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精神科の閉鎖病棟に入院した話

実は3ヶ月前に色々あって入院してました。
今は普通に退院して普通の生活を送っています。
書くかどうか悩んでたんですけどね。
入院中にすることなさすぎてちょこちょこ日々のことを書き溜めてたから、
供養も兼ねてnoteにしたためようと思います。

1月某日
些細なことが積み重なって大きくのしかかってきて耐えれなくなってしまった。
普段ならどうでもいい気にならないことも気になり始めて、
常にイライラしてた。
それが限界を迎えてしまった。

どうしようもなく死にたかった。
とにかくもう死ぬしかないと思った。
生きられる気がしなかった。
だから死のうとした。
でも結果的に失敗してしまった。
所謂自殺未遂。
死に方は首吊りを考えてたんですけどね、薬とお酒大量に飲んだせいでまともに高い所にロープを結べなかったんですよね。
わざわざ思い立ったその日にドンキでロープまで買ったのに。
そして考えたのがこのくそ寒い時期にさらに雨にもってこいの入水自殺を選択した。
完全に記憶も虚ろでふらふらと川に飛び込んだことまでは覚えてる。
気付いたら屋根のある所で横になっていた。
助けられたのか自力で上がったのかはわからないけど、生きてしまった。
フラフラでまともに歩けない状態だったはずなのに、
自分で水からあがったとしたら
人間の生存本能ってすごいですよね。

そんなまだ意識がはっきりしない中でもわかった事、
それは死ねなかったという事。
激しく後悔した。
途方に暮れたまま雨に打たれてたら警察に保護された。
妹とか色々なところから通報がたくさんあったらしい。
幸い後遺症はなく、低体温にもギリギリなっていなかったらしい。
保護されてからしばらくはまともに歩けないし、喋れない状態が続いた。
飲み物も食べ物も全く受け付けない。
というか喉がうまく動かない。
大事な財布とか指輪、靴片方とか色々無くしたことにも後から気付いた。

実はこの1ヶ月前の2022年12月にも同じ様な寒くて雨が降る日に
近所の欄干で首吊りで死のうとしたけど、結び方が甘くて死ねずに川にダイブした。
その時は入ってすぐ、一瞬で助けられた
この日はOD等してなので、助けられたことは完璧に覚えてる。
雰囲気が今にもな感じで怪しいから注意して見ていたらしい人がいたみたい。
その節はご迷惑おかけしました。

この時はまだ死ぬことを諦められずに、
その次の日に山かどこかで首を吊ろうとした。
その道中大切な人に
送った最期のつもりのLINEを何通かやりとりするうちに思いとどまった。
頑張ってまだ生きようと思った。
そして今回の入水でリベンジにつながる。

何故2回も失敗しているのに入水を選ぶか
それは引き上げられなければ綺麗になくなるんじゃないか、魚とか鳥の餌として摘まれた後は骨となって沈んで溶けてなくなれると思ったから。
死体となって上がった場合は膨らんで醜い姿らしいけど、死んだらどんな見た目だろうと関係ないしね。
結局生きてしまったんですけどね。

そして保護されてから何日かして病院に連れて行かれ、そのまま入院となった。

以下入院時に書いた日記を推敲しつつ書いたもの。
何も起こらなすぎて日付が結構飛んだりするけど、
閉鎖病棟に興味がある人はリアルな入院日記を読んでみてはどうでしょうか。

1日目

何の準備もしないまま来てしまったので、泊まるための物は一切ない。
頭の整理が付かないまま自室へ通された。
初めての診察の時に号泣してしまい、
あまりに酷い鬱状態とのことでそのまま入院が確定。
その日は絶対に送らないといけないデータがあったので、
一度帰らせて欲しいと懇願してみた。
病院の先生もこのまま帰してしまう→逃亡→自殺リベンジを警戒して帰らせてはくれなかった。
結局そのまま自室へ案内された。
後ほど妹がpcを持ってきてくれてデータ問題は何とか解決した。
この時に入院に必要なものも妹が買ってきてくれた。
部屋はよくある普通の病室。
ベッドが4つに各々カーテンで仕切るタイプのやつ。
カーテンで仕切っただけの心許ないパーソナルスペース。
普通の病院と違うのは、
外に通じる扉全てに鍵がかかっている。
閉鎖病棟と聞いて真っ先に想像するような鉄格子はなかった。
自力では外に出れない普通の病院って感じ。
ちなみに窓も少ししか開かない。
飛び降りとかあるしそらそうかって感じですね。

病室に案内されてすぐ48歳のアベというオッサンが話しかけてきた。
呂律が回ってないしかなりどもっているので何を言ってるかわからない。
でもとても元気よく挨拶してきたついでに色々話してきた。
一生懸命聞きとって返事をするが、
さっきまで号泣してたやつの精神状態で会話を続けるのは体力的にも精神的にもきつい。
軽めの挨拶で済ませたかったのに若干めんどうになったので、
無理やり話を切り上げてカーテンを閉め切った。
それでもまだ話しかけてくるので、さすがに寝たフリをして無視した。
アベ以外にも
よくわからない言語で話しかけてくるやばいやつ
ずっとうろついてるやばいやつ
車椅子のやつ
なんか一生キレてるやつ
お父さんとかお母さんとかお姉さんとか一生呼んでるババア
毎日同じ曲をずっとループで聞いてる人
あーあーあー言いながら歩き回る人
徘徊してる普通そうな人
談笑している人々
色んな人がいた。
カオスが混在していた。
何もないかのように同一空間で普通に時が流れているのがすごい。

それ以外は特に変わった事なく初日に起こったことはこれだけ。
その後採血とか検温とかその類の診察して薬飲んで終わり。
晩御飯が運ばれてきたけど、
全く食欲がなかったのでそのまま全部残して寝た。

ちなみに携帯も没収された。
10-15時しか携帯使えないらしい。
つらすぎる。

2日目

起きたら物凄く体が痺れている、手の震えが尋常じゃない。
完全に前日からたばこを吸っていないことによる離脱症状だと気付いた。
思えば前日の朝11時くらいに診察があって、その前に吸ったきりだ。
今まで生きてきてこんなに吸わなかったのは何年振りだろうか。
初めて禁煙した時もこんな感じだったなと昔がフラッシュバックした。
さらに喉もめちゃくちゃ乾いてる。
とりあえず自販機にダッシュして乾き死にすることは何とか免れた。
離脱症状に耐えながらベッドで過ごしていると、
病院の職員が病室の自分のベッドの所にきて開口一番
「ジュースは勝手に買わないでください」と言ってきた。
人生で初めての怒られ方をして一瞬パニックになった。
勝手にジュースを買うなって耳馴染みがなさすぎたけど、とりあえず謝った。
ジュースは勝手に買っちゃダメらしい。まじで意味がわかんなかった。
頭の中を何度も職員の声が反復した。
後日理由を聞いたら他の患者との金銭的な格差を極力なくすためらしい。

その後入浴タイムがあった。
大風呂の銭湯みたいなタイプだった。
無理。本当に無理なんです。昔から温泉とかその類無理なんですよね。
吊り革触るとかゴミ箱に落としたもの拾うために手突っ込むとか余裕なのに、
温泉とか大浴場とかはまじで無理。あとプールも無理。
せめて個室のシャワーみたいなのはないかと職員に聞いたら、
これしかないとの答え。
この日を逃すと入浴タイムは何日か後。
ちなみに週に2日しか入浴日がない。
入るしかない。
小さい頃におばあちゃんちに泊まりに行った時に入った銭湯以来の大風呂。
他人と風呂に入る。
ただ、どれだけ頑張っても湯船は無理だったので、シャワーだけで退散。
湯船に浸かってくださいと言われたけど、本当に無理と訴えた。
それ以外は特に何事もなく2日目終了。
ちなみにまだご飯は喉を通らない状態。

3日目

ここまで他人との接触を極力避けてきたが、
ついにアベと少しだけコミュニケーションを取ってみた。
なんせ入院期間目安90日間と宣告されてしまったから。
その期間他人を排除して孤独に生きるようと思えば性格上別に余裕で生きられる。
しかしここのルールとか仕組みが全くわかってない。
だって初日に何も説明されずただ部屋に通され、
ただ診察をされ、
薬を与えられ、
寝かされただけなのだから。
何時にご飯が出てくるのか、
何時に消灯なのか、
その他諸々何もわからない。

入って3日目ともなると流石に精神的に落ち着いてきて、
入院生活や今後のことの方が気になり始めてきた。
今までも何かと話しかけてきたり、
一緒に何かをするかとしきりに誘ってきてたアベ。
でも拒絶モードでATフィールド全開だったオレ。
この日もめげずにトランプに誘ってきたので、
とりあえず誘いに乗ってみた。
トランプは食堂らしき広間で行われた。
何をするかと思えばまさかのタイマンババ抜き。
突っ込みたい事ありすぎたけどとりあえず2−3戦付き合った。
「2人だと面白くないな」
アベが呟いた。
「ったりめーだろ馬鹿かお前?」って言葉が喉を通り過ぎてもう後、
喉ちんこを揺らせば音がとなり言葉となり発せられる手前で何とか抑えた。
「まぁ、どっちが何持ってるかわかりますからねー」
が精一杯譲歩した返事だった。
その後唐突にアベが立ち上がりどこかに行ってしまった。
この誰も知らない、何もわからない食堂に置き去りにされた。
しばし呆然として部屋に戻ろうとしたタイミングでアベが3人ほど仲間を引き連れて戻ってきた。
何故か安心したような落ち着いたような気持ちになってしまった。
どうやらこの短時間でアベを受け入れ、あまつさえアベに依存しそうになっていたのである。
知らない場所で孤独ってこんなにも心細いのかと身を持って思い知った。
そしてすることが無いからひたすら消灯時間を待つだけ。
でも日中全く疲れてないからただただ電気を消されただけ。
目冴えてるから寝れない。
ただ消灯時間を過ぎれば睡眠薬をもらえるから嫌でも寝れる。

3日目の思い出はこんな感じ。

6日目

ついにたばこに変わるものを発明した。
ストローの先に歯磨き粉を詰めて吸う。
そうすると清涼感を得られ普通の空気では無いものを吸えてる若干の満足感がある。
完全に世紀の大発見。
口にストローを持っていく動作、吸う動作が生活に追加された。
これでちょっとだけ1日の時間、24時間のうち何百分の1、何千分の1は消費できる。
つまり入院生活そのくらいやることが無い。
初日にタバコを棚に置いたことがとても悔やまれる。
VAPEだから吸おうと思えばバレずに吸えたのに。

ちなみにその日の夜大事件があった。
夕食の酢豚にパイナップルが入ってた。
やっと食事ができるくらい回復してきた矢先の事件。
酢豚自体は食べられるけどパイナップルが入った途端食べれなくなる。
整理的に受け付けなくなる。
食事は最初にアレルギーを申告した。
申告したからと言って何か特別に作ってくれるわけではなくて、ただアレルギーのある食材を使った料理を退けるだけ。
要するに何か無い状態で運ばれてくる。単純に損してる状態。
アレルギー申告のせいでただでさえ何かが無い、何かがあった痕跡だけのあるお盆。
そこからさらに酢豚がなくなると食べる物は白ごはんとちょっと盛られた漬物しかなくなってしまう。
明日何が出てくるかもわからないこの状況下。
下手したらお盆に何も乗ってない日が来るかもしれない。
このパイナップル入り酢豚を残す事は割と死活問題。
残せば死に直結しかねない。
頑張って食べた。
ちなみに病院食は例に漏れず味がない。
うまそうな見た目と匂いなのに味がない。
麻婆豆腐、ハンバーグ、色々出たけどまじで味がない。

7日目

ついに翌日からの外出許可が出た。
外出と言っても決められた時間に病院の近くを散歩できるだけ。
それだけでも全然違う。
なんせタバコが吸える。
次の日が待ち遠しすぎる。
かと言ってすることがないので寝るしかなかった。
本当にすることがない。
まじで外を見るしかすることがない。
毎日無駄に天気だけは良い。

8日目

ついに外出をした。
面会に来てくれた猛者が現れた。
タバコを持ってきてくれた。
早速吸った。
タバコが吸える喜びをこんなに噛み締めたことはなかった。
初めてタバコを吸った時のような所謂ヤニクラが襲ってきた。
それすらも心地良い。
幸せってこんなに身近にあったんですね。

10日目

初めて洗濯をした。
朝食後の外出できるまでの暇な時間にしようと思ったら、
6:30までに言えと怒られた。
知らんそんなルール。
まじで何も教えない割には謎ルールを押し付けてくる。
イライラする感情もやっと戻ってきた感がある。

11日目

るろ剣を差し入れてもらったので読み進めていたら、
23巻がなかったので読むのやめた。
割と大事目な話のところが飛んでた。

12日目

ついにギターを弾いていい許可が出た。
30分から1時間(日によって変わる)週3日くらいギターを弾く部屋を与えられた。
少ないけどそれでもギターが弾けるだけで幸せだった。
妹に持ってきてもらった。
ここまで弾かなかったことなんて人生で初めてだった。
そして案の定全く弾けない。
右手も指もまったく動かん。
でも楽しかった。
ギター始めた頃の気持ちに戻れた気がした。
ギターってこんなに楽しかったんですね。
そしてギターと一緒にiPadを手に入れた。
これで暇つぶしが捗る。
たくさん買って読んでなかった小説から漫画までとにかく読んだ。
歌詞書く時にインプットが足りないけど本読む時間がないって嘆いてたけど、
この機会にたくさんインプットできた。

18日目

iPadを没収された。
またする事がなくなった。
とりあえず23巻がないから途中で読むのを辞めてたるろ剣をまた読み始めてみた。案の定割と大事目なところがすっとんで話の終盤になっている。
それでもこれしかすることがないので勝手に補完しながら読んだ。
ちなみにこの辺りで曜日感覚が完全になくなった。
ただでさえなかったのに完全に死んだ。日付けも曖昧。
毎日同じような事を繰り返してるだけ。まさに空虚。

21日目

2泊3日で外出許可が出た。
無くした財布に入ってた免許とか色々作りに行く。
久々に完全に自由。
逆に何していいかわからなくなる。

23日目

病院に戻る。
本当は夕方頃に戻ればよかったのに大雪のせいで午前中に病院へ。
いつも通りの光景に戻って何故か安心感のようなものがあった。
入院生活が日常的になってしまった気がして嫌だ。

2月28日

ついに退院。
23日目以降はいつもと変わらない日々に外泊を繰り返してただけだから何も書いてなかった。

3/4から完全にネカフェ暮らし。
何故か審査に落ちまくって家が決まらない。
退院したのはいいけどホームレスになってしまった。

3/12

ついに家が手に入った。
この日から新居で暮らす。
落ち着いたら涙が勝手に出てきた
家がある事、
ネカフェでは出る時に全部片付けないといけないけど、
もう色んなもの出しっぱなしでもいいこと。
当たり前だったことが当たり前じゃなかった。
この日は荷物も届かず何もないからとにかく寒いけどとにかく自分の家に帰りたかった。

3/13

久しぶりの自宅でお風呂。
ゆっくり湯船に浸かった。
また涙が出そうになった。
汚いけど湯船がすぐに黒くくすんだ。
ネカフェのシャワーじゃ汚れは落ちませんね。
もうイヤホンして寝なくていい。
家具が何もないけど自分の家がある幸せ。
誰にも気を使わなくていい。

以上が入院から退院〜引っ越し日記でした。

自殺未遂をして大切なものをたくさん失ったし、たくさん色んな人に迷惑、心配かけた。
実際音楽なんて辞めようと思ってたし、もう全部どうでも良くなってた。
それでも今は生きてて良かったと思う。

好きなもの好きなだけ食べて、
好きな時にギター弾いて、
当たり前だと思ってた事は当たり前じゃなかった。
まさに何でもないような事が幸せだったと思いました。
何もしないで楽して生きたいって誰もが思った事でしょう、
それは何かやる事があるから言える事で、
ある種最高の贅沢なんだったんだなって思いました。


最後に病院スケジュール

月曜 診察
月 火 木 ギター30分
火曜・金曜 入浴
火曜・金曜・土曜・日曜 ジュース買える日
土曜 シーツ交換
洗濯 6:30
筋トレ 19時頃

6:00 起床
8:00頃 お茶
8:30頃 朝食
9:20頃 検温
10:00〜15:00 携帯
10:15〜11:30 散歩
11:20頃 お茶
11:50頃 昼食
13:40〜15:00 散歩
15:00 飲み物
17:30頃 お茶
18:00頃 夕食
18:30頃 薬
21:00 消灯

思い出写真たち


病院のベッドとギター


たくさん書いた日記
味がないカレー

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