ポメラ日記 2020年1月17日
急ぎ仕上げねばならない文章があり、しかしあまりにどんよりと頭が働かないので『ぶっカフェ』
1-5巻を読んで脳に優しくするなどした。午前中よんださんがよく寝てくれたその恩恵が『ぶっカフェ』に溶かされたともいえる。
だが悪い人間が誰もいない世界で善人と善人が互いを想い合いすれ違うこともありながら己の弱さと向き合ってその人と生きていくことを選ぶ心にやさしいファンタジー涙あり笑いあり優しさありストレスなしが必要なときがあるのだよ人生には(息継ぎなし)。
いくつかそういう時のためにKindle内にキープしている漫画がある。その漫画たちの出番が多いと、「疲れているんだな」と自覚できる。
セロトニンが足りてないのではないか。
文章をなんとか仕上げて炭水化物を取り、そう思い当たって散歩に出た。
そういえば午前中カーテンを開けるのを忘れていた。
いつもの柔らか布っぽい抱っこひもではなく、布製ながら堅牢な作りの抱っこひもにチャレンジする。よんださんの重みが腰と肩に分散されるのはいい。ただ、密着度合いの調整が緩くてあとで腰が痛んだ。
よんださんにたくさん外を見てほしいと思う。葉っぱや、空や、水の流れや人間をみているだけでどれも違って飽きないことなどをいつか知ってほしいなと思う。だが歩いて揺られると気持ちいいのか、たいていよんださんは途中で寝てしまう。
ぱんださんもそうだったな、と思い出す。
その時が来れば、こちらの想定など置いてけぼりに、子どもは必要なものを彼らのタイミングで手にしていく。
焦ることはないというか、親が焦ってもどうにもならない。
セロトニンが効き始めた感じがする。
よんださんが熟睡しているのをいいことに、ベーカリーカフェに寄ってガレット・デ・ロワの食べおさめとカフェオレを摂取した。
やっぱりフェーブはでなかったが、カフェオレは美味しかった。
よんださんはやはり熟睡しすぎなのではないか。
そう思いながら道を歩くと、何組かの散歩中の親と赤子とすれ違い、赤子はだいたい熟睡していた。
道で少年たちが座り込んで会話をしている。ランドセル、重そうだから下ろせばいいのに、と思う。
「スパイ、スパイダーマンは?」
「いるよ」
「キャプテン・アメリカは?」
「いるって」
「アイアンマンは?」
「いない」
「なんで!??」
なんでだ。
よんださんを抱えてぱんださんを保育園に迎えに行く。
帰り道、ぱんださんは爆走し、わたしはよんださんを抱えながら必死に走って追った。金曜日なので昼寝布団のシーツ一式も荷物にあり、かなりの総重量であった。
途中、ぱんださんは、おかーさんがまっすぐの道を行き、自分は一度曲がった道を行って合流したいという。その独立心の芽生えは応援したかったが、やはり安全責任があるので首を横に振った。
ことあるごとにこのような、安全と独立を天秤にかけた判断を迫られる。
多分この先もっと難しい局面が出てくるのだろうな。
寝かしつけの際、ぱんださんは
「ぱんちゃん、ねるの、きらいなんだ」
と言う。意思表示がはっきりしていて大変よろしい。
「おかーさんはひとりで寝るの大好き」
と申告すると、
「ぱんちゃんは、ひとりであそぶのがだいすき」
と返ってきた。