あぁ、いい夢だったなぁ、と言える人生を。劇団おぼんろ第19回公演を見て。
自分は、すっかり大人になってしまって、すっかり現実だけを生きているつもりになっているけど、
本当は今こうしてnoteを書いている自分も、夢の中の自分かもしれない。
まぁ、そんなことはないのだけど、
でも、そんなこともありえるよね、
と、久しぶりにそんなことを思う時間を過ごした。
今、公演中の劇団おぼんろの舞台『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を観てきた。
劇団おぼんろは、もう10年以上前、大学生の時に出会って、それから何度か観に行っていた。
おぼんろを立ち上げた末原拓馬さんは、
なんとたまたま僕の父の、先輩でありプロギタリストの息子さんだった。(遠いように思えるけど、とても近い)
大学生の時にはじめて拓馬さんを見た時から、もう本当に"天才"以外の言葉が見当たらなくて、もちろん死ぬほどの努力をしているとは思うのだけれど、その没頭する力が、まさに才能としか言えないと思っている。
拓馬さんとお話をする機会はなかったのだけれど(機会があっても畏れ多くて話できない!)、
お父様には、ギターを教えてもらったり、アコギを一緒に買いに行ってもらったり、僕の父を交えて時々一緒にお酒を飲ませてもらったりした。
その時に、息子さんのことを話すお父様の姿は、心から息子さんの努力と才能を信じて、嬉しそうだった。
うちの半端もんの親子とは大違いだな、といつも思ったりしていた(笑)
そして、このお二人のすごいところ、素晴らしいところは”一緒に作品をつくっている”ことだった。
拓馬さんの書いた脚本に、
お父様が音楽を乗せる。
いつからかは知らないのだけれど、
記憶にある限り、僕が見に行った公演は全てそうだった。
(大学の時は違ったと思う)
作品をつくるということは、「昨日までこの世になかったものを、この世に存在させる」ということだ。
僕は、これは本当に魔法と言っていいんじゃないかと思っている。
そんなすごいことを、この親子はずっとやってきた。
この世になかったものを、何個も何個も、この世に存在させてきた、ということ。
本当にすごいことだ。
おぼんろの公演を見に行くのは、久しぶりになってしまったのだけれど、今回の作品もとても”おぼんろ”であり、でも少し今まで見たのとは違った気もした。
いつもは、拓馬さんの脚本が出来て、それを見てからお父様が音楽を作っていたという。
今回は、お父様が音楽を作って、そこからイメージを膨らませて脚本を書いたという。
約2時間半という、わりと長めの時間。
観劇にあまり慣れてない僕も、少しずつ物語の中に入り込んでいって、展開になんとかついていって、あぁ主役の方の声がすごくいいなぁとか思いながらも、クライマックスに近くにつれて、不安が募ってきた。
自分が、あの主人公の立場だったら、あの主人公が置かれている現実の中にまた戻ってきたら、なんて言葉を発するだろうか。と考えたら。
そんな不安を抱えて、主人公と一緒に絶望する準備をしていたような気さえするけれど、そこで主人公が発したひと言は、自分が思っていたのとは真逆の言葉で、想像していないひと言だった。
そして、そのひと言で、急に、この舞台が自分の物語になった気がした。
きっと大丈夫。公演の最後のあいさつで拓馬さんが言った言葉が信じられるような気持ちで、劇場をあとにできた。
音楽も、脚本も、作ろうと思えば誰でもつくれる。
どんな作品でも、作ってること自体が素晴らしく尊いとは思うのだけれど、
やっぱり心に響く作品は、心がこもった作品じゃないかと思う。
今回の劇団おぼんろの作品は、
心から、モノガタリの力を信じてる人が作ったものだと、僕の心は感じ取った気がした。
遺作、という言葉は本当に悲しいけれど、とても素晴らしい音楽と物語だった。
僕も心から、あぁいい夢だったな、と言える現実を生きたいし、生きなければいけないな、と思いました。
明日(8/17)が最終公演。
おぼんろ第19回本公演
「瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった」
読んでみて少しでも「いいな」とか「会ってみたいな」と思ったらぜひ会いに来てください!!