日記 3月28日(日)
せっかくnoteに登録したので日記をつけていくことにする。とはいえ毎日テトリスとパズルゲームしかしていないので、大したことはかけない。
非常事態宣言中バイト先の店が休業していたので、これ幸いと毎日好き勝手寝て暮らしていた。その間一切の仕事をしていない。最後の学費を払い終えた後にもちまちま振り込まれていた奨学金の残りかすで生活している。現在店も営業再開しているが、シフトを提出するのを忘れ続けており、ニート生活は続いている。ぼちぼち再開しなければ財政的に苦しいのだが、接客をするのが本当に嫌だ。最近最後に男性と会話をしたのは囚われのパルマのチアキくんなのでなおさら。あれはガラスもあったし……。
最近、ようやく「将来の不安」というものを感じるようになってきた。というのも、大学を卒業したものの、どこにも就職していないからだ。一度もどこにもエントリーしていない。何故かというと、私は面接というものがほんとうに大嫌いだからです。私はこうして目の前の嫌なものからとりあえず回避してゆく癖があり、今回もそれが最悪の形で出た。後にツケを払うことになるのは知っているのにも関わらず、少し前まで「学生」だった私は、大卒のフリーターになった。うおお。心もとない。身分証明書がない。
ちなみに卒業式も出なかった。友人が一人もいなかったし、ちょうど昼夜が逆転しているタイミングだったため、普通に朝起きられなかった。卒業証書とかって、取りに行くの?それとも郵送してくれるんだろうか。
私は今まであまり将来の不安というものを感じたことがなかった。それ以外のあらゆる不安要素にさいなまれているというのもあるし、あと、将来について本当にどうでもよかったので。最悪死ねばいいかと本当に思っていた。ほんとうに。
最近は寝る前に自分の数年後を想像し「わーっ!」となっている。こんなことは初めてなので変な感じだ。同時に、「わーっとなっておるな」と思う変に冷静な自分もいる。
「最悪死ねばいいか」の精神は私の中に今も確かにあるが、それはそれとして、自分が二十歳を過ぎて数年たつ大人であるということを思い出してしまった。一年たてば私は年を取り、また一年たてばその分年を取る。そのことを最近よく考える。
知人に「24歳までになにかしていなければ、本当になにもない人間になる」と言われたことがある。それを言われたのは確か二・三年前だったが、それが小さく、いまだに私の中に巣食っている。
私はこの言葉に深く感銘を受けたわけでもないし、真理であるとも思わない。何かを始めるのに遅すぎることなんてなにもないと思っている。しかしこの言葉は、小さなとげとなって刺さっており、抜けない。これが呪いなのか、あるいはまた別の何かなのは分からない。
24歳まであと二年だ。二年後の自分がどうなっているかなんて分からない。嫌なことから少しづつ逃げて、退路を断たれたあとの私はどのようになっているのだろう。
まあなるようにしかならないか。
「いずれ死ぬ」「最悪死ねばいい」の私は、転じれば無敵に近い状態かもしれないので、なにか初めてみても良いかも知らない。だって、失敗して失うものも無いし(社会的な体裁など)、いずれ死ぬし、最悪死ねばよいのだし。俳優とか作家とか目指してみようかな。私は失うものが、ほんとうにないので・・・
個人的に、なにかを目指していると、それが言い訳になるような気がする。本気の方には申し訳ない。私はいつも言い訳を探しているから、そういうことに敏感なのだ。
今日の朝ご飯はうどん。昼食もうどん。お昼からレモンサワーを飲みました。夕飯は何を食べようかな。