キセキの世代2022(仮)とキセキの世代2014から思ったこと(初投稿につき駄文注意)
先日twitterで「キセキの世代2022」という言葉を見かけた。この言葉は2022年になって以降にtwitterや世間をお騒がせした人たちを総称した言葉で、かつてキセキの世代2014と呼ばれた人たちをオマージュしたものと言える。本文ではキセキの世代2014と2022を比較して筆者が思ったことをまとめていきたい。
「キセキの世代2014」についてそもそも知らない方もおられると思うので軽く説明すると、前述の通り2014年に世間をお騒がせした人たちである。いかに具体例を記す。(敬称略)
・野々村竜太郎(市議会議員、号泣会見)
・小保方晴子(研究者、STAP細胞)
・佐村河内守(作曲家、耳が聞こえていた&ゴーストライター)
なお、彼らの他にもニコニコ大百科の「キセキの世代2014」頁には3Dプリンターで銃を製造し動画を公開した人物など18人がまとめられていた(2022年5月20日時点)。キセキの世代2014という言葉を知らなくとも、1つ1つには懐かしさを覚える方もおられるのではないだろうか。
次にキセキの世代2022について記す。現時点ではニコニコ大百科等に「キセキの世代2022」についてまとめられた記事は無く、あくまでTwitterでそのように言われているという状況に過ぎない。筆者の主観にはなるが、ここで良く言及される人物について記す。(敬称略)
・潤羽るしあ(Vtuber、同棲疑惑&情報漏洩)
・ななもり(Vtuber、女性トラブル)
・たぬかな(プロゲーマー、身長170㎝以下人権発言)
・伊藤正明(吉野家常務、生娘シャブ漬け発言)
・田口翔(会社員?、4630万円誤送金)
・柚葉(YouTuber、ゆっくり茶番劇商標登録)
この他にもみけねこ(Vtuber、るしあ氏と同一人物と言われている)を挙げているtweetも多かったが、ここでは便宜上同一人物として扱う。
2014年と2022年を比較すると、共通点としては2つある。
1つ目は大きな炎上騒動に繋がっているという点が挙げられる。2014年当時は炎上という言葉はあまり使われていなかったと記憶しているが、今の言葉で言えば炎上と言えるであろう。
2つ目は、インターネット上で大きく取り扱われているという点である。例えば2014年の野々村竜太郎の号泣会見はニコニコ動画やYouTubeで音MADが作成されており、かなりの再生数を叩き出している。SNSでも彼らのトラブルは大きく取り上げられ、トレンドに彼らの名前や関連ワードが並んでいた。
一方でこの2つには大きな差もあるように思われる。大きな違いとしては3点挙げられる。
1つ目は2014年がテレビのニュースを発祥とするのに対し、2022年はインターネットやSNSから炎上している者が多いという点である。
2022年も田口氏のようにニュースに取り上げられたのをきっかけに炎上に繋がった者もいるが、多くはインターネット上での炎上騒動を発端としており、テレビのニュースではそもそも取り上げられていないものも多い。あくまでインターネットの中だけで起きている騒動も多く含まれていると言えよう。
2つ目は騒動の規模に関してである。
2022年は本来個人のトラブルで済ませられるものも多く、狭い空間で起きたトラブルが広範囲に広がったものが多い。伊藤氏の「生娘シャブ漬け戦略」発言も早稲田大学の社会人向け講座の中での発言であり、twitterで広がらなかった場合は当該講座の受講者のみが知る発言であったと言える。るしあ氏やななもり氏、柚葉氏もVtuberやゆっくり茶番劇の視聴者や投稿者間の問題であったが、Twitterのトレンドとして一般のユーザーにも名前が知られたと言える。
3点目はやや個人的な主観であるが、「顔を知らない炎上」という点である。ここでいう顔とは本人の顔を指す。
2014年の例として取り上げた3人については、テレビのニュースに取り上げられていることもあって顔を知っている人も多いだろう。少なくとも顔を見れば「ああ、この人だったな」と感じるほどには認知されているように思われる。
しかし2022年の例ではYouTuberのるしあ氏とななもり氏、柚葉氏は顔を公開していない。たぬかな氏と伊藤氏、田口氏については自身の動画やニュース等で顔を出しているが、あまりこの顔と言えばあの人だと言えるほど顔が世間に浸透しているとは感じられない。
この理由として考えられるのは炎上の発生源の違いである。1点目でも述べた通り2014年はニュースに取り上げられたことをきっかけとして騒動が知れ渡った。その後も会見等で顔を出す機会が多く、顔が世間に浸透したといえよう。
しかし2022年はTwitter等が発信源となっているケースが多い。基本的にはSNSは文字ツールであり、文字と一部画像を使った投稿がメインとなる。るしあ氏のように顔を公開していない例もあり、顔は知らないけれども発言や騒動については知っているというケースが増加した。
顔が知られていないという点は炎上した本人たちにとってはある意味では過ごしやすい面もあるかもしれない。折しもコロナ禍でマスクをしている人が多いことも相まって、街を歩いていて気付かれる可能性は相当低いといえよう。しかし、炎上という観点からみると炎上した人のキャラクター化に繋がる側面もある。
あまりVtuberの中の人について言及するのは好ましくないことは承知の上で述べると、彼女らの中には当然演者がいて、Twitterの投稿の裏には生身の投稿者が存在する。つまり中にいるのはアニメや小説のキャラクターのような存在ではなく、1人の人間なのである。これは誰もが知っていることではあるが、文字やキャラクターを通じての認識がメインであるため対象を生きている人間というよりも「そういうキャラクター」として認識してしまいがちになりやすい。そうした認識に陥ってしまうことが時に批判を超えた誹謗中傷に繋がってしまうこともあるという点は、炎上ネタに触れる際には常に頭の中に入れておく必要があるのではないだろうか。