ポメラ日記 2020年3月20日(金) 橋の下をつぎつぎくぐる
春分の日だ。
午前中仕事をしていたささださんが姿を現し、隅田川まで桜を見に行こうというので、そうか、ともそもそ着替えてこどもたちの準備をして出かける。
お昼ごはんは途中でコンビニで買おうということになった。
とても良い天気で暖かい、散歩日和である。
バスに乗って隅田公園バス停まで行く。
コンビニでパンを買い、川の見える石段にレジャーシートを広げて食べた。
風の強い日で、シートやコンビニ袋が煽られるので、いろんなものを乗せて重しにする。
ベビーカーからよんださんもおろし、シートに座らせていて、その悲劇は起こった。
足の力の強いよんださんが、立ち上がるような動作でぐっと身を乗り出し、ころりと転げて、石段に顔から突っ込む。
鼻の頭とほっぺたをすりむいて、盛大に泣き出した。
血が出ているところを、水を含んだコットンで拭きながら、だっこしてなだめる。
よんださんはしばらくしたら落ち着いたが、わたしが落ち着かず、しばらくずっとだっこしていた。
子が傷ついたときの、手放せなさ、ぴったりと身を沿わせて一体になっていないと気が休まらない感じ、本能に操作されているなと言う気がする。
子を産んで変わった世界観の一つに、自分の意志や感情がかなりの部分、生物的な本能に操作されるものだという実感がある。
別にそれでかまわない、と思うようになったのが、一番の変化かもしれない。
隅田公園には円環状のアスレチックがあり、そういうのが大好きなぱんださんに付き添って、木の細い道を渡ったり、足がかりのついた木の板を上り下りしたりする横を歩く。
ひとしきりぱんださんの気が済んだところで、このあたりで花見をしている知人たちに挨拶をしに行った。
実は家を出るときは、たんなる家族のお出かけだと思っていて、挨拶の予定が念頭になかったため、お化粧もしていなければ実に雑な格好で出てきてしまった。
なんとなく子連れだとそれでも許されるような心境でいて、いけない。許すも許さないも、誰が? というのはあるのだが、たぶん自分の中の線引きの話として、いや、うーん、難しい問題だ。でも自分の理想的な状態では、まぁ、ない。
挨拶に行った先では、話して気持ちのいい人たちばかりがいて、いいものだなと思った。ぱんださんやよんださんにも好意的に接してくれるのも嬉しい。
ぱんださんは大人たちに照れて、足のあたりにまとわりついていた。
赤ちゃんのころのイメージから更新されていなかったのだろう、ぱんださんが言語をしゃべって意思疎通していることに衝撃を受けられたりもした。
冷やしたおいしいどぶろく? 濁り酒? をちょっと飲ませてくれてとても美味しかった。
アスレチック公園にもどろうか、と歩いている途中で、ふとしたはずみで水上バスに乗ることになる。浜離宮まで行って、JRに乗って帰宅するルートだ。
やったー! とテンションがぐっと上がった。
水上バス、大好きなのだ。
うきうきとチケットを買って、うきうきと乗船する。ぱんださんより浮かれていた自覚がある。
船上デッキに立ち尽くして、いくつもの橋の下をくぐる。
いろんな橋を眺めるのも好きだ。
途中で、豊洲? のタワーマンション群が突然現れるのも非現実感があって良い。
ぱんださんが、とちゅうで、
「あっ、おかーさんのすきなはしだよ!」
と指さしていたが、何を根拠に好きだとされたのかは不明だった。
好きなタイプの橋ではあった。
浜離宮で下船する。アスレチックがない公園にぱんださんは不満そうだったが、すぐにその起伏と広さに楽しそうになり、おっかけっこやかくれんぼを仕掛けてきた。
よんださんはうとうとしている。
閉園間際に菜の花畑にたどりつく。子どもたちと菜の花と夕方の光の取り合わせが、びっくりするほど美しい。
ぱんださんは、畑の穴から伸びている花を見つけて嬉しそうにしていた。
浜離宮公園を出る頃に、ぱんださんの体力が切れて、だっこをせがまれる。
致し方なし、と、ベビーカーをささださんに託し、ぱんださんを布状のだっこひもに入れてだっこする。
駅につく前に、ぱんださんは熟睡してしまった。
お茶でもしてしばらく寝かそう、と、電通本社ちかくのおしゃれレストランで一息入れる。
16キロある子を抱っこし続けた疲労に、バナナクリームパイとカフェオレが染み入る。
ぱんださんはそこのソファ席で一時間くらい寝ていた。お店が空いていて助かった。
帰り道に、経済を回そうとささださんと言い合って、物産展でずんだもちときびだんごを買う。
その後、ルタオの期間限定出店にも行き会ってしまい、悩みに悩んでつい、ドゥーブルフロマージュを買ってしまった。
冷凍だからいけると思う。
寝かしつけの本は
『ちいさい おうち』
『こやぎのチキと じいさんやぎのひみつ』
『あひるの バーバちゃん』
でした。