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【年齢のうた】西野カナ●「25」「27」「29」…年齢ごとに移りゆく気持ちのリアルさ

日本シリーズは観戦に行かない、というか、行けない青木です。
千葉開催だったら観る可能性はあったのですが、関西までは行けないなあ。渡辺謙のように8日間もホテルを押さえられないし。

日本シリーズ自体は、東京ドーム(2012年)と神宮球場(2015年)で観たことがあります。どちらも日本一が決まった試合でした。あの頃のジャイアンツとホークスは強かったですね。

と、そんなことを思い出している最中……先ほど、BUCK-TICKの櫻井敦司さんの訃報を知りました。

とても残念です。楽曲の濃厚な世界と、何度か観たライヴでの存在感は、ものすごかった。圧倒的でした。
ご冥福をお祈りします。


そもそも、このところ、アーティスト側の体調不良によるライヴの中止や延期などが多くて、なにかと心配です。
こないだのサム・スミスは横浜2日目でしたが、

国内アーティストでも不調の方が続出しています。
みなさん、どうかご自愛ください。


ベテランが並んでて(例外もあり/取材したことある人多数)、心配ですね。山崎まさよしは体調ではないので、彼については違う角度から、気がかりです。

それからこの【年齢のうた】、前回のハイロウズは、本文中に登場した水道橋博士さんにツイッター(現X)で名文であると紹介いただき、noteではいいねももらいました。感謝します。

さて、今回は、またまた自分が書いたことがなかったアーティストについて書きます。
西野カナ!
そうです。僕にとって、決して近くはなかった人です。

とはいえ、「トリセツ」はよく耳にしていました。親戚の子が好きだったはず。

これも2015年、8年前の曲か。歌詞を聴き……いやぁ、初めて出会ったあの日のことなども時間が経つと忘れてしまうものなのよ。というのは、大人の無粋さですね。はい。すみません。

しかしこれ、さだまさしの「関白宣言」(1979年)の系譜にありそうな曲だな。

と思ったら、この2曲については、とっくの昔に比較論がたくさん語られてました。だいぶ以前の曲だし、そりゃそうですね。興味のある方は探してみてください。

で、そんな西野カナに年齢ソングがあった、という話です。

「25」から始まった一連の年齢ソング


この【年齢のうた】の準備を進めている頃、いろいろ情報収集をする中で、西野カナにも年齢ソングがあることを知った。どれもシングル曲ではないので、外野にいた自分が知ることがなかったわけだ。

その前に、簡単におさらいをしておこう。
西野カナは1989年、つまり平成元年の3月生まれ。三重の松阪市の出身とのことである。
民謡を習ったりしている高校時代に女優オーディションを受け、それをきっかけに歌手への道が開ける。数年間レッスンを重ねたのち、2008年2月、SMEレコードからシングル「I」でデビュー(18歳での歌手デビューで、この曲が出た翌月に19歳になっている)。当初から、歌詞を自分で書くシンガーだった(なお彼女は、作曲は基本的にしない人なので、「シンガーソングライター」とは呼ばない部類になる)。

やがて西野は数々のヒット曲を放つようになり、当時のJ-POPシーンのど真ん中で活躍するようになる。

僕個人の見方だが、この2000年代(ゼロ年代)以降の音楽界周辺では、ネット環境が整ったためなのか、楽曲や作品、またアーティスト自身についての解析・分析に寄った語り方がそれまで以上にされるようになった感がある。そこで歌詞に対する分析がさかんに行われる中で、主人公が好きな相手に会いたがるラブソングがJ-POPにはやけに多い、という意見があった。西野カナの歌もそこに含まれるものだったということか。

まさに一世を風靡した彼女だが、2019年の2月までで活動を休止。
その後に結婚したことを発表し、現在は34歳になっている。今年の夏には最初のお子さんが産まれたとのこと。おめでとうございます。

そうした活動の中、西野は、年齢についての歌をコンスタントにリリースしていた。それもなんと3曲も、一連のシリーズのように残している。女性が自分の年齢の歌を、連続もののように唄うことは、ちょっと珍しい。

最初は、25歳の時にリリースした「25」。時は2014年5月、シングル「We Don't Stop」のカップリングである。

ということはデビューから7年目だ。そこで自分のリアルな年齢を歌にするとは、何か思うところがあったのだろうか。

以下はその25歳当時のインタビュー。この時に出したアルバムタイトルが『with LOVE』で、取材の席の話でも恋愛に関することが意識されている。

その中で、これは収録曲「恋する気持ち」についての話。

18歳のときより25歳の今のほうが素直に誰かを好きになることがとても貴重で、ものすごい出来事のように感じるんです。とはいえ、恋に落ちた瞬間って、年齢関係なくピュアな気持ちになることを改めて感じたんですよね。歌っているだけでもワクワクするし、ライブで盛り上がりたい曲になりました。


若い子らしい話題である。インタビューではこのような話が続く。主に好きな相手やデートのことなどの恋バナとか、ひとりの女の子の、ほんとに日々の話題。そしてそれらは、彼女の歌の世界とナチュラルに連続している。音楽の話はあまり出てこない(多少はある)。

そうして今、こんなふうに西野の歌を聴き、本人の発言を読んでいて、思う。この日常感というか、何気ない感じこそが、彼女のリアルだったのだろうと。そしてそれゆえに、多くの人々の支持を得ることができ……最大公約数の人気を獲得することができて、大ヒットしたのだろうと。
おそらくそこには、共感というやつがある。

続いては、「27」だ。こちらは2017年5月のリリースで、シングル「パッ」のカップリング曲。

いきなり結婚ラッシュとか転職サイトという話題から始まる。いかにも20代後半という趣で、それだけ2年という時間が経っているのを感じさせる。
とはいえ、歌のベースにある日常性は変わっていない。相変わらず、何気ない話題やものの見方が主体。
そしてそれゆえに、この2年の間の主人公の心の変化が、より鮮明に感じられる。

「もう25歳くらいから若者じゃないって感じていました」


彼女による年齢ソングの最後は「29」。2018年11月の発表で、ラブソングを集めたベストアルバム『Love Collection 2 ~mint~』に収録された。この曲を書く頃には、その後の活動休止を視野に入れていたのではないかと思う。

20代や青春に別れを告げる歌である。これも当時の彼女のリアルなのだろう。
このMVは、「最後の20代」を記念して制作した楽曲らしい。「この曲に合わせて思い出のスライドショーを作りたいくらい、本当に私そのまんま」とのこと。

この当時のインタビューである。


29歳は、最後の20代だからって意気込んでいたんですよ。でも、いざ意気込んでみても、何をしたらいいかわからず(笑)、普通の毎日を送ってきて。ただ、20代が終わってしまう寂しさはあるけど、30代への期待の方が大きくて。周りの人に「30代が一番面白いよ」って言われていたのも影響しているんですけど、1回、リセットできるような感覚もあって。30代に向かって、楽しく進んでいきたいなっていう曲ですね。

――若者との世代感の違いについて書かれた歌詞があります。

好きなミュージシャンやドラマの話が通じなかったり、自分が「え?~知らないの?」って言われていたことが、逆になってきた衝撃があって(笑)。私もそんな年齢になったんだなって思います。

――若者のカリスマで、平成生まれの歌姫と称された方が、そんなフレーズを歌うことにこちらも衝撃を受けました。

“平成”も終わっちゃいますからね。デビュー当時は、“平成生まれがきた!”みたいなインパクトがあったのに、平成生まれも30歳になって。自分でも衝撃的ですが、もう25歳くらいから若者じゃないって感じていました。だって、23歳ぐらいの時に、道端で出会った高校生に「あ、西野カナ。思ったより若いね」って言われて。でも、ティーンの子からしたら、23歳でも十分大人なんですよね。


年齢を重ねている自分を痛感したという西野カナ。そしてこの中の「もう25歳くらいから若者じゃないって感じていました」という言葉には、強い実感がこもっていそうだ。
25歳の時のこの感覚は、下の世代の人がどんどん入ってくる音楽界にいるからではないだろうか。というのは、彼女みたいに若くから働いている人なら、25歳ともなればもう中堅ぐらいのポジション感になっているように思うからだ。

といっても、そうした感覚もさまざまあるのでは?とも考える。ここではJ-POP、今の音楽シーンという場所だからそうした話だが、もっともっと若い人だらけの集まりもあれば、反対に年寄りばかりの職場だってある。しかも、その中での個々人のキャリアもまちまちだったりすると、若手、中堅、ベテランの構図なんて、ほんとにケースバイケースだろう。

ただ、現状を思うと、概して、職場でも知人同士でも、25歳ぐらいなら「自分はまだ若いほう」という意識のある場合が多いのではないかと思う。そのぐらい現代はどこにいても高齢化が進んでいるし、その上で価値観も多様化している。
その結果、僕は、若者が大人になっていくスピードや、大人だとみなされるタイミングが、どんどん遅くなっている印象を持っている。

この一方で、自分の環境だとか自身の意識の問題で、「早く大人にならなきゃいけない」と考えている人、または「早く大人になりたい」という人だっているだろう。そこは昔も今も同じだ。
ただ、そうではあるが、全体の傾向としては、大人へとなっていく速度感はゆるやかになっていると思う。そう考えると、西野カナが25歳から「もう若者じゃない」と思っていたのは、早いほうのはずだ。
そこにはもしかして、25という数字……四捨五入したら30、というのもあるのだろうか。

こうして書いていて、ひとつ思い出した。もう30年も前だが、自分が25歳の時に、職場に22歳の子が入ってきて、ずいぶん若いなぁ、いいなぁ、と思った覚えがある。若い頃はそのぐらい、ほんの1、2年の年齢差すら、とても大きく感じるものだ。もっともこれは歳をとるにつれ、どんどんどうでもいいものになっていくのだが。

話を戻すと、西野カナには、25歳の時にもう若者じゃないと感じはじめていた節があった。その思いがあった上で「25」という曲が生まれた、という見方もできるのではないだろうか。

なお西野は、30代になることへの期待については、次のインタビューでも語っている。

「仲のいい友達としょっちゅう女子会を開くんですけど、多くなった話題は仕事のことですね。後輩に嫌われないためにはどうしたらいいんだろうとか。あと、結婚も常に話題に挙がるテーマ。私も結婚願望はあるんですけど、若いときは27歳までにと思っていたのが30になり、32になり……とどんどん上がっているので、最近は流れに任せようと思うようになりました(笑)」

「まわりの30代の方が本当に元気でハツラツとしているので、自分もそんなふうになれるのかなとワクワクしているんです。曲も、そんな自分の変化に合わせて今までにないものを作っていけたらいいなと思っています」


また、ここで紹介した年齢ソングの「25」、「27」、「29」については、こちらの記事でも考察されている。


西野カナの歌は、そのまんま。ストレートだ。革新性や高い文学性があるわけではなくて、聴き手が言葉の裏の意味を読もうとするような行為も不要。言い換えれば、それゆえに多くの人たちが聴いて安心できる、また感情移入もできる歌なのだと思う。
自分は今まで彼女の曲をたくさん聴いたわけではなかったが、今回こうして接した歌たちからは、どれからも素直な、まっすぐな心情が感じられた。
でも大人からすると、25歳なんて若い若い! まだ可能性でいっぱい! そんなふうに思う。

ともかく、西野がこうして若い世代のリアルな気持ちを歌にして残したことには、リスペクトを示そうと思う。
そして、元気ハツラツの30代の人たちを憧れた彼女が今、家族と幸せに過ごしていることを願う。


阪神には日本シリーズを頑張ってほしい!
パインアレが入手できないので、
このハロウィン仕様のパインアメで応援。
しかし、なかなかやり手の業者である

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青木 優
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