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もしもの時
noteに、ちょくちょく書いている(気がする)のですが、2021年の秋頃に、わたしは爆発して灰になりました🌋
その時に、今までお世話になった方や友だちや知人や自分を散々傷つけて、疎遠になった人がたくさんいることも書いた気がします。
もとから交友関係の広い方ではなかったのですが、爆発後も親しくしてくれる友だちや知人には、感謝しかありません。
お風呂に入りながら、ふと、高校の時の英語の先生を思い出していました。
Mr.オガワという素敵なおじさん先生でした。
わたしは、大学受験しない組だったので(結局したけど)、3年間Mr.オガワの授業を"ゆったり"受けました。
Mr.オガワは、学期末のテストの最後に、必ず
「A friend in need's a friend indeed.」を訳せ、
という問題を出しました。
「もしもの時の友こそ、真の友」です。
20年経っても覚えているのだから、Mr.オガワはすごいです。
わたしも、誰かがもしもの時に寄り添える人でありたい。
偉そうに言うことではないけれど、その人がその人らしさを失って、常軌を逸していると感じた時は、それほどの理由があって、もう正常な判断はつかなくなっている時です。
わたしも、本音でないことを言ったり、積もり積もった鬱憤をぶつけたりしました。
覚えていないことのほうが多いけれど…
自分(相手)に害があると感じた時は距離を取っていいと思うし、疎遠になって当然とも思います。
わたしは今、絶賛わたし探し中ですが、人生であとにも先にもあんなふうに錯乱状態になったことはなかったし、あれが本当のわたしだと思われて終わった関係には少しだけ悔しさがあります。
自業自得ですが…
と、小言はこれくらいにして…
今も、高校の先生とは文通をしています。
それはMr.オガワでも担任でもなく、毎回追試と補講をマンツーマンで受けさせてくれた(先生にしてみれば、毎度やらされた)化学の先生です(笑)
76歳、母と同い年の男性です。
ほぼ月1で、珈琲とお菓子、ハガキにちょこっとの近況報告、たまに人生相談を書いて送っています。
先生からも、ほぼ月1でお返事と珈琲とお菓子が届きます。
家族とも疎遠ですし、自分で家族を作れそうにはないので、時々孤独を感じることがありますが、そんな時に、ポストにお手紙が入っているととてもうれしいものです。
♫誰かが、いつも、きみを、見てい〜る〜
と、小田和正が頭に流れます。
https://youtu.be/22GhYvgZRk0?si=pR7B-hKZLvrk7Kf3
この年で、新しい友だちをつくることはとても難しいけれど、またどこかで誰かと親しくなることができたらうれしいなあと思っています。
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先生からは1月のうちにチョコが届きました(笑)