ポメラ日記 2020年1月20日 何千何万の晴れた空に何千何万の木
ぱんださんを保育園に送り出して、ひさしぶりによんださんと二人の時間を過ごす。
よんださんは機嫌の悪い日みたいで、たくさん声を上げたり泣いたりしたが、それでも言葉のない人といると、静かだ、と思う。
発信される意味のパターンが少ないのと、言葉での応答が求められないからだろう。
午前中にクリームシチューを作ったら、美味しくて無限に味見をしてしまった。
それにしてもずっと抱っこしていなければならないし、抱っこしていたらやたらと足を突っ張って直立体勢になろうとするので、散歩に出ることにした。
とても晴れている。
今日は抱っこひもではなくベビーカーで外に出てみる。
家から十メートルくらい歩いたらよんださんが寝た。早くない?
せっかくの天気なので大きめの公園をぐるりと回る。雲一つない、色の薄い青空に、枯れ木立がすっくと伸びているのを見上げて、つられて背筋が伸びる。
iPhoneをかざして空と木の枝の写真を撮っていたら、高校か大学の頃のことを思い出した。
カメラを持ったばかりの頃で、同じように木を下から見上げて撮っていたら、友人が「やっぱりそういう写真撮っちゃうよねー」と言った。わたしよりずいぶん先にカメラを持っていた子だ。
特に馬鹿にした響きはなくて、共感の発言だったと思う。
あの頃はまだフィルムの写真で、写真屋さんに現像してもらうので、たくさん撮るとけっこうお金がかかった。
今はすぐにスマフォをかざして写真を撮り、それをインターネットに上げて、「晴れた空に木の立ち姿がうつくしいと思ったこと」を人と交換できる。何千何万の晴れた空に何千何万の木をうつくしく思った気持ちがある。オリジナリティなんて考えもしないささいな瞬間が、小さな範囲で流通して、ほのかな共感の呼び水になる。とてもいい。
あの頃、大きくて重くて手に余るカメラを持ちながら、ほしかったのはこのサイズのことだったのだろう。
あまりにもよんださんが熟睡しているので、この隙に昨日の日記が書けるのではないかと、カフェインレスコーヒーのLサイズをはじめて頼んでみたらすごくカップが大きかった。持ち手のある丼と言っても差し支えない迫力だ。
飲み始めてポメラを出すとよんださんが起きた。
赤子、そういうところある。
ぱんださんを保育園から連れて帰って、夕飯の支度をしているところで体力が切れた。土日の疲れが出たものだろう。
仕事をしていたささださんを召喚し、「シチューとごはんは用意したからあとはぱんださんにミートボールをたのむ…」と言い置いて一時間ほど寝た。
ぱんださんは寝る前に、以前空港で買った飛行場シールブックで遊びながら、「このひこうきは、しゃりんがでてないから、とんでるってこと!」と知見を披露していた。
どこで覚えてくるのだその知識。