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岡康道 追悼展

岡康道展を見てきた。


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最終日、滑り込み。すごく混んでいた。みんな滑り込みだったのかな?


岡康道さんという方、実は名前を聞いてもパッと誰かはわからなかった。

ただ、さとなおさんがFacebookで「絶対に行った方がいいし、3時間は見ると思った方がいい」と言っていたので、行くことにした。



展示スペースは1階と3階にわかれていて、3階では大きなスクリーンが1つ、モニターのついたブースが6つ設置されていて、岡さんが携わったCMが流れていた。

このCMや、

このCM、

このCMも流れていた。


どのCMも、見た記憶のあるものだった。


岡さんの作品を続けて見ていると、胸がキュッとなる作品が多いな、と思った。


YouTubeでは見つからなかったのだけど、JRのCMで「ずっと春休みならいいのに」というコピーのものとか、青春を思い出させるようなものが多いからかな。


そして、1階の展示スペースには、岡さんの写真、言葉、岡さんへのメッセージが展示されていた。


岡さんの言葉で響いたものをメモってきた。

メディアは増えていく。一方でコンテンツは決定的に不足する。ということは世の中につまらないものが大量に出回る。僕らがやるべきことはただひとつ。手間をかけても面白い広告を作ること。
僕の仕事は私小説を書くことではなく、おそらく僕が選べなかった人生を描くこと。
その日にもらった課題は、その日のうちに解決する。しないで帰ると眠れない。
今の日本では、ミュージシャンのプロモーションビデオなどで、才能あるクリエイターたちがたくさん使われている。でも多くは「表現させてやっているんだから、安く請け負えよ」という図式。こういう発想が日本の表現者を殺していく。
つまらないものを作ってしまったら、次の月から仕事がこない。
僕が憧れるのは、リスクを引き受けているように生きている男たち。
1990年。この年のことは、何も覚えていない。ただ、隣の席に佐藤雅彦さんがいた。

最近、作品をつくる"技術"についてだったり、"報酬、お金"についてだったりについて考えることが多かったので、すごく良いタイミングで来たような気がした。


展示の最後には、岡さんと親しかった人たちからのメッセージがそれぞれ(かなりの長文で)紹介されていた。


秋山晶さんの手紙の一節に、岡さんの仕事への姿勢が見える部分があった。

J-Phoneの仕事のときも、最初に僕のコピーが決まっていたんです。「私を、私たちにする。」謝られてね、どうしてもCMではこれを使えないって。「コピーが良すぎて画が考えられない。ここに落とすことにこだわると、絶対に秋山さんが納得できるようなものができない。自分も納得できない。CMでは外させてください」

秋山さんは、岡さんよりもだいぶ先輩で、そんな先輩に「これは使えない」とはっきりと言うのは、仕事に対して、自分のプライドのために誤魔化すことよりも、自分が出せる成果に誠実な方だったのだろうな、と思った。


・・・・・・

こういった追悼展を見ると、やっぱり自分も、自分が死んだ時にこうして沢山の作品が並ぶような人生がいいな、と思った。

多分、岡さんはそんなことを考えずに、目の前の仕事に、クライアントの希望と期待に応えようと全力を尽くして来た結果、こういった人生になったのだろうとは思うけれど。

この展示で流れていたいくつかのCMは、2020年代の常識的には少しびっくりというか、気まずいものもあった。(性的な表現とか、モラル的な面とか)

でも、それでこそ表現という気がする。今出来る表現、今だから出来る範囲の中でギリギリセーフもしくはアウトなものを作ってこそ、時代に残るのではないかな、と。

行ってよかった。

身が引き締まった。





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四元壯(ミュージシャン)
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