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【考察】DLsiteでは、なぜ「男性受け」が売れるのか?

 昨年11月にDLsiteが企画した「DLsiteジャンル国民投票」なるものの結果発表が行われた。この投票はDLsiteでどのようなジャンルの商品を購入するのかといったアンケート調査で、消費者である我々が見て楽しむイベントのみに完結するのではなく、商品を作るクリエイターにとってはありがたい市場調査という側面がある。

 ここで私は皆さまに一つの結果を提示しよう。男性が回答した、R18における好きなジャンルランキング第一位は「つるぺた」。これについてはキャラの見てくれの嗜好を答えただけなのでまあいいだろう。

 問題は二位である。二位は「男性受け」。つまり、男性が受け側にまわり、女性の欲望のままにされてしまうイケナイ作品が愛されているのだ。シチュエーションに限れば一位と言っていいだろう。

 このアンケートに回答した層は20代-30代の男性、26歳である僕と概ね同世代がボリュームゾーンであると言える。なのでこのアンケートの結果をマトモに信じると、日本の未来を担う青年たちはどいつもこいつも揃ってドマゾということになってしまう。

 敗戦国の末路、ここに極まれり。

数十年後、欲望を解放した日本人たちはそこら中で首輪を装着させられ、着用できる服は膝より下までとされ、ぴちぴちの網タイツを身に纏い鞭を持ったお姉さんに私のことは女王様とお呼びとなじられる日々を送るのであった……。

 冗談が過ぎた。とはいえ、被虐趣味というのは(DLsiteにおける男性受けがマイルドなものも含むのだが)あくまで性癖の中ではアブノーマルと呼ばれるものである。

 また、特にこの国でここ数十年急速に発展した自由恋愛の価値観においては、男性が常に女性をエスコートすることが主流である。そしてこの男性主導の大原則はディズニーランドでも、表参道でも、水族館でも映画館でも、そしてベッドの上でも変わることがないのだということは教養ある我が読者諸君であれば誰もが知るところである。

 では、なぜ、DLsiteで男性受けは喜ばれているのだろうか?

 もしかして日本の若者男性は本当にドマゾになってしまったのだろうか?

 この謎を解き明かすために、私は「男性受けが喜ばれる原因」について3つの推測を行うことにした。少なくとも私はドマゾがマジョリティと化した国民国家の構成員にはなりたくないので、大和男児たる日本國の若者がドマゾになったという結論にならないことを祈るばかりである。ここから長めにはなるが、ぜひぜひ読んでいってほしい。

 冒頭の最後に、この文章はあくまで私が趣味で書いたものにすぎず、また私の論文構築レベルは学部生の枠を出ないことを予め記しておく。この文章はあくまで私の知的好奇心を満たすため、そして論理の穴を存分に皆様に突いていただき補強していただくために書いたことを記しておく。

仮説1.若者の恋愛離れ、しかし性欲は変わらず


 -あなたはもっと、恋愛をしなさい。

 昨月、飲み会の席で私はそう、社長に小言を頂戴した。セクハラだのコンプライアンスだのが厳しくなり若者に強気に教育を施してくれる中年が少ない中、若造の自分に考えを伝えてくれる社長には感謝しかない。

 社長によれば、私、というより私が属する世代は全体的に恋愛に感心が薄いように見えるのだという。

 ここで株式会社SHIBUYA109エンタテイメントが2023年に行った「Z世代の恋愛・結婚観に関する意識調査」を紹介したい。この会社はあの有名な商業ビルSHIBUYA109をプロデュースするためにあるらしく、Z世代はズバリ彼らの顧客である。調査結果は信用できるだろう。

 調査によればZ世代の中で、恋人が今おらず、これまでも付き合ったことがないとした割合は49.5%、全体の5割近くに上る。過去に付き合ったことがある答えた割合も30.5%にすぎず、今現在恋人がいると答えた割合はたったの20.0%に過ぎなかった。

引用:SHIBUYA109.Lab https://shibuya109lab.jp/article/230124.html

 とはいえ、このような統計データは今時ありふれているので、まあこんなものかとなる方も多いだろう。むしろ気になってくるのは、恋人が人生で一度もいない約5割、そして現在いない約8割の若者は、果たして望まず恋人がいないのか、それとも望んでその状態にいるのだろうか、ということである。

 その疑問に答えるために、いくつか調査を紹介したい。株式会社ネクストレベルが2024年に18-28歳の男女を対象に行ったアンケート調査では、その6割超が恋愛を面倒だと回答した。男性約62%、女性約67%という結果で著しい男女差を見つけることもできない。社長の推測は、ある程度正しかったのかもしれない。

 そう。

 恋愛は面倒なのである!


 現実の恋愛ほど面倒くさいものはない。男視点から見た女は下らんことで機嫌が悪くなるわ、友人関係に気を遣わないといけないわ、クリスマスに何かせなんわ……と疲れるようなことばかりである。女視点で見た男も似たようなもんで、ズボラでデートに着てくる服に気を遣わないわ、そもそもこっちが毎回何時間もかけて化粧しないといけないわ、絶妙なデリカシーのなさを発揮するわ……(解像度が若干低めなのは私が男だからだ、申し訳ない)と言った具合である。

 このような状態、つまり、アプローチをかける(≒攻める)ことが面倒だと思っているZ世代たちにとって、金を払って購入する音声作品で面倒なことを想像しなければならない、という状況はいささか荷が重い。

 わざわざ、こちらから攻めてやる道理はないのである。

 ところが、日本の若者の栄養状態は世界でもトップレベルである。従って性欲も相応に維持されているはずで、「攻めたくないが、性欲はある」ということになると思われる。

このような若者の欲求不満を完璧な形で満たすものが存在する。

 そう、「男性受け」作品である!!!


 恋愛意欲に乏しくなった、しかし性欲だけは余らせている若者にとって、男性受け作品ほど都合のいいものはないのである!!!!!

 男性受け作品では、ユーザー側が頑張らなくていいのだ!全て音声が何をすればいいのかを導いてくれる。これは異性を獲得することは望まないが、性欲は処理したい若者にとってはピッタリなのだではないだろうか?

 さて、ここまでは恋愛を面倒と思う現代の若者にとって、「男性受け」作品が面倒さを解消し、かつ性欲も解消してくれる便利な存在であることを主張した。次はアプローチの方向性を変えてみよう。「男性受け」作品は「男性攻め」よりも倫理的優位性を持っているのではないかという仮説について、いくつかの論述文を取り上げながら書いていきたい。

仮説2.非道徳的な「男性攻め」


 前章では若者が恋愛に以前ほど積極的ではなくなってきていることを統計的に指摘したうえで、「男性受け」作品と相性がいいことを指摘した。この章ではこの若者の恋愛観と「男性受け」作品との関連を更に深堀するため、社会学よりの検証(こんなことを書くと本職にブン殴られそうだが)を試み、「男性受け」作品が倫理的優位性を持っていることを論じたい。

 なぜ若者は恋愛に以前ほど積極的ではなくなったのかということについて、金沢大学教授の金間大介氏が興味深い指摘をしている。金間は現代の若者が自分に対する他人からの感情が怖いといった心理的特徴を有していることを指摘した上で、恐怖心故に恋愛という自らの心を傷つけるリスクを冒さないのだとしている。

そんな心理状態では、デートどころではない。いい子症候群の若者たちにとって、デートや恋愛は、メンタルを不安定にするリスクの塊そのものだ。

金間大輔執筆 東洋経済記事 https://toyokeizai.net/articles/-/598230?page=2 より引用

 引用元の記事では現代の若者が自分に自信を持てないことを示す様々なデータが示されているが、ここでは省略させていただこう。いずれにせよ、各種統計に裏付けられたような若者の恋愛に対する非積極性は、金間が指摘する通りだと私も思う。

 しかし、金間は各種統計が示す「若者の自信低下」の傾向が強まったのは2010-2012年頃だとしている。つまり、必ずしもこれはこれまでの若者に普遍的にみられる現象ではなく、現代独特のものと考えられる。

 どうして若者は恋愛をする自信がなくなったのだろうか。この答えを明かす一つの可能性として、論客である御田寺圭の主張を取り上げたい。

 御田寺は特に男性にとっての恋愛が「不道徳的で非倫理的な営み」であることになったと指摘し、その理由として、社会が人々に要求する倫理の水準が著しく上がったことを上げている。

恋愛をすること、あるいはだれかとの恋愛関係が成就する確率を高めようと努力することそれ自体が、とくに男性にとって不道徳的で非倫理的な営みとなってしまっているからだ。

御田寺圭執筆 プレジデントオンライン記事(https://president.jp/articles/-/87302  )より引用

 恋愛というものは(特に現代日本からすれば)往々にして男性から女性にアプローチをかけるものである。しかし御田寺によれば、それは女性にキモがられたり、LINEで晒されたりするリスクを伴う不道徳的で非倫理的な行為である。

 彼は専門家ではなく論客であるため、この主張についての検証を行いたかったが、残念ながら私は若者が恋愛はリスクであると考える量的調査/質的調査を行った論文を見つけることはできなかった。

 ただ、御田寺が指摘しているのは恋愛それ自体ではない。「男性が主体となる恋愛」が不道徳的で非倫理的な営みであると指摘しているのである。まだ社会経験に乏しい若者たち……いや、社会の厳しさを知った若者だからこそ、社会から不道徳的で非倫理的なものだと規定づけられた恋愛を自信をもってできるはずがない。

 ……もう分かるだろう。彼らの主張が正しければ、ユーザーが「男性攻め」を嫌がることに一本筋が通るのである!

 「男性受け」作品であれば、イヤラシイことをする不道徳や非倫理は、音声作品側が受け持っている。ユーザーは良心の呵責にさいなまれることなく、思う存分イヤホンの中であんなことやこんなことをされる、というわけだ。

 「男性攻め」が不道徳的で非倫理的な行為なのに対し、「男性受け」はそうではない……すべての責任は架空の女性が追う。つまり、「男性受け」作品は「男性攻め」作品よりも、倫理的な優位性を持っていると言えるのではないだろうか。

仮説3.音声作品の構造問題


 さて、前章ではどちらかというと社会学的なアプローチを試みてきた。また、Z世代を中心とした20代の若者を中心に議論を進めている。

 だがDLsiteのボリュームゾーンは20代及び30代であるため、ここからは、音声作品そのもののが抱える構造の問題に着目することで、より汎用性の高い仮説を提示していきたい。またDLsiteの中でも一大ジャンルを築いている音声作品のみをピックアップして論じていこうと思う。

 とはいえ、この項目については参考文献に乏しいため推測の域を出ない項目になるということを、予め記しておく……まあ、ある程度当たっていると思っているから書くんだけどね。

 まず恋愛未経験の傾向が強い現代人の中で、DLsiteのユーザーが更に未経験さを増していることは、この記事を読んでいる者相手にわざわざ書くこともないだろう‥‥‥おいそこ、泣くなよ。俺も似たようなもんだから。

 当然、彼ら及び私は自分から「攻める」経験に乏しい。そして音声作品は当然ながら、相手側の女性の声しか収録されない。

 従ってユーザーの「攻め」に対する知識を補完することは事実上不可能に近い。「攻め」とは感情や行動の矢印の方向が本来男性であるユーザーから向けられるべきものである。

 この欠陥を、シナリオライターが補則することは難しい。通常の物語とは異なり、ライターはユーザーの行動を規定することができない。例えば脚本に男性が攻めることを想定して「いいよ、おいで」などと演者に言わせたとする。ところが、これだと攻め方をユーザーに委ねてしまっているため、恋愛経験に乏しいユーザーはその先の想像ができなくなってしまうのである!

▲「男性攻め」作品の構造図

 当たり前だが、こうしたユーザー、もとい消費者の想像力の欠陥の責任は音声作品自体が負わねばならない。だがここで一つの疑問が産まれる。DLsiteで「男性受け」を購入している紳士諸君は恋愛経験に乏しい。当然、ユーザーは「受け」の経験も乏しいのである。だが売れている以上、ユーザーはより想像力を掻き立てるものとして「男性受け」を選んでいるのだろう。

 経験に乏しいユーザーは、なぜ「男性受け」で想像力を得ることができるのだろうか?私は、これを音声作品特有のストーリーの構造にあると考える。

 前述したように、ユーザーが攻める作品は経験不足そのままダイレクトに想像力の喪失へとつながる。しかし、ユーザーが「受け」であれば、「攻め」である作品側が勝手に色々指示してくれるので、ユーザーはそれに対して感想を持てばいいだけである。これなら経験に乏しくとも作品を楽しむことが可能だ。

▲男性受け作品の構造図

 「攻め」の欠陥は「受け」のシナリオで補完することができないが、「受け」の欠陥は「攻め」で補うことが構造上可能である。だから、必ずしも男性受けのみが良いというわけではない。

 ・ユーザーの行動を音声側によって規定する
 ・音声側のアクションによりユーザー自身が感想を持てる

 音声作品の流行ジャンルはこの2点の条件を概ね満たしていると私は考えている。いずれもユーザーの知識が乏しくても、シナリオライターがユーザーの経験の不足を補うことが可能な構造となっている。

■やたらと口の悪い少女が登場する音声作品
・「ええー、君は【具体的なこんなこと】もできないのぉ~?」というキャラの特色を生かした台詞を多用することにより、ユーザーが何を想像するべきか規定できる
・キャラの言動にユーザー自身が持つべき感想は、ミームによってほぼ固定化されている

■お姉さんと第二次性徴前の少年が登場する類の音声作品
・物語の構造が年上の女性によるリードであるため、ユーザーが何を想像するべきかを規定できる
・年上の女性が勝手に色々してくれるため、ユーザーは感想を持つだけで良い

■(一時期流行ったものだが)看取り系音声作品
・作中ユーザーが絶命することが前提である。物語の構造上、音声の言動をユーザーは受け入れることしかできない
・音声作品中、看取るキャラクターがが勝手に色々してくれるため、ユーザーは感想を持つだけでいい

■数字を10から0まで順番に数える行為
・何も言うまい。何をどうすべきか、音が全て指示してくれるのだ……。え?具体的になにって?こっちにも社会的立場ってもんがあるんだよ。察しろ。

 「男性受け」作品及びDLsiteにおいて強い勢力を保っている音声作品のジャンルは、このように総じて①ユーザーの行動を音声側によって規定する、②音声側のアクションによりユーザー自身が感想を持てるという構築が徹底されている。ユーザーに対して負荷を与えないサービスの提供は、商売人の大原則である。「男性受け」作品はその点において、他ジャンルに対し商業的優位性を持っているのではないだろうか。

結論:若者の消極的マゾ化

 これまでのことを整理しよう。

 最初、私はアンケート調査をもとに若者が恋愛をせず、かつ興味を失いつつあることを示したうえで、「男性受け」作品がユーザーの面倒と性欲を消費してくれる便利な存在であることを主張した。

 次に、私は恋愛という構造において「攻め」という行為に不道徳性があるため、「男性受け」作品は「男性攻め」作品より倫理的優位性を持っており売れやすいという主張をした。

 そして最後に、これは音声作品に限った話ではあるが、恋愛経験に乏しい現代の若者にとって「男性受け」作品は相手が具体的な指示を行ってくれるため、それに対し感想を持つだけでいいという特徴があることを主張した上で、別ジャンル作品にも共通する特徴があることを指摘した。

 これらを総合するに、DLsiteで売られている男性受け作品は、どちらかというと積極的選択ではなく消極的選択と言えるかもしれない。若者男性は決して陳列棚から「これしかない!」という理由で男性受け作品を積極的に選択するドマゾ集団ではなく、他のものと比較して倫理性が担保されており、消費する際に伴う自らの負担が少なく、性欲を処理することのできる作品を選択しているに過ぎないということである。

 敢えて名前を付けるとしたら、「消極的マゾ化」といったところだろうか。決して彼らは、背中に溶けたロウソクを垂らされたいわけでもないし、ムチでひっぱたかれたいわけでもないのだ。 

 あ~、よかったよかった。

 若い男がドマゾという結論にならなくて本当によかった。


このようなかなり大規模な疑問をたかだか数千文字で論じようとすることは、ほとんど無謀に近いだろう。また、読み物であることを優先したため、論文では書くべきと判断されるであろうことをかなり端折っている。

 だが、この論を元にして皆さまには是非、考察や感想をSNSで書いていただきたい。ひょっとしたら本物の社会学者がこれを見つけて、掘りこんで本当の論文に仕立ててくれるかもしれない。

 最後に、他人様の性癖の根拠を考察するなどという無遠慮な行為をした私の贖罪として自らが消極的マゾかもしれないと思った読者を対象に、下らない主張をして終わりたい。

 どうせマゾになるなら、積極的マゾにならないか?


 ここまで読んでいただきありがとうございました。

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