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【オトナになることのうた】Creepy Nuts●「中学12年生」からの「オトナ」「のびしろ」、そして「中学22年生」

ロバータ・フラックが亡くなりました。
名作アルバム『やさしく歌って』は、僕も大学生の時に買って、聴いたものでした。

買ったのは、東大阪市布施の中古レコード店だったはず。ジャケットのピアノのところがくり抜かれていた記憶。

スティーヴィー・ワンダーもでしたが、こんなに洗練されたソウル・ミュージックがあるんだなと思ったものです。

どうか安らかに。


あと、これは病気の話だけど、ピート・ドハーティ……リバティーンズ、ダーティ・プリティ・シングスの彼が糖尿病というニュースを聞いて、ビックリというか、納得というか。でもピート、君より年上で元気なのロック・ミュージシャンだってたくさんいるのに、なんということだ。

ピートには立ち直ってほしい。

ミュージシャンで糖尿病を患っているという話は聞かないですね。公表してないのか。痛風はたまにいるけど。
六角精児の「お父さんが嘘をついた」という曲の二番には、痛風になったようだ、という歌詞があります。


僕は六角さんが好きで、シンガーとしての彼にインタビューができないものかと思っております。去年のアルバムの時にそれは叶わず、CDジャケットにサインをもらったのみ(タワレコで)。先日の葛飾のライヴも行けずじまい。壇蜜さんが彼に惹かれているのは、おそらくは昔気質の破天荒さ、無頼さではないかと読んでいる僕。

そんな折ですが、Enfantsというバンドのライヴに行きました。1時間20分、アンコールなし。鬱屈しているのに、熱い。このまま突き抜けてってほしい。


さて、今日はCreepy Nutsについて。

24才での「中学12年生」、28才での「オトナ」


それにしても、思えばこのユニット名のCreepyは、レディオヘッドの「クリープ」と同じ意味というわけだな。うじうじしてる、とでも解釈できるか。

それはともかく。

Creepy Nutsに関しては、この【オトナになることのうた】の前身である【年齢のうた】で一度触れている。30才になった自分が、かつての15才の頃の自分に向けて唄う曲のことを。

「15才」のリリースは2021年。ただ、曲そのものは2018年から存在していた。

このように、彼らの歌には、年齢を重ねること、大人になっていくこと、大人になってしまうことを意識した曲がいくつかある。

それは初期から存在していて、たとえば、「中学12年生」という曲もそのひとつ。2016年発表のEP『たりないふたり』に収録されている。


タイトル通り、大人の年齢になろうとしているのに、いまだに中学生的な思考や行動が抜けない自分のことを唄っている。9年前には中二病という言葉はもう一般的だったはずなので、それと絡めているところもあるのだろうか。
この時、ラップ担当のR-指定は24才。唄い出しの<あれから10年経ってます>の通り、中二のぴったり10年後だ。そして<周りはみんな大人になってます>。当然この段階での彼らは、さほど知られた存在ではなかった。
さらに終盤の<同級生は子供を抱いてます/俺はマイクロフォンをつかんでます>……これは夢を追いかけることを決めたミュージシャンゆえの心境だろう。
ここにあるのは焦燥であり、やるせなさ、せつなさである。同級の奴らに後れをとっているという思い、もしくはそこで生じるいくばくかの劣等感。

話は戻るが、このしばらくあとに作られたのが「15才」だった(実際には、30才ではなく、27才の時に書かれている)。


順序としては、この後に出ているのが「オトナ」という曲である。

2020年2月のリリース。これは当時、ドラマ『コタキ兄弟と四苦八苦』の主題歌に起用されている。R-指定は28才になっていた。


その時のインタビューが次のものである。

R-指定 今までは自分たちを肯定してたけど、今回は視点が外に向いたと思いますね。だから他者がリリックに出てくることも多くなったし、隣りとか周りにいる人に向けた歌詞が増えたように感じる。でも意識的にというより、自然にそうなっていって。

DJ 松永 「オトナ」もそうでしょ?

R-指定 まさに。「brother&sister 俺達はただ」って言葉も、俺と松永だけじゃない、もっと広い意味での“俺たち”なんですよね。


歌詞では自分や周囲を見つめながら、どうにもうだつの上がらない日常も描いている。そして話に出た<brother&sister 俺達はただ>のくだりにあるように、主人公は普通に生きて、普通に生活をしていくことの困難さを吐露している。そこには彼の危機感が垣間見える。
その行った末に置かれた<また大人になりました>という一行が、こちらの気持ちに突き刺さってくる。

2020年頃の彼らはすでに注目度が上がった段階で、ヒップホップという枠を飛び出すほどの人気はあったはずだ。それでもこうした心理を抱えていた、ということか。

30才での「のびしろ」、そして33才での最新シングル「中学22年生」


続いては、「のびしろ」。彼らの代表曲だが、意外にもシングルにはなっていない。2021年9月、アルバム『Case』の収録曲。


よく知られているように「のびしろ」は人間それぞれの可能性について唄った曲だ。そしてその描写の中にも、自分たちはすでに大人の年齢になろうとしているとの思いが反映されている。

たとえば<良い年のこき方>というフレーズ。いい歳(年)のとり方とか、あるいは、いい歳(年)、なんて言い方は、もはや大人であるという意識が多分に含まれている表現だ。言い換えれば、こうした言葉は、自分が大人であることに対しての世間体、あるいはその自覚、はたまたそれからのプレッシャーを感じさせるものだと思う。
そして何よりも<悪者扱いして来たオトナへ>という表現には、かつて若かった頃の自分が大人(の多く)を敵対視していた事実を表している。

これは、「のびしろ」についても話されているインタビュー。


30代になっても「のびしろはまだある」と前を向く“おじさん哀愁系”の曲と思って作ったが、若い世代の支持に驚く。「(本当に)のびしろしかない小学生や10代が聴くなんて」と松永は笑う。「でも、月日がたって、個人的な話の曲が人の話にもなり、意味合いが変わった。いい意味で自分たちの手を離れた」とR。


おじさん哀愁系……たしかに。

ただ、現在の彼らは、まだ、と言っては元も子もないが、30代前半である。たしかにおじさんかもしれないが、そこまで加齢を気にするような年齢ではないはず。それがここまでの10年ほどの間だけで、ずいぶんと年齢や大人であることについて気持ちを向けているように思う。

しかしこういうものは本人の価値観や個人的な生き方、考え方の問題で、他者がどうこうというものではない。むしろ、他者……世間、世の中の常識や一般的な考え方を意識しているのなら、どうしても出てきてしまうのだろう。

ビッグヒットを放ち続けているこのコンビだが、そうしたところは生真面目だなと思う。本当にダイナミックな生き方ができて、ほかの連中の言うことなんて意に介さず、迷いなく自分の思うがままに生きる!というような人間ならば、こうしたテーマの曲なんてできてこないはずだと、僕は考える。


さて、Creepy Nutsが3月に発表する新曲は「中学22年生」。今回はじめに紹介した楽曲のさらに10年後のストーリーである。セルフアンサーソングとでも言おうか。


彼らが年齢を重ねていくこと、大人になっていくことを意識している姿は、こうして続いている。そこでは今の自分たちのリアルをきっちりと唄っていて、さらに、それにツッコミを入れているところも、Creepy Nutsらしいと思った。

彼らが、おじさんとしての魅力……いや、味わい?と言っておこうか。それをもっと熟成させていった時には、どんなことをラップしていくのか? 今から楽しみにしている。


岩泉ヨーグルト 加糖90g。
このメーカーと岩手の同郷である大谷翔平選手が
おいしくて世界一だと思っているという話を聞き、
一度食べてみようと思い近所から出先までを探索。
しかしどこも大型パックばかり売ってて、
繁華街のデパ地下で
やっと手頃なサイズのを見つけたらこれで(手頃すぎ)。
通販サイトでは140円だけど、
この某デパートでは230円でした…
だいぶ割高では~泣。
で、たしかにおいしい!
「牛」の「乳」という感が濃い味わいですね。
そして大谷さんも郷土愛のある方だなと思った次第

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青木 優
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