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2月2日 『ひとひら』

死とは、いったい何を指すのだろうか。

心臓が止まった時。
思考が途絶えた時。

自分で食事を摂れなくなった時。
歩くことが出来なくなった時。
話すことが出来なくなった時。
自分が自分でなくなった時。

君に忘れられてしまった時。

なんてことを考えながらコップについた水滴を眺める。

ねぇ、何考えてるの?

と君が言った。

ううん。なんでもないよ。

と僕は言う。
考えていた事を言葉にすれば、君の声に触れた瞬間の余韻まで壊してしまいそうで、ただ微笑んだ。

人って、いつ死ぬんだろうね。

ふいに君が呟いた。
君は僕が考えていることがまるで分っていたかのように、話しかける。

そうだね、いつ死ぬんだろう。

私まだ死にたくないな。

そうだね、まだ死にたくないね。

コップについた水滴は重力に逆らえずに落ちていく。
君は僕を見てふっと微笑んだ。

君は一生懸命に生きている。
命の火が消えるまで、一生懸命に。
息を吸って吐いて。

君はいつも笑っていた。
ひまわりのように満開の笑顔は、周りの人を笑顔にした。
まるで楽器のように発する歌声は、誰もが心酔した。
君はいつも美しかった。

君との思い出を振り返る。

あれ、うまく思い出せない。
きっと、今はそれどころじゃないんだな。

君は確か、玉子焼きが好きだったね。
甘い玉子焼きが好きで、しょっちゅう味について喧嘩したっけ。

君はとても優しかったね。
君はとても優しかった。

開いた窓から、ふわっと風がそよぎ、
僕の頬を掠めていく。
君の髪が揺れ、まるでその風は君を連れて行ってしまうような気がして、
僕は必死に君の手を握った。

僕は君を死なせたりしないよ。

君は目を瞑り涙が流れた。
頬を伝う涙が重力に逆らうことなく、静かに落ちる。

心臓が止まった。
それでも君は、最後まで美しかった。



君がいなくなった僕の人生は、
あまりにも静かだった。

窓を閉めたら、息が止まりそうで、君がいた記憶まで閉じ込めてしまいそうで、そのままにしていた。

カーテンが揺れるたびに、君の髪が風と共になびいていたあの瞬間を思い出す。

君の好きだった甘い玉子焼きの味を、もう僕は思い出すことが出来ない。
君の声も、君の香りも、君の笑顔も、どんどん僕の記憶から剥がれ落ちていく。

僕は、もう、君のことを思い出すことが出来なくなってきてしまった。
僕は、ただ空を見上げた。

ねぇ、今、どこにいるの?

窓から風が吹く。
ふわっとカーテンを揺らす。

君のことを忘れてしまうなら、いっそ。

僕も、今から君の元に行くからね

だから、お願い。

どうか僕をひとりにしないで。



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