#59 手紙って良いな、って話
新型コロナの流行以降、よく手紙を書いている。
手紙といっても、互いの安否を気遣うような内容ではない。どちらかというと添え状的なものである。あとは礼状とか。詫び状とか、そういうやつ。
何故、そういう手紙を認める機会が増えたのか。
単純に身内の不幸が増えたんですよね。祖父母が亡くなって、けれど葬儀には出席できない旨を告げる手紙だったり。香典返しのお礼や、相続云々で行われる書類のやりとりに添える一筆だとかで筆を執る。
葬儀に出席できない連絡ならともかく、それ以外はメールで良いじゃん。お礼のやつなんて特に。
と、思われるかもしれない。
が、如何せんわたくし、親族の連絡先は住所と自宅の電話番号以外、一切知らないのである。……いや、知っていれば良い方だな。名前は存じているけど所在不明な親戚の人数を数えたら、両手の指では全然足りない。
LINEのIDは勿論、メールアドレスさえ知らない。あんまり親戚付き合いがないのだ。父方の親戚に至っては伯母たちと超絶仲が悪く、陰で足を踏み合いながら中指を立てている感じなので「は? メアドの交換? 死んでもイヤですけど?」状態なのだ。
だから基本、郵便しか通信手段がない。緊急の場合は電話をかけるけれど、そうじゃなければ手紙一択である。
昨今、年賀状がどうの切手が売れないだのと日本の郵便事情は『ゆうパック』以外は衰退の一途という雰囲気なのに、四椛と四椛の親戚連中に限っては未だに昭和なのであった。令和も五年を過ぎたのにね……時の流れが年々加速してゆく……。
ま、手紙を書くの、好きなんですけど。
昔(っていっても14、5年前ぐらい前)は、文通してました。見知らぬ相手と。
ガラケーが主流だけどスマホも普及し始めた時代によ。メル友じゃなくてペンパル。どんだけアナログ人間なんだって話。いや、全然アナログ人間じゃなかったけど。なんならブログ書いてたし、個人HP作って小説公開してたけど。なんとなくやりたくなって文通始めたんですよね。
愉しかったな〜。便箋や封筒に拘ってみたり、ペンを変えてみたり、ちょっとデコってみたり。封蝋が使いたくて大捜索した時もあった。今でこそ手紙……というよりノートをデコるためなのか大人向けシールが充実してるけど、当時は子供向けのシールばかりが豊富だったから何気に大変だった。封蝋なんて全然見つからなかったし。
数年前、文具屋さんで簡単に見つかった時は愕然としたね。「あんなに探しても無かったのに!」って。おまけに封蝋シールも売ってるじゃん。もう「は???」ですよ。あの苦労はなんだったんじゃ……時代か……時代なのか……。
その発見も、文通を辞めてからだったから一層応えた。「い、いまさら〜〜!!」ですわ。文通の終了もフェードアウトだったな。思い出すと淋しくなってきた。
話題を元に戻しまして。
先月も親戚へ手紙を書いた。毎回そうなのだが書き出し云々に頭を悩ませ『手紙の書き方』を引っ張り出し、辞書を引いて下書きして。なのに便箋を2枚も書き損じて……「文通してた頃に万年筆を使ってたらなぁ」って余計なことを考えたのが駄目だったな。反省。
そうやって完成させた時は感無量だった。
同時に「手紙って良いな」と思った。
メールもLINEも確かに便利。だけど、一通にかける苦労と言いますか。赤面必須のクサい言い方をすれば、相手のことを考え、心を込めて書き上げた後の充実感はメールでは絶対に得られない。特別なものだと思うのです。
そういう体験が廃れる一方なのもまた、淋しいなと思う。これもまた時代か。しょんぼり。