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「不安の取り扱いかた」






最近、ちょっと考え込んでしまったことがあって今日はそれについて書こうと思う。





「あなたのこと、心配している」

気のおけない、大切にしている友人Aさんとメッセージを交換していたとき、あることに対して私のことを心配をしているし、不安に思っているとその人は言ってくれた。なぜ、そう思ったのか自身の経験などをまじえて何度もそれについて話してくれた。
そのやりとりの中で、私は抱えきれないもやもやがこころに広がってゆくのを感じた。


「ごめんなさい、なんだか疲れてしまったので少し休みます」


そう言って、メッセージのやり取りを一旦やめた。

少し眠って、仕事へゆき、雪降る帰り道を歩きながら、落ち着いた頭でそのもやもやの中身について考えてみた。



🤔.。o(はて、その不安はだれのものか)



そう、その不安は誰のものなのか。どうやらそれがもやもやの中身らしい。

どういうことだろう?


話はこうだ。

ある事柄

私 ⬅︎Aさん(私を心配になった😧💦)

ある事柄によって、私が傷ついたりなにか不安定な状態になることを危惧しているようだった。

 

でも、後日Aさんとやりとりした後、話の構造がこうでなかったことが分かった。

ある事柄 ⬅︎Aさん(自身が不安に思った😧💦)

これは、その心配や不安の当事者が誰になるかというところにポイントがあると思う。
最初は、私を介してある事柄を不安視してたけれど、ある事柄自体がAさんを不安にしていたというのはまたちがう話なんだなと気づいた。

後日、「自分の不安を押しつけてごめなさい」とメッセージをもらった。
ああ、自分でも気づいていたんだな。それを素直に認めてごめんねと言えるのはやさしいし、つよいなと思った。
もちろん、私も思ったことを伝えたし、誤解が少ないようなコミュニケーションを取りたいという気持ちがつよくなった。

相手を想って、心配していることを伝えることはやさしいなと思う。

だけれど、それは一体だれの不安なのか所在を確認しておいた方がいいなと思う。
自分自身の不安を相手に押しつけていないか、その心配は誰を想ったものなのか。
伝える方が相手を楽にするのか、苦しめるのか(きっと誰にでもそんな場面があるからあえて)、見きわめていけたらよいなぁと。


私も、それを忘れないように。



#エッセイ #不安の取り扱い方

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