面倒くさい。
定職にもつかず、実家で過ごす毎日。
側から見たら絵に描いたようなプー太郎だけど、いや、だって仕方ない。
病気のことがあったんだから。
がんは切除したからもう問題ないように思われて、社会復帰しろという家族からの念もうすうす感じる。
いやいや、でも、病気だったし。
私は彼女のような大きな病気の経験はないけど。
この真っすぐに頑張ることができない卑屈さが、ひとごとに思えない。
世の中ぜんぶを見たら、いかに自分が恵まれているか。
生きたくても生きられない人がいる。
学びたくても学べない人がいる。
働きたくても働けない人がいる。
うるさい。私だって不幸だけど?
そんな思いがざわざわと押し寄せてきて、共感してしまうのが悔しくて。そして、ちょっと怖い。
世界ぜんぶを見回したら私はこんなにも幸せなのに、何でこんなにも毎日ままならないのか。
自分が持ってるカードのどれかを“お荷物”にしないと、何で何でって世の中に背中を向ける自分を説得できない。
誰しもこういうところあるはず、いやでももしかしたらこんなに卑屈なのは自分だけかも…。
そう思ってふわっと蓋をしてたところを見つかった気がして、苦笑いしながら読み終えました。
この小説共感できる人どうしは、すごく仲良くなれると思う。