笑ってコラえて!の世界に1ミリも届かなかった話


私は都内の中高一貫校に通っていた。

中1〜高3の6年間、
同じ吹奏楽部でアルトサックスを吹いていた。
その6年間の話です。

先に説明しておくと日本中の吹奏楽部生は、

毎年8月に行われる
夏のコンクールに重きを置いて活動してる。

金賞、銀賞、銅賞に格付けされ、
東京都は金賞の中でも点数が高い上位が
全国大会に出場できるシステム。


中学1年生〜中学2年生の私は、それはそれは楽器がへたくそだった。

中1の夏くらいまでは順調にやっていたけれど、途中からなぜか破滅的な音色しか出なくなってしまい、
さらに要領が悪くて譜面どおりに吹けるようにならない。

サックスパートの先輩たちも途中まで優しかったけど、私のいない所で馬鹿にしたりモノマネされたり笑い物にされて本当に恥ずかしかった。

中2で後輩が入ってきても、半年で抜かされて、私は出れない曲の合奏に乗っていて、
定期演奏会では袖で悔しくて泣いていた。



パートリーダーが
『上手くないひとって、要領とか考えずとにかく練習すればある程度になれるとおもうんだよね。』

というから
片道1時間半かけて通う学校に、7:30に朝一番に学校について自主練することを目標にしてやってたけど、2年間やっても全然うまくならない(笑)



いわゆる『頑張ってるけどセンスがない人』だった。

私は楽器だけじゃなくてなんでも不器用なんだ。
アイドルの歌もダンスもそう。

頭の中で考えたり言葉をだして結論を出すことは得意なんだけど、
身体を介して何かを発すると、ことごとく『ダサい』

何も考えずにサラッと楽器ができる人たちっていうのは結構いて羨ましかった。


だから先輩の言っていた『とにかく練習する』のをやめた。
教則本をかったり、動画をみて、楽器のつくりとか音が出る仕組みを知ることにした。

プロ奏者のコンサートにいったり、曲をきいてイメージして音を出す。とか


そういうのをノートに記録して、何をやったら効果があるのかを知ることにした。

そういうことをし始めてから自分としては、かなり成長したと思っていたけれど、
やっぱり先輩たちからしたら、その成長は見られないようだった。



中3になったとき、一個上の上手なアルトサックスの先輩たちが卒業した。

下手なのに私がアルトサックスパートを引っ張っていかなきゃいけない。

入ってきた後輩に教えることが増えて、自分の練習時間が取れなくなった。




そうしたら、
何が起きたのかわからないけれど
急に。本当に急に。

2週間で、ものすごく楽器が上手くなった。

音も綺麗になって、メロディに歌心がでるようになって、

アンサンブルコンクールに出た時は審査員にソロを褒められた。


このとき何が起きたのか未だにわからないけれど、
怒られたり圧をかけられる環境より、自由にしてたり人に頼られている方がよっぽどポテンシャルを発揮するらしい。


というのは、アイドルとか仕事とか、後の人生でなんとなくわかってきた。


ちょっと違う話だけど、
あの時『笑ってコラえて!』の吹奏楽部特集にハマっていた。


リアルタイムではやっていなかったので、
ニコ動にある青森山田高校とか、柏高校の映像をみてオンオン泣きながら感動してみていた。

感動もしたけどそれよりも羨ましかった。

圧倒的な指導者がいて、何百人の生徒たちが努力している姿が輝いてた。


反してうちの吹奏楽部には、圧倒的指導者はいない。

高2の夏コンクール後〜高3のコンクールの1年間、幹部というポジションになる。

指揮は先生に頼むけれど、
指導者はいないので実質的にこの幹部が、プレイヤー兼運営。

練習日程も練習内容もイベントも、全部幹部が話し合って組む。

お金が絡む件と合奏だけ先生に相談する。

毎年代替わりするのでノウハウが蓄積されずに、私が在籍した期間あまりうまくいっているようには見えなかった。


私は高2で幹部になったとき、
『学生指揮』という役職についた。



この時わたしは『この部活を変えてやる!』
と燃えていた。


あの、笑ってコラえて!
みたいにみんなが一眼となって素晴らしい音楽を追求する部活にするんだ!
そしてコンクールで金賞を取るんだ!

と志していた。

全国大会常連の学校に口を聞いてもらって、みんなで見学させてもらったり、

優秀な学校がつかっているハーモニーの教則本をつきとめて、それを経費で買ってもらってみんなで合奏したり、

超絶基礎の息を吸って吐くブレストレーニング、ただひたすら音を大きく良い音で吹き続けるロングトーンを部員の時間を大半費やしてもらうようにしたり……など

へたくそだから学んで記録して意味のあったことを、全部取り入れてみることにした。



そしてもう一つ、『この部活を変えてやる!』ということ以外に決めたことがあって


『嫌われ者になる』

ということだった。

それまで厳しいことを言ってくれる先生が1人だけいたのだけど
学校を辞めてしまいその代わりになろうと思った。

だから、部活の合間に遊んでる中学生が許せずに
よく怒っていたし、

部活を休んでアイドルのライブにいきます。
という後輩を怒ってしまったりした。
(この後、後輩からお手紙をもらってアイドルも音楽です。吹奏楽コンサートにいくのと何も変わらず勉強になるのです。といわれて納得して謝ったけど笑)

こういうことをしていたら、後輩から嫌な顔を向けられるようになって
わかっているのに苦しくて

だからそういう日は、
みんなと一緒にかえらずに1人で泣いて帰るようにしていた。



部長の優しい男の子にもいつも強く当たってて彼はいつも悲しい顔をしていた
(ごめんね、はしもってぃ…)


どうしてこんなに身を粉にしてがんばっているのかな?
と当時も思っていた。


結局悪口いわれても、
下手くその私を見捨てないで教えてくれる先輩たちがつくってた部活が好きだったんだ。


あとは
私もこれだけやれますよ。
あなたたちよりいい部活にしますから。
という先輩に対してのプライド。

と、ここまでくぐり抜けたんだから成功したいよね。という自分へのプライド。

(今は大変まるくなりました。10代って恐ろしい!)



そうこうして
高3の夏のコンクール引退の日の少し前。

スイッチの入りきらないのにやきもきして
また帰りの会で部員向かって


『やる気ない人、やめてもらっていいんで』

と発言した。


そのあと1人で家に帰って、お母さんが作ってくれたご飯をたべて、お風呂にはいって、


冷静に
『いや今日の発言はちがうな、ここは鼓舞するところだろ』
先輩から圧をかけられるのが嫌だったのに、
圧かけてたのは自分だった。



気づくの遅すぎ。

その後すぐ全部員にラインで
『今日はあんなことを言ってしまってごめんなさい。みんなが頑張ってたくさん成長したところわかってます。最後までがんばろうね!』

というようなことを送った。


そうしたら個人ラインで後輩の子達何人かから
『先輩のこと信頼してます!がんばりましょう!』
と送られてきて、


嫌われてたとおもってたのに。
伝わってたんだ。
なんだかそれだけで報われた気がした。



コンクール当日
演奏を2曲15分ほど演奏して、終わった。
たった15分で6年間が終わった。

終わった瞬間の気持ちは
『解放されたーーー』
だった。


その後同期と抱き合いながら思ったのは
『6年間、同期だれも欠けずに終われた。ちゃんとがんばれたね私たち』

と泣いていた。

コンクールの結果は
『銀賞』


わりと例年通りの結果だけど、点数は部活の過去最高得点だった。

これが私たちがつくった1年間か。
まずまずだなぁと冷静におもった。


もちろん金賞を取らないと、
しかもその中でも上位じゃないと全国大会にはいけない。


笑ってコラえて!の世界には1ミリも届かなかった。




これが私の綺麗に切り取られた青春です。



たぶん青春をやりきれなくて、
今はアイドル界の全国大会を目指しているんだと思う。


上に行きたい、いけるところまで。


12月9日に新宿SAMURAIさんで
ブルベア単独ライブ『皆様にお伝えしたいことがあります』
を開催します。

このなが〜〜い過去回想で何か引っかかった方は見てほしいな、というライブです

部活でやりきれなかった青春を、
アイドルで、あの時より少し大きな規模でやり直しているような気もします。

いまは自信をもってやってる音楽と
生のことばを、伝えさせてください!

詳細チケットURL続報をお待ちください!

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