ポメラ日記 2020年3月13日(金) ゆっくり歩いて置いていかれる
好評だった食パンを買い足していたので、ぱんださんにうきうきと、前と同じパンがあるよ、と告げる。ぱんださんは、
「ぱんちゃん、ちがうパンがたべたい」
とおっしゃった。
いにしえのガチしょんぼり丸であるが、仕方ない。ぱんださんがもう一度食べたいと言ったわけではないし、喜んでもらえるかなというのは自分の勝手な期待である。
がちしょんぼりまる。
今日も良い天気だ。
しかし気圧はえぐいラインを描いて下降しているらしく、ダイレクトに体調に響いている。体が重い…だるい…。
ささださんも同じく気圧にやられ気味のようだった。
そういえば、ささださんはわたしと生活を共にし始めた頃、「気圧が自分のコンディションに影響する」というのを、迷信の類いだと思っていた。少なくとも自分には関係のないことだと。
しかし一緒に暮らしていると、どう見ても影響を受けている。それで、体調が悪そうにしているとき(わたしの方が気圧変化に弱いのでわたしも大抵やられている)に、気圧をチェックしてその結果を共有していたら、因果関係を認めてくれるようになった。
一体それまでは、気圧原因の不調をどのように思っていたのだろうか。不思議である。
今日はよんださんが落ち着かない日で、午前中はそれをなだめすかすので終わった。
夕飯の残りと常備菜でお昼を済ませ、よんださんの短い午睡を挟んで散歩に出かける。
ささださんに散歩に出かけるというと、いつも「よろしくお願いします」と言ってくれる。よんださんの世話と外界からの刺激を与える任務を託したよ、と散歩の意義を認めてくれている気がして、あれはとてもいい。うれしい。ささださん、推せる。
気圧の変化を押し返す気持ちで歩いていると、だんだん、なんとかなってくる。
小柄なおばあさまに話しかけられ、よんださんの目のぱっちりしていることを褒められる。
角を曲がったところで、道ばたで立ち話をしてる女性たちがいて、その一人が昨日、話しかけてくれた方だった。ゴールドのキティちゃんのサンダル、見分けやすい。会釈を交わして通り過ぎる。
今日の散歩も目的地がある。ちょっと足を伸ばしたところにある地元の本屋さんだ。
鶴谷香央里『メタモルフォーゼの縁側』の四巻と、藤野可織の『ピエタとトランジ<完全版>』を買うのだ。
いつもの道の隣の筋を歩くと、知らないお店があった。博物っぽい、鉱石や虫の標本やウニの殻を扱っているお店らしい。ふらふらと入り、白っぽい明るい店内を、夢のような気持ちでその、時を止めたものたちを眺めて歩く。窓がアクリルに標本を並べたもので埋まっている。
きれいな蝶の写真が売ってあり、どうしても家の壁に飾りたくなって衝動買いをした。
さらに歩くと、また知らないお店に出会う。おしゃれパン屋さんだ。またすぅっと吸い込まれた。パン屋さんは大事。
お手並み拝見、という気持ちで、甘いパンと、カヌレと、クロワッサンを買ってみる。甘いパンはぱんださん用だ。カヌレはささださん。わたしとささださんはリトアニア・ベラルーシに旅行に行ったとき、リトアニアの小さな町の小さなパン屋さんで買ったカヌレが安くてとても美味しかったため、同じくらい美味しいカヌレを探し求めているのである。当時のツイートを見たら2016年だった。
このお店新しいんですか? と店員さんに聞くと、去年の10月からです、と答えられる。確かに歴史はないが、ほぼ半年は経っている。気づかないものだな、と思ったけど、そういえばよんださんが産まれたのが9月だ。こんなに頻繁に長く出歩けるようになったのはここしばらくのこと。
街はどんどん動いていき、よんださんもどんどん大きくなる。
わたしもぼんやりしてないで、そろそろ動かなくてはなぁ。
本屋さんでは、『メタモルフォーゼの縁側』は売っていたものの、『ピエタとトランジ<完全版>』はなかった…。
ご時世で個人経営の書店はオンライン書店より厳しいと思われるので、応援したく、とりあえずあるものは買う。買えなかったものをどうするかは判断保留にした。
こんど大型書店まで電車に乗っていくか、それとも書店注文にするか。
悩ましい。
ぱんださんを迎えに行って、夕飯をつくって、バタバタと1日の終わりが来る。
昼間買った甘いパンは、めざとくぱんださんに食べられて、好評を博してよかった。
ささださんが体調が悪いというので、よんださんを寝かせて、それからぱんださんを寝かせた。
寝かしつけの本は、
『ねえ だっこして』
『せんせい』
『ぼくのじまんの トラおじさん』
だった。
『ねえ だっこして』は、猫の視点の絵本だ。猫の飼われている家の人間の女性に赤ちゃんができ、その暖かい膝の占有権を奪われた猫が、ちょっと拗ねながら新しい家族を受け入れる話である。
たぶん弟妹ができた子どものための絵本で、わたしの母親がよんださんが産まれたときにぱんださんにくれた。
受け入れろ、と強要するようでわたしがわたしの立場で読むのは気が引ける。その本を、ぱんださんリクエストとはいえ、まさによんださんを膝に乗せてぱんださんに読む状況、ライトな針のむしろである。
本の中に、”赤ちゃんって あまいにおいがする”というフレーズがあって、ぱんださんは、「よんだちゃんはしないよねー」と言う。
ちょっと嗅いでみる? とよんださんを近づけると、ぱんださんは鼻をちょっとすんすんさせて、
「あまいにおいするー」
と言っていた。
読みながら反応を伺っていたが、読んだ後にぱんださんが述べたのは、
「ねこは、にほんご、しゃべんないんだけどな。
にゃーって、しゃべるんだけどな。
でもこういう、ほんの、ねこは、いいのかもね」
という、擬人化受容の過程であった。
今考えると、前からお気に入りの『ぼくのじまんの トラおじさん』でも猫、しゃべってるな。