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ポメラ日記 2020年1月28日 いたことだけがしばらく残る

朝から強い雨が降っている。
iPhoneの通知に、防災アラートから何度も強い雨の知らせが来る。
ぱんださんは、ささださんとわぁわぁ言い合いながら保育園に出かけていった。

あんまり雨が強くて寒いので、家にじっとしていようと思っていた。
しかし逆に、と思う。逆に空いてるんじゃないか、美術展ってやつがさ。
ということで、ハマスホイ展にいってきた。
Twitterで、公式アカウントが「ハマスホイ展は静かにみるのがいいよ、後半混んで雰囲気でなくなるから前半オススメ(大意)」と言っていたのが後押しした。
見るなら今だ、ではない。静かな環境での鑑賞が推奨される展覧会に、赤子連れで乗り込むなら、せめて空いていて、もしよんださんが泣き出しても迷惑のかかる人が少ない方がいいのでは…という、そういう方向の後押しである。

大雨の中を美術館に到着し、音声ガイドもしっかり借りる。デンマーク絵画、まったく詳しくない。
音声ガイドは宮沢りえで、ぶいしっくすファンのわたしはつい結婚生活に思いをはせてしまう。この美しく芯のある声が、おはようの挨拶をしたり、サッシの立て付けが悪いことを嘆いたり、お風呂どっちが沸かす? とか言うのか、それがすごいことだ…という雑念を払う。
着くまでに寝てしまうかと思ったよんださんはまだ起きている。静かにしていてくれてうれしい。
美術展に身をすべり入らせ、ハマスホイが登場するまでのデンマーク絵画の独特な流れをゆっくりと見ていく。よんださんが泣かないように、妙な揺れ方をし続けているのは仕方のないことだ。
よんださんは途中しっかりと絵画を見ていて、だからよんださんが人生の中で初めて美術館で鑑賞した作品はデンマークのスケーイン派だ。少しマニアックだ。
デンマークという国の、郷愁と懐古の風景。ひろびろとした空をゆっくりと吹く風に流される雲。夕暮れに現れる、あたりがすべて青に染まる時間。
やがて室内が現れる。農民や市民の生活。親しい者同士の見交わす視線と微笑み、作業の手つき、暖かな部屋に赤らむ頬、品と思い入れのある家具調度。このへんでよんださんが寝る。
そしてハマスホイだ。紹介される彼の師の言葉は、ハマスホイの異質さについて言及するが、これまでの展示の流れを追ってきた者にはむしろ当然の到達点に思える。
風景は静止している。部屋からは後ろ姿の住人が消え、調度が消える。窓からの光だけが残る。開いて連なる扉だけが。誰かがいた気配、それから場の記憶だけがそこにただよう。今いないということは、いつかそこにいたということ。静寂の中で、ふと記憶から音楽がよみがえるようなことが、そこに起こる。

出口にあるガチャガチャがハマスホイの扉や窓のピンズという最高のもので、激しく射幸心を煽られる。暖炉とかちょっとハズレ感のあるものが混じってるのがまたいい。同じく射幸心を煽られた人々と、ダブりを交換し、出たものを見せ合い、幸運を祈って別れた。自制の出来ない大人にこそ規制が必要かもしれぬ。
都美のカフェの昔ながらのプリン(ちょっと固め)を食べて、また外に出ると冷たい雨がまだ降り続いていた。


保育園にお迎えに行って、黄色い傘と黄色い長靴のぱんださんはすべての水たまりのなかにつっこんでいった。例えば10年後、雨の日にほかに誰もいないこの道を一人で歩くとき、前をゆく小さな黄色い傘を思い出したりするのだろう。


明け方にルビィのぼうけんのAI編の校正をしていたら、iPhoneが深刻に壊れた。

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やきとりい
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