祝!コンプレックス誕生
前回の続きであり、本題です(笑)
コンプレックスの話をしようと思っていたのでした。
🍚お食事中の方はご遠慮ください。
ご存知の方もそうでない方もいらっしゃると思いますが、前回の投稿にあった骨盤内腫瘍をそぎ取った影響で、左下肢の軽い麻痺と疼痛、排尿障害の後遺症を抱えました。
どの症状もそれなりにしんどいのですが、やはり自力で尿を出せない、カテーテルを利用する人生を送ることになったことが1番ショックでした。
大きい病院で手術をすると、意外とその後の経過はきちんと診てくれないもので(笑)わたしは、なんだか尿が出づらい…と感じながらも、まあそんなものかと思って、いつの間にか下腹を押しつぶしてお手洗いを済ませる術を身につけていました。
毎度、頭の血管がちぎれるんじゃないかというくらい気張っていました。
今思えばかなり異常なことなのに、そのことを母に話したのは数年後のこと…
そこから泌尿器科へ行き、ようやく"あんたこれ排尿障害よ、カテーテル使おう"となりました。
トイレに行くたび、夏などは汗をかくほど気張っていたのに、カテーテルを使いだして慣れてからは、本当に楽…極楽…毎日がHAPPYになりました(笑)
ところがそれもまた数年経つと、なんでお手洗いひとつにこんなにお金(月に12000円ほど)と手間暇をかけているんだ、ばかばかしい、と感じるようになりました。
身内から医療費のことを言われてから、それは更に申し訳ない、情けないことになり、トイレに行く度に涙が出る時期もありました。
"人間のくせにOSHIKKOすら出せないわたしは終わっている"と感じ、それはコンプレックスのひとつになりました。
その気持ちは消えることなく、でもやめるわけにもいかず、今も葛藤しながら生きています。
たかがトイレごときで…
更に追い打ちをかけることがありました。
泌尿器科では、月に一度、尿検査をして、診察を受けて、カテーテルを購入します。
カテーテルを購入して持ち帰る時、雪のない時期はコロコロ付きのお買い物キャリーに入れています。
重たいので…
でも、北海道は冬にキャリーはひけません。
体幹がしっかりしていないので、手持ちのカバンは極力避けています。
よって、リュックに詰め込んでいます。
備品のある場所でカテーテルをもらい、ひとまずビニール袋に入れて、その場を去り、待合室でリュックのものを整理してカテーテルをドスンと入れていました。
でも、ある時から、カテーテルを受け取った時に、看護師さんから「ここでリュックに詰めていきなさい」「袋が透明だから、なにか用意しようか」と言われるようになりました。
数カ月は、なんでそんなこと言うのかしら、と思っていました。
でもだんだんと、これは隠さなければならないものなのか?と思うようになりました。
待合室にいるのは、み〜んな、尿関係に困っている患者、いわば同士(?)だし、恥ずかしいものじゃないし、おじいさんだってカテーテルが飛び出したエコバッグで持ち帰っていくのに、なぜわたしだけ?
これは、女性が持つと生理用品的な存在になるのか?
でも、生理用品だって今は男性だって購入する時代。
恥ずかしいものじゃない。
見せつけて外を歩くわけじゃないし、待合室にいる人たちにわたしがカテーテルを使っていることを知られるのは伏せるべきことなの…?
ご老人がライ◯リーをそのまま持ち帰るのは良いけれど、アラフォー女性はAm◯zonでこっそり購入せよ、的な?
と、モヤモヤが止まらなくなり、それはコンプレックスとなって、わたしは夢の中で自力排尿する自分をみるようになり、なんと"OMORASHI"までするようになってしまいました。
冷たい感触で飛び起きた時には、頭の血管が切れそうでした(気張りすぎて)
高額だ、面倒だ、情けない、恥ずかしい…のか?
障害を取り除くために利用しているのに、これがまた心に障害を与えていきます。
心の不調が体に影響を与えることは認知されていますが、体の不調が心に与える影響もとても大きいです。
(わたし調べ)
これらは永遠に切っては切れないもののように思います。
一度抱いたコンプレックスは、なかなか簡単にはなくなりません。
こういう悩みを聞いてくれる"科"が存在してもいい気がします。
あるのかも…?
心身が健康である、というのはほとんど奇跡のようなもののように感じます。
自分は大丈夫、家族は大丈夫、と思っていても、ある日それはやって来たりします。
わたしの一言が、誰かのコンプレックスを生み出したり、心身にダメージを与えることもあると思います。
気をつけてはいるけれど、もしかしたらそんなことをしているかもしれない。
それでも、わたしは人と関わりたい。
人は人に救われるし、人は人と出会ってこそ、人生を豊かなものにできると思っています。
わたしはそうです。
だからわたしは、今度聞こうと思います。
カテーテルは、隠すべきものなのか。
モヤモヤは率直に問いかけて、意見を聞いて、そのうえで、コンプレックス及びOMORASHIと向き合いたいと思います🚽
ちなみに、わたしが中学生になって痩せすぎてぶっ倒れたのは、友だちから「youちゃん太ってる」と言われたことがきっかけでした。
160センチ40キロ、決して太っていなかったし、体重を気にしたことなどなかったのに、その言葉がコンプレックスになって、そこから10キロも痩せてしまいました。
骨と皮でした。
誰かの言葉を真に受けやすいことも、コンプレックスを抱いてしまう原因のひとつですよね。
つまり"でも、自分は〜"というものを持つことが、わたしの最終目標のように思います。
〜完〜