【年齢のうた】ゆらゆら帝国●謎めいた「19か20」
そういえば!
毎週観ている『ヒロシのぼっちキャンプ』のキャンプ地が島根でした。同県出身としてはうれしいことでした。
スーパーで買ったおでんとそばを温めて食べて、「出汁(だし)なんだね、島根は」と言ってたヒロシ。うーんと、そうかな。そこまで思ったことはなかった。
しかし松江のあんな場所に無人島というか中州があって、そこにキャンプ場があるのですね。番組としては何かの紹介とか、誰かの招待で行ったのかしら。
そしてヒロシ、出雲空港(~出雲大社)から松江市のキャンプ場への移動の最中、宍道湖を通ってましたな。ということは……うちの実家が営んでいた盆栽展の跡地の前を通過したはず!
近々、その島根に帰省する予定の青木です。
こないだの日曜はハマスタで阪神戦を観ました。おそらく3年ぶりぐらいに行ったのかな。
試合は、先だって観戦した西武vsソフトバンク戦に続いて、1-0の試合。渋いのなんの。この前日の阪神は7点差からの逆転負けだったのでどうなるかと思ったのですが、なんと点の入らない試合。で、そう思った3日後にまた1-0での辛勝。投手が大変っすわ。
ハマスタの帰りには近くにあるありあけハーバーの本店で買い物しました。初めて行った。同じ試合観たお客さんが多くて、カフェは断念。
今回はゆらゆら帝国です。
日本ロック史に残るサイケデリック・バンド
ゆらゆら帝国は日本のサイケデリック・ロック史上、最も成功したバンドのひとつである。
僕は先日、このバンドの作品をたどり直していた。前回、彼らの作品がバンド名のヒントになったというえんぷていを観たことも少々あるのだが、その前にたまたま聴いたりもしていたのだ。
ゆらゆら帝国は2010年に解散している。それまでは20年以上続いてきたバンドである。
僕はインディの頃にイベントでライヴを観たことがあって、とんでもない奴らがいるもんだなぁと驚いたものだった。当時のドラマーは柴田一郎ではなかった。
ちなみにインディ時代のゆら帝がリリースをしていたレーベルのキャプテン・トリップには当時僕の知り合いのバンドがいて、同じ90年代の半ばに彼らの作品へのコメントをお願いされて、書いたことがあった。
その後には小岩にあったキャプテン・トリップのオフィスに、レーベルの取材にお邪魔したこともある。
ゆらゆら帝国がミディからデビューして以降は、坂本慎太郎にインタビューをしたり、何度もライヴを観たりすることができて、彼らと周辺が最も盛り上がっていくタイミングを見ていた
一時の僕は、坂本の雑誌の連載記事を作っていて、彼に毎月のように会っていた時期もある。今や有名なエンジニアの中村宗一郎さんのスタジオにお邪魔もした。『Ⅲ』から『しびれ』と『めまい』に至る頃である。
神戸だかにライヴ取材に行った時には、打ち上げに参加させてもらって、おお、あの3人が普通のバンドのように打ち上げをしている……と思ったものだ。そりゃするか。
解散して、しばらくしてから坂本がソロ活動を始めてからも、彼に数回インタビューをしている。ソロになってからの表現もおそろしくストレンジで、ディープだ。
もっともこの数年は彼に会うことができていなくて、残念である。
そして今年に入ってからは、ゆら帝のベーシストだった亀川千代が亡くなったニュースを聞いて、驚いたものだった。
亀川の演奏はThe Stars(ゆらゆら帝国のプロデューサー・石原洋のバンド)でも観たことがある。髪が長く、身体の動作はそんなに早いわけではないのに指使いは速く、いつもものすごい低音を響かせていた。それでいてステージでしゃべることもなく、しなやかに、静かに動くばかり。さっきの打ち上げの席でも、隅っこで、やはり静かに何かを飲んでいた亀川だった。
亀川さんのご冥福をお祈りします。
こんなふうに記憶を翻っていたところ、彼らにも年齢に関する歌があったことを思い出した。
「19か20」である。
シュールな描写がされた歌詞の「19か20」
ゆらゆら帝国の年齢ソング「19か20」は、1999年発表のアルバム『ミーのカー』に収録されている。
自分がゆらゆら帝国に初めてインタビューしたのはこのアルバムの時だ。ここから彼らはロック・シーンでもとくに熱い視線を集めるバンドになっていった。
とりわけ音楽ファン界隈に「こりゃ普通のバンドじゃないな!」と思わせたのは、本作の最後に置かれた「ミーのカー」である。先に出たシングルでは7分で、その段階でもすでにサイケで浮遊感たっぷりな曲だったのが、アルバムではなんと25分半もの演奏時間。完全にトリップできるやつだ。
さて、楽曲「19か20」は、このアルバムの「ミーのカー」の前に配置されている。
非常にヘヴィーでブルージーなガレージ・ロックであり、サイケデリックな匂いもする。また、初期のアングラっぽさが残っている感もある。
坂本の歌は粘っこく、ハードなギターで聴かせるサウンドはジミヘンも想起させる。坂本によるギターソロは、すさまじい音色とフレーズである。
曲の真ん中あたりのノイズまみれになる瞬間は、のちの「貫通」に通じるものも感じる。
そして「19か20」の歌詞だ。これがちょっとシュールで、とても簡単に吞み込めるものではない。楽曲のストーリーがどうにもつかめないのだ。墓の中から踊り出す赤ん坊って、どういうイメージ……?
そんな中で、字面だけではわからないが、歌詞の中で「20」を「はたち」と唄っているので、この曲での15、19、それに20は年齢のことを指しているのだろう。
もっとも、これが15才、19才、20才だとしても、こちらはどういうことで、何の、どんなことを指しているのか、つかめないまま曲は進むばかりだ。
【年齢のうた】的にはよくわからない、謎でしかないという結論にするしかないのが悔しいのだが、自分的に「こうだろ」と断言できる何かも持っていない。
言い訳をするなら、こうしたカオス的なところもこの頃のゆら帝の作風で、面白さだったと思う。
この後の彼らはどんどん進化して、ダイナミックなロックを鳴らしたり、そんな中でサイケの淵に誘ったり、バンド形態ではない音楽を聴かせたりしながら、後期に向けてはいよいよ孤高の存在になっていった。
そうして突然の解散発表で、本当に幻のように目の前から消えてしまったのだ。
ゆら帝以後も、メジャーシーンでサイケデリック・ロックがそこまで盛況だという状況はない。ただ、Tempalayやドミコ、その前のOGRE YOU ASSHOLEのような、最初からストレンジ感満載のサウンドがバンド・シーンの中でも脈々と出てきているのは、そうした音楽の存在が認められているという事実の裏付けであるように感じる。
数年の間だったけど、ゆらゆら帝国の音楽にリアルタイムで浸ることができたのは幸せだった。
興味のある方は、今からでも遅くない。この深遠なるサイケ空間を旅してみてほしい。