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ピンクイルカ電車【短編】
みんなのフォトギャラリーから生まれた物語
いつもより少し遅い、午後8時27分。
ぼくは会社から帰宅するため、電車に乗った。
この時間の電車は、あまり混まない。
空いている席を見つけて、腰を下ろす。
今日も一日、デスクワークで疲れた。得意先とのやり取りは、帰るまで何度も続いた。課長の対応も二転三転するし、こんなはずではなかったな。電車に貼られたビジネス専門学校の広告を見ながら、そう思った。
ふと気がつくと、目の前にピンクのイルカが座っていた。
初めて見るピンクのイルカ。
背もたれには、背びれだけをつけて、前屈みになっている。このイルカも会社で疲れたのだろう。
ピンクイルカは、片目を閉じたり開けたりしている。イルカは片目ずつ眠るという。右脳を休ませるために、右目を閉じ、左脳を休ませるために、左目を閉じる、というように。しかし、どうやらうまく眠れないように見えた。右目を閉じてもすぐ開くし、左目を閉じてもすぐ開く。疲れすぎて、なかなか眠れないのかもしれない。
そのうち、頭の噴気孔からくしゃみをした。
「くしゅん」
ピンクイルカは、素早く噴気孔をおさえた。噴気孔はぴくりと動いたように見えた。鼻水でも垂れてきたのだろうか、ピンクイルカは、ハンカチを取り出すと、噴気孔をさっと拭った。
ピンクイルカは自分のピンクのスニーカーを見つめて、うつむいている。ときおり、噴気孔をハンカチで拭った。大きな動きはない。
「具合が悪いんですか」
前屈みになっているピンクイルカに声を掛けた。
ぼくは、普段は人に声を掛けることはしない。どちらかと言うと、人見知りの方なのだ。何故声を掛けたのか、今でもわからない。人ではないイルカだったからか、くしゃみが気になったからか、その両方か。ぼくは、自然に声を掛けていた。
ピンクイルカは、少し驚いたようだった。少し間を空けて、こう言った。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「でも、きつそうですよ。くしゃみしましたよね。お熱がありますか?」
ぼくは質問を続けた。ピンクイルカは、具合が悪くみえたから。
「すみません。じつは具合が先ほどから悪くなって、、、。ちょっと熱っぽいんです。40℃はないと思います」
「40℃?それは大変」
「いえいえ、わたしたちイルカは37℃が平熱ですから。少し熱っぽいだけのことです」
電車は、3つ目の駅を出発した。
「具合悪そうですよ。次の駅には9時まで開いてる病院がありますよ」
「それは人間用ですか?」
「そうですね、人間用です」
「わたしはイルカですから、動物病院じゃないと、ちょっと、、、。」
それもそうだ。
ぼくは携帯で沿線の動物病院を調べた。
「2つ先の駅そばに、動物病院がありますよ。夜間も受け付けていますから、行った方がいいですよ」
「ありがとうございます。家までもう少しあるので、寄ってみます」
しばらくすると、動物病院の最寄り駅に着いた。この辺りでは賑やかな駅だ。降りる人も乗る人も多い。ピンクイルカも、ホームを確かめながらゆっくり立ち上がった。
「いろいろ調べていただきありがとうございます」
ピンクイルカは丁寧にお礼を言って、頭を下げた。
「お大事に」
ぼくも言った。
ドアが閉まった。
ピンクイルカに付き添えばよかったかなと考えた。
それから、ピンクイルカに会うことはなかった。もちろん、ブルーイルカにもグリーンイルカにも会うことはなかった。困っているのにカラーは関係ない。まして、それがイルカでもクジラでもヒトでも。
イルカはクジラの仲間で、大きさ以外に差異はなく、4メートルくらいまでのものをいうらしいということを、後で知った。
これまではこちら。
おひまなら、こちらもどうぞ。