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あけましておめで父さん。
あけました。
今年もよろしくお願い致します。
2年連続2度目の相棒ぶーさん看病正月を過ごしております。
もう! 甲子園の強豪校みたいなペースで風邪ひくのを止めてくれ!
しかも年末年始に!
皆さま、お身体には気を付けてお過ごしください。
さて、
新年早々、こんな話をするのもなんですが、
おやじギャグが止まりません。
この正月休みに、三浦しをんのエッセイ
『お友だちからお願いします』
を読んでいたのだが、
その中に、「おやじギャグが言いたくて言いたくて仕方がない」
というエピソードがあった。
わかるぅ~!
「いいエッセイ」の条件は、「著者の体験や生活臭や考えがページから迫ってきて、『このひとは私のためだけに書いてくれている』と読者に感じさせるもの」ではないかと、個人的には思う。
とおっしゃっている三浦先生。
先生! アタクシ、まさにです!
実は、私も不惑を迎えた頃から、
オヤジギャグが脳内に浮かんで浮かんで仕方がない。
考えようとしている訳ではなく、勝手に浮かぶ。
不惑を迎えた皆さん、どうですか?
私だけ?
そもそも、おやじギャグって何なのか、辞書を引いてみたところ、
【おもに中年男性が】気の利いたことを言おうとして発する言葉遊び。
とのこと。
(そろそろ"おやじギャグ"という名称を変更してもよい気もするが、その話はまた別の機会に)
昔は、オジサンたちが四方八方に飛ばしてくるおやじギャグを
冷え切った目線と苦笑いを武器に上手いことかわしていた(と思う)この私が、
数十年を経て、まさか飛ばす側になるとは。
最初の頃は、麒麟の川島さんのように、
ワードセンス抜群のツッコミが浮かぶようになった!
と勝手に喜んでいたのだが、どうも違う。
ボケもツッコミもない。
ただただ、変な言葉遊びが浮かんじゃう。
そして、たちの悪いことに、つい口から出ちゃう。
なんなら、言いたくて言いたくて、たまらない。
今のところまだ、独り言で済むか、相棒のぶーさんに聞かれても、”えへへ”と笑ってなんとかごまかしているが、そのうち、我慢できなくなるのが目に見えている。
しかも、脳内で、おやじギャグが、「言え、吐き出せ、吐いてしまえ!」
と波状攻撃を仕掛けてくる。
以前帰省した際には、両親を相手に、つい漏れそうになるおやじギャグを、食卓の下で組み合わせた両手をぎゅっと握ることで、必死にこらえた。
おやじギャグはまだまだ、父親のもの。
(うちの母からおやじギャグは聞いたことがない)
いつだって、私は両親の若い(←ここ大事)子供でいたいのだ。
その反面、おやじギャグを思いつくのが楽しくなってきている自分がいるのも事実。
承認欲求の塊を、自意識過剰でコーティングしたような私が、
中年になって肩の力が抜けてきたのか、
もはや、外部の目を気にしなくなりつつあるのか、分からないが、
最近は、
どう思われてもいいか。
なんて、思えるようになってきた。
おやじギャグが、口から洩れまくってしまう日が来ても、
それはそれなりに楽しい日々かもしれないな。
そうそう、先述の辞書には続きがあった。
多くの場合かえって顰蹙(ヒンシュク)を買う。
いやだ。楽しいのはいいが、それは困る。
ただでさえ友達がいないのに、さらにヒンシュクまで買いたくないよ。
何はともあれ、
今年は人前でしっかり口を結んで、
脳内のギャグを押させこみつつ、
大人しめの大人な私でいきたいと思います。
皆さま、
今年もよろしくおねがいしまうま。
いやだー!離れていかないでー!!
【参考】
・三浦しをん『お友だちからお願いします』 大和書房
・三浦しをん 『本屋さんで待ちあわせ』 大和書房
・『新明解国語辞典』第八版 三省堂
【あしからず】
作家さんの名前を敬称略で記述しておりますが、
決して敬意がないわけではありません。
敬意の塊を捧げているのですが、
学生時代に
「夏目漱石さん」
と言って、先生に
「お前の友達か!」
と激ギレされたことがあるので、
敬意をこめての敬称略です。
・・・いや、麒麟の川島さんも友だちじゃないけどね。
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