【年齢のうた】YOSHII LOVINSON ●ソロ初期の感覚が表出する「20 GO」と「70 GO」
阪神のマジックが3……!
アレ目前。
しかし過去の数々の失敗を踏まえ、われわれファンはとても慎重です(とはいえ、さすがにそろそろですが)。
にしても9月負けなしの9連勝とは誰が予想したか。僕が目の前で岡田監督の胴上げを見るのは難しくなったな~。パインアレ。
さて、今回は吉井和哉。正確には、YOSHII LOVINSONのことを書きます。
以前、吉井和哉で1回ほど語っていますが、LOVINSONはその前段階、ソロ最初期の時代のアーティスト名です。
明日9月13日には、ソロ活動に入って20周年記念となるベストアルバム『20』がリリースされます。
リリースタイミングに合わせるという、昔ネタの多い当【年齢のうた】にしては珍しいケース。
先週から19日(火)まで、渋谷と梅田のタワーレコードのカフェでは吉井和哉とのコラボカフェが営業中とのこと。この2店では彼にちなんだメニューが提供されているようです(すみません、僕は行けてません)。
そしてこのカフェでは、音楽誌『音楽と人』が制作・編集した『音楽と人 -KAZUYA YOSHII 20th ANNIVERSARY EDITION-』(税込800円)という特製のZINEが販売されています。これには同誌が掲載してきた写真や記事の数々を掲載しており、その中には僕のインタビューもあります。さらに、このZINEのために新たに書き下ろした原稿も載っています。
今回のアイキャッチ画像は、その表紙からです。トレンチコート姿が渋い。撮影したのは、2005年の2月かな。撮影地は伊豆~下田でしたね。
というわけでカフェに行ける方は、ぜひとも!というところ。
しかし彼のソロでの活動も20年になったことは、こちらにも感慨深さがありますね。
僕は、THE YELLOW MONKEYはメジャーデビュー直後にライヴハウスで観たのが初めてで、それからホールやアリーナ、スタジアムと各所に足を運んだりしました。しかしご存じのようにバンドは活動休止になり、各メンバーが別々になっていく中、吉井はYOSHII LOVINSONの名義でシングル「TALI」を出して……それを聴いて、彼は本当にひとりでやっていくことにしたんだなぁとしみじみ思ったものでした。
以降、その活動を追いかけ、のちに再集結したイエモンも取材する流れになっていったわけですが。今回はそのLOVINSON時代に彼が残した歌について書きます。
漆黒の世界に覆われた初ソロ作『at the BLACK HOLE』
この真夏に、先ほどの『音楽と人』のZINEの原稿を書くために、昔の吉井和哉のことをあれやこれやと思い出していた。その思い出たちは、もちろん懐かしくはあるものの、中には痛みが蘇るような感覚もあった。
痛みをとくに感じたのは、吉井ソロの最初期であるLOVINSONの時代を反芻した時である。なぜならあの頃は、THE YELLOW MONKEYという巨大な存在のバンドが姿を消してから、時間があまり経っていなかったからだ。
当時のことを時系列的に並べてみる。
2001年1月8日 THE YELLOW MONKEY、東京ドーム公演をもって活動を休止。
2003年10月1日 YOSHII LOVINSON、デビューシングル「TALI」発表。
2004年1月9日 YOSHII LOVINSON、2ndシングル「SWEET CANDY RAIN」発表。
同年2月11日 YOSHII LOVINSON、デビューアルバム『at the BLACK HOLE』発表。
この2004年までにはベーシストのヒーセが自身のバンドでの活動を始めるなど、ほかのメンバーの新しい動きもあった。近い時期に僕は、ドラムスのアニーが若いアーティストのサポートを務めるライヴを観たこともある。
ただ、THE YELLOW MONKEYというバンドは、休止中ではあるものの、まだ存在はしていたのだ。
この後も吉井はリリースを続けていった。その一方で……。
2004年7月7日 THE YELLOW MONKEY、解散を発表。
2004年12月26日 東京ドームでのエキシビジョンで4人で「JAM」を演奏。ここで吉井はバンドが終わっているという事実を痛感。
こののち、翌2005年リリースのYOSHII LOVINSONの2作目『WHITE ROOM』に収録した「FINAL COUNTDOWN」で、吉井はイエモンの解散とその発表をカウントダウンと言い換え、その思いをパワフルなロックナンバーに昇華させている。
こんな経過があったのだ。
ただ、その中でも2003年前後の、どっちつかずのモヤモヤした感覚は今も忘れられないでいる。いま吉井はどうしてるんだ? ほんとにソロになるの?と思っていた覚えがある。
さて、現在。
このたびリリースされるベストアルバム『20』。本作は、ソロ10周年の時のベスト盤『18』と曲のかぶりがない(ちなみに、前出のZINEの原稿に書きそびれたが、そのソロ10周年の頃のライヴを収めた映像集は『10』というタイトルだった)。
そんな話を耳にしてから曲目リストを見た時に、真っ先に探した曲があった。「20 GO」である。
「20 GO」……あれ? ない? あ、そうか。あの曲は『18』のほうに入ってたんだっけ? そんなことを思いながら、そっちを確認し直したりした。
なぜ「20 GO」が気になったのか。理由はLOVINSON時代の中でも、この歌のインパクトはとりわけ大きかったからだ。当時の彼を注視していたファンであれば、この気持ちをわかってくれる方は多いのではないかと思う。
なにしろ「20 GO」は、ソロでの最初のアルバム『at the BLACK HOLE』の1曲目に配されていた。だから当時「これがソロでの吉井の姿なのか!」と強く感じながら聴いたのである。
いや、たしかに、それまでもソロの2曲のシングルは聴いていた。最初のシングルの「TALI」と、それから「SWEET CANDY RAIN」。これらにはマイナーなメロディの中に、センチメンタルな感覚が……せつなさとか悲しみとかが、漂っている。しかしそんな中でもちょっとでも前を向こうとしている吉井の歌声と、それにタイトなビートは、希望的なものを感じさせてくれた。
ただ、楽曲がまとまったアルバムとなると、また話は違う。そこには彼が表現しようとする世界がもっと色濃くあるだろうと思って臨むからだ。その最初の1曲はどんななのか? 「20 GO」は、おそるおそる聴いた、その曲だった。
心底驚いた。イントロから響き続ける、引きずるようなリフレイン。鈍い響きを持つ、濡れしょぼったその音色。そこにかぶさってくる吉井のダウナーな声、ずっと晴れないままのメロディ。
ここにあるのは悲しみのような、せつなさのようなもの。叶わない思いが伝わってくる楽曲だった。しかも、ほぼ全部の楽器を吉井自身が演奏しているというのだ。
みんなが期待と不安で待った、吉井の最初のソロ作のド頭がこれ!? こんなに暗いの??? ひどくビックリするばかりだった。
また、こうしたローファイな音作りとホームレコーディングのような質感は、この前の時代に音楽シーンを席巻したBECKに通じるものを感じる。主にイギリスのロックからの影響を見せてきた吉井において、それはエポックな方向性であった。
ところで前回も紹介したが、以下の記事の一連の中に、僕がこのアルバムのリリース時に寄せた書き原稿がある。
この1stの時期の吉井は、一般のメディアのインタビューには応えず、どこかのフリーペーパーぐらいでしか露出していなかったと記憶している。また、シングルに封入されたハガキで応募するアルバムの試聴会を各地で開いている。稼働はそのぐらいだった。
アルバム全体としては、先ほどのシングル曲や「CALIFORNIA RIDER」、「SPIRIT COMING」のように開放感のある曲もあって、真っ暗というわけではない。ただ、「SADE JOPLIN」や「FALLIN’ FALLIN’」のように苦みを感じるものはとくに刺さったし、最後のインストのアルバムタイトル曲に至っては、不気味で、ユーモラスな気もしつつ、所在なさげでもある。前衛的でも、実験的というものでもない。漆黒のブラックホールで何やってる? 吉井、ソロではどうなっていくのか?と思ったものだ。そしてここでも「20 GO」のメロディがキーボードで弾かれている。
そうやって「20 GO」のことを思い返していて、気づいた。この歌も年齢ソングだったのである。
大人になることを唄った「20 GO」
「20 GO」は、先ほどから書いているように、吉井ソロの最初期の異質さというか、不穏さにおいて筆頭に来る曲である。
しかもこの曲、当時作られたMVもどこかおかしい。おそらく、というか、明らかに「このビデオでCDの売り上げを伸ばしてやろうぜ!」という姿勢が感じられない。いや、実際はセールスをもっと上げたかったのかもしれないが(現実としてアルバムはかなり売れた)、そうした意欲が仕上がりに表れているとは思えない。
むしろその振り切れっぷりはものすごく、そこもこの歌に合っている(と言っていいのかどうか)。ぜひ見てほしい。とはいえ、あんまりまじまじと、真剣に向き合ってもらわなくてもいい。きっとそういう作品だと思う。
シングル曲でもなかったので(リード曲?ではあった?)、制作サイドに下心がなかったのだろう。作中に、吉井本人は一瞬だけ出演。監督は大橋仁。なるほど、納得である。
それはそうと、この曲の中身だ。
「20 GO」は、歌の対象が20歳である。だからさっきのMVでは大人の扉を開けようとしている少女が主役になっている。
歌詞の描写からは、動物、野生、弱肉強食、それに欲望……といったイメージが湧く。みんなOKではない? 電話からの自動音声のような女声で、(ファックを送信します)とくり返されるのがやけに心にひっつく。そして吉井は最後、空に、夜に飛べとメッセージを、エールを送っているかのよう。
もっとも、若い子を元気づける、エールを送るような曲ならば、それっぽい応援歌になっても良さそうだが、そっちに行かないのが吉井らしい気がする。聴いていると、むしろ心の根底に何かが沈殿していくような感覚がある。それはやはり晴れやかではない。しかし決して嫌悪するものでもない。内面に、内面にと向かうような。
言ってしまえば暗鬱なこの曲だが、さきの最初のベスト盤に収録されたり、ライヴでもよくパフォーマンスされてきた。
こちらはストリングスを従えての、ソフトロック的なアレンジ。ずいぶん美しい仕上がりで、まるでスタンダードナンバーのよう。これは会場で生で聴いて、いたく心にしみたものだった。
それにしても、「20 GO」。ここでの吉井の言葉は、この世の中というか世界、社会には、残酷なまでの厳しさがあることを告げているかのようだ。彼はそのことと、そこで生きていくことについて描こうとしたのではないだろうか。
そういえばかなり昔、どこかで観たライヴで、この歌を唄い終えた彼が、ステージが暗転する瞬間、宙に向かってグッと中指を立てていた記憶がある。その姿に、現実やこの世の中に対する抵抗とか、意地のようなものを感じたものだった。
この歌には、吉井なりの人生観がにじみ出ているように感じる。当時の彼は37歳だった。
70歳を唄った?ゆるやかにファンキーな「70 GO」
ところでファンにもそれほど知られていないと思うが、この「20 GO」の前には「70 GO」という曲が発表されていた。2作目のシングル「SWEET CANDY RAIN」のカップリング曲だ。
当時の特徴で、これもほとんどの楽器を吉井が演奏しているはず。ゆるいファンクネス、カタカナだけの(語感優先で書かれた?)歌詞。クリアではない音質も、これはこれで良さがあるように感じる。
いずれにしても多分にセッション的で、スタジオ録音ではあろうが、やや宅録っぽさもある。こう言ってはなんだが、試作曲の感じもある。
今度は、というか、リリースは厳密にはこっちが先だったのだが、70歳のことを唄っているのだろうか。その歌詞はつかみどころがなく、よくわからない。18、17、20……38? これは年齢なのか。おそらく、そうだろう。非常に感覚的で、あまり必死になって解読しようとするのもどうかという歌詞である。
それも含めて、主にひとりで、スタジオでいろんなトライをしていたんだろうという印象だ。その空気感に、当時の彼の孤独感すら感じる。ただ、それは決してネガティヴに聴こえない。
こんなふうに自分個人は、LOVINSONと名乗っていたこの時期の世界にはヘンな思い入れがある。自らの過去に思いをやったり、ついガソリンスタンドで働いてみようかと思ったり。あの頃の作品や言葉には、吉井の弱気な側面が集約されていた。
もちろんそれは吉井和哉の一部分でしかないし、あのままでいてもらうわけにはいかなかった。ここからソロでいい作品を多数作って立派なキャリアを築いてくれたし、やがてはバンドも再集結をすることになり、「もう解散しません」とまで言ってくれて、本当に良かったと思う。
ただ、ふと思うこともあるのだ。LOVINSON期の、あの異物感、寂莫感。あるいは繊細さ、気弱さ。
吉井はこれまでにジョン・レノンやジェイムス・テイラー、あがた森魚、浅川マキへのシンパシーを表明してきていて、とくに彼のこの時期はそんな横顔がリンクするのだ。ロックスターが見せる、また別の表情というか。
あれもまた、吉井和哉らしさの一端だったよな……と思っている。
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